その9
「あはははははは」
目に浮かんだ涙を拭きながら、ミチルは笑う。
「あー、おっかしい。ほんとツバメさんて面白いね」
ランボー退散後、ようやく倒れた電柱の撤去が始まり、ミチルと加代は電線リングから抜けられた。
「あれって、やっぱりツバメちゃん達だったのかな」
ミチルの後ろを歩きながら、ぼんやりと加代は言った。
突然恐ろしい事態に巻き込まれ、しかし状況を理解し切る前に解放されてしまった。しかも事を収束させたのは、どうやらツバメとナツである。
目まぐるしく、そして意味不明な展開はまるで悪い夢のようだ。疑問を抱くこと自体が無意味にも思える。
だが一方のミチルは余裕のある口調で応じた。
「加代ちゃんだってわかってるでしょ。ビルの屋上にいたのはツバメさんとナッちゃんだよ」
おまけに、ランボーと名乗る大男を退治したのは日向陽子である。妙な仮装はしていたが、面識のある加代には当然わかる。
「だけど、……何であんなことしてたのかな?」
「それはもちろん」
雑踏の中ミチルは立ち止まり振り返った。
「魔法少女活動だよ」
「へ?」
「さっきも言ったでしょ? 紺野ツバメさんは魔法少女だって。まだ信じられないの?」
「だけど……」
「そう、変身しなかった! まさか生身でランボーさんを撃退するとはねえ。私も予想してなかったよお、計算外」
ミチルは思い出すように笑った。
「ミチルさんはこんなことが起こるって知っていたの?」
「まあ少しだけどね。ツバメさんはヒゲグリモーっていう魔法少女で、ランボーさん達妖精軍団と戦う役目を負っている。もしもランボーさんが勝っていたら、あの場にいた私達は危なかったでしょうねえ」
ミチルは呑気な顔で言った。
「ヒゲ、グリモー……」
聞き慣れない単語を加代は呟く。
「ツバメさんの立ち回りっぷりを見ると、これまでにも色んな敵と何度も戦ってきたのかもね。加代さんの知らないところで」
最後を強調するようにミチルは言った。
加代の顔が曇るのを見ながら嬉しそうに続ける。
「だけどね、加代さん。私もそっち方面にちょっとだけツテがあるんだ。もし加代さんさえ良ければ紹介してあげようかと思うんだけど」
「どういうこと?」
「加代さんも魔法少女になれるかもしれないってこと。うまくいけばツバメさんと同じ秘密を共有できるんだよ。一緒に夜空を飛んだり、敵と戦ったりさあ。どう? 興味ない?」
「それは……」
興味ないわけない。しかし、まだ信じられない。本当に魔法少女など存在するのか?
加代が返答に迷っていると、
「あら、この子が例の?」
後ろから声がした。
加代の振り向いた先、そこに立っていたのはえらく長身の男だった。
「あ、青木さん?」
加代は目を丸くする。
「まあ。あなたはたしか、小岩の加代ちゃんね」
青木ことソリアットは、迷いネコ騒動の際に加代やツバメと出逢っている。
「な、なんで?」
さっき知り合ったばかりのミチルとこの奇妙な男がどうして繋がっているのか、加代には見当もつかない。
ミチルは驚く加代を可笑しそうに見ながら、ソリアットへ言う。
「なあんだ、お知り合いでしたか。どうですか? 彼女に魔法少女の素質はありそうですか?」
「そうねえ」
ソリアットは膝を落とし、加代の顔を正面から見つめた。
「あなた。もし魔法が使えたら何がしたい?」
「え、え?」
頭の中身を透かし見るようなソリアットの眼差しに、加代は思わず俯いた。
質問の意図は理解できないが、何かを計られているようで緊張する。
「動物や植物とお話ししたり、空を飛んだり、かな……」
「ステキね。じゃあここ見て」
ソリアットは右手を上げ、中指と親指を合わせた。
「これはかわいいヒバリのクチバシよ。ピピー、ピピー」
鳥の鳴き声を出しながら、ソリアットは指をぱくぱくと動かし、時折り手首を捻って見せる。
「今からこのヒバリちゃんが言葉を話すわよ? 今はピーピー言ってるけど、一言だけ急にしゃべるから、加代ちゃんはよーく聴いていてね? いい?」
向こうがどういうつもりかわからない。だが加代はとりあえず頷いた。ソリアットの右手をじっと見つめる。
やがて、右手の鳥はクチバシを大きく広げた。
「おやすみ」
その途端、加代の顎がカクンと落ちた。
*
「よお、ツバメ」
騒がしい人混みの中、日向陽子は手を上げた。
「あのレスラー、見かけばっかで弱かったぞ」
「それは残念でしたね」
黒いローブ姿のツバメはげんなりした顔で返す。
「いや、ウチらのおかげだから」
少し遅れてナツも交差点へやってきた。
ビルの屋上にいたのが自分達だとバレぬよう、2人はとんがり帽子と仮面を外している。
「あ? 何で?」
ツバメとナツの頑張りを知らない陽子はキョトンとした。
ちなみに陽子はヒゲシャイニーの変身を解いていない。だがハロウィンの今夜は、何かしらの仮装をしている者が多いため、それほど浮いていなかった。
とはいえ先ほどまで大暴れしていた陽子である。依然として周囲からの注目を集めまくっていた。
ツバメは言った。
「これから警察の人が増えると思います。電柱は倒れているわ、ケガ人もいるわで、ここにいたら面倒なのでさっさと帰りましょう」
「ええ! 今来たばっかだっつの!」
陽子はまだ祭りを楽しむ気でいる。
「いきなりニャンコに呼ばれて、ダチとの約束蹴ったんだぞ」
「わかりました。じゃあせめて変身は解いてくださいね」
ツバメは腕を組み言った。
そのときである。
「紺野ツバメ!」
何故か息を荒げた3人の少女がガヤガヤとやってきた。
「あんた、こんなとこで何してんの⁉︎」
真ん中の少女、高菱才女が責めるような口調でツバメに言った。
「はあ? なあんだ高菱か」
ツバメはうざったそうに返す。
「あんたこそ何のつもりよ、その格好。血塗れゾンビナース?」
「ゾンビの要素は入れてないわよ! じゃなくて!」
息を切らしながら才女は怒鳴った。よく見れば、子分のフミと奈緒もずいずんと慌てている様子である。
「あんた小岩のこと知らない⁉︎」
「加代? 知らないけど」
ツバメは眉を上げた。
本来ならこのハロウィン祭りに一緒に来る筈だったが、ドタキャンしている。
「なんで一緒じゃないのよ!」
「別にいつも一緒なわけじゃないし。あんた加代探して何するつもりよ」
訝しげにツバメが問うと、才女は言った。
「あいつ! なんだか怪しい奴らに拉致されたわよ!」
「はあ⁉︎」
「私達見たんだから! 赤ずきんの格好した女と、めっちゃ背の高い男! 男のほうが催眠術みたいなのやったら加代が気絶して、そんで担がれてどっか消えてったの」
ツバメは青くなった。腹の底から不吉な予感がざわざわと迫り上がるのを感じる。
「……背の高い男って、古臭い派手なスーツ着てて、ヒゲの剃り跡が濃かった?」
「そ、そうだったかも。あんた知ってんの?」
ソリアットだ。
「女の方は?」
「歳は私達と同じくらい。前髪パッツンのボブカットで、肌はちょっと色黒。妙にニコニコしててキモかったわ」
「それって」
ツバメとナツの声が合う。
「いやいや、まさか。なんであいつが出てくんだよ」
「わからない。だけど」
須永ミチルだ。
ツバメは半ば確信していた。
ビアードとミチルがどこでどう繋がったかは当然知る由もない。
しかしこれまで不可解だった、ツバメの素性がランボー・ボークンにバレていた件。ここにミチルの介在を当てはめれば、謎は氷解する。
もし何かのきっかけで、ソリアットと出逢ったミチルが魔法のヒゲの存在を知ったとすれば。体育祭のとき、自分が怒り任せに取り出したブツの正体にも気が付くかもしれない。
「ねえ、紺野!」
だが何故加代を狙う? ソリアットの狙いは最初から加代だったのか? 攫ってどうする? 私への報復か? ではランボーが出てきた意味は? もしやあいつはただの咬ませ犬? 私がヒゲグリモーだと確定したかったから? いや、それもおかしい……。
「紺野! 聞いてんの⁉︎」
「なにようるさいわね!」
思考を遮られたツバメは声を荒らげた。
才女は唇と眉をひん曲げる。
「あんたがぼーっとしてるから声が大きくなるんでしょ! 早く警察に連絡したほうがいいって何度も言ってるじゃない!」
「じゃあさっさとしなさいよ! それで気が済んだら消えてよね!」
突然両肩を押され、ツバメは後ろに倒れた。地面に強く尻餅をつく。
見上げると、目の前には才女が立っていた。
「何すんのよ高菱!」
「あんたってば、なんでこんなときまでそうなのよ!」
「はあ? 誰がどんなときにどうだって? そもそもあんたなんか加代と関係ないで……」
ツバメは言葉を止める。
これまで才女とは幾度となく口ゲンカをしてきたが、一度として手を出されたことはなかった。
あくまで言葉で言い負かすのが暗黙の絶対的ルールであり、手を上げてしまえば相手の悪口を認めることになるからだ。
しかし今、才女はツバメを突き飛ばした。
驚くツバメを見下ろしながら、真っ赤な顔で才女は怒鳴る。
「事情は知らないし知りたくもない。あんたは私が嫌いで、それ以上に私はあんたが大嫌いよ! だけどそれが今の小岩に関係あることなの⁉︎」
ツバメは肩を振るわせた。
しばらく呼吸を置いてから、俯きつつ立ち上がる。
「……ごめんなさい」
そう小さく言ってからツバメは、地面を見つめたまま頭を下げた。
「加代を探さなきゃいけない。人手が要るけど警察に言っても多分間に合わないと思う。だから高菱達も手伝って。…………お願いします」
「ふん! どうして私が手伝うわけ?」
才女は横を向いた。
「小岩は私の目の前で攫われたのよ。これは私の案件なんだから、あんたが私を手伝うの!」