その8
「なんで私が前に立つんだよ!」
ランボー・ボークンに指を突き付けながら、ナツは小さく振り向いた。
「あんたの方が背が高いからよ。少しでも迫力が出るように」
ナツの斜め後ろにて、ツバメはボイスチェンジャーから口を離して言う。
「恥ずかし過ぎんだろ、こんな目立ってさあ」
2人の立つ雑居ビルの屋上からは駅前交差点の全体を見渡すことができる。
電線リングに囚われた人々、その周りから様子を伺う人々。そしてランボー。
その誰もが今こちらを見上げ、ツバメとナツ扮する謎の2人組に注目している。
「私だって恥ずかしいわよ。ナツなんか私のセリフに合わせて動けばいいだけなんだからまだマシでしょ」
「動けばいいっておっしゃいますけどね、私はツーちんが何言うか全くわからないんだよ!」
「出たなヒゲグリモーども! そんなとこにいねえで降りて来い! ウィスカーの居所をかけて俺様と戦え!」
リングの中央に仁王立つランボーが、自分の足元を指しながら叫んだ。
「ほら、めっちゃ怒ってる。怖えー」
「怖がったらダメなんだって。とにかく堂々としてて」
ツバメはローブの下に隠したボイスチェンジャーを再び構える。
『ご機嫌よう、愚かな市民どもよ!』
太い男の声を音量マックスで響かせた。
『我らは人類の支配を目論む悪の軍団、ヒゲグリモーだ! ふははは、覚えておくが良い!』
笑い声に合わせ、ナツは慌てて体を揺すった。喋っているのが自分だと見せるよう、ツバメに念を押されている。しかし時間がないとのことで、内容は聞かされていない。中々に難しい仕事である。
「あ⁉︎ 何言ってんだ?」
ランボーがポカンとした顔をこちらに向けた。が、ツバメは無視して続ける。
『愚民ども! キサマらの家の庭にある蛇口を、夜の間に全開にしてやろうか! それとも風呂場の石鹸にカミソリを埋め込んでやろうか! トイレに溶けない紙を流してやりゃ……、やろうか!』
「私が噛んだみたいになってる」
ナツが仮面の下から抗議した。
「そんで民家の水回りばっかりタチ悪く攻めるな! ……なんか愚民どももざわついてきてるじゃんか」
「いいんだって、全部演出なの!」
ツバメは謎の演技を再開する。
『それにしてもランボー・ボークン! キサマはどれだけ我らの邪魔をするのだ!』
「あ、あぁあん⁉︎」
ランボーは訳のわからぬ様子で聞き返してきた。
『せっかく我らの用意した特設電線リングにて、ハロウィンに浮かれる人間どもをいたぶってやろうとしていたのに。よくもぶち壊してくれたものだ。密かに潜り込ませていた刺客もことごとくやっつけやがって!』
「さっきから何言ってやがる! リングを作ったのはオレ様だ!」
『ふははは、お決まりのヒール気取りか! 実に気に入らんな』
どういうことだ、と人々が互いに顔を見合わせる様子が、ビルの屋上からも見てとれる。
『キサマはそうやって悪を演じつつ、その裏で、真の悪である我々を滅ぼそうと躍起になってるな! 実に忌々しい、目の上のタンコブ野郎よ!』
ざわめきが更に広がった。
「え、何? どういうこと?」
「どっちが悪い奴なの?」
「って言うか、これショーじゃね」
俄かに騒がしくなる人々の中心で、ランボーは気が付いた。
「ふざけるな、適当なデマをほざくんじゃねえ! 悪はこの俺様だぁ‼︎」
指をぼきぼきと鳴らしながら、恐ろしい形相を周囲へ向ける。
『笑わせるなランボー! 恵まれない子供へランドセルを贈っているのはどこのどいつだ! ハロウィンに手作りお菓子を配っているのも知っているぞ!』
「し、知るか!」
ランボーが焦り出す。
「オレ様がそんなことするかゴラァ! 今すぐウソだと言え!」
『おっと、これは秘密だったか』
仮面の下で忍び笑うツバメ。
ようやくナツにも対ランボー作戦が読めてきた。
奴が人々の恐怖を食らって成長するのなら。
自分達が更なる悪人に扮して登場し、対するランボーを『悪く見えるけど実はヒーロー』に仕立て上げればよい。そうなれば、奴のイメージが相対的に良くなることになる。
更に、今日はハロウィンだ。ツバメがグダグダしたやり取りを仕掛けることで、これが祭りのイベントか何かだと人々に思わせられれば尚良しである。
事実、先ほどまでの緊張感は和らいでいた。皆がほっとした表情で、ランボーと屋上の2人の掛け合いを見守っている。
「ふざけるな人間ども! 俺を怖がれ! 恐怖しろ!」
焦りながら叫ぶランボーだが、その身体は少しずつ縮んでいく。
人々も気が付き出した。
「あれ、なんか小さくなってないか」
「さっきはデカくなったのに」
「バカだな。目の錯覚を利用したイリュージョンさ。ラスベガスで見たことがあるよ」
「じゃあやっぱりサプライズ的なショーだよこれ」
ランボーは真っ赤な顔で喚く。
「おい、聞け! あいつらの言うことはデタラメだ! この俺様こそが悪なんだ!」
『そうさ、かつてのキサマは傍若無人のワルだった。未だに過去の罪を引きずるが故に、今さら正義漢ぶれないんだよなあ』
「勝手に設定を作るなぁ!」
「凄えよ、ツーちん」
オーバーな身振り手振りを聴衆に見せつけながら、ナツは舌を巻いた。
人間が集まるハロウィンという日を選び、一度に恐怖を集めようとしたランボー。対してツバメは、集団の感情を更に塗り替えつつある。
「おぉい、ヒゲグリモー! 早く降りて来い! ここにいる人間どもがどうなってもいいのか、ああぁぁあん⁉︎」
ランボーは弱体化する一方だ。急がねば、アドバンテージがどんどんなくなっていく。
しかし、彼の方からツバメのもとへ向かうことはできない。即席リングを離れれば、せっかく捕らえた人間達が散ってしまうからだ。
『キサマが掃除してくれるのなら、こちらの手が省けるわ。上手くやったら、キサマの恋人ウィスカーを返してやってもいいぞ』
対して、すかさず言い返すツバメ。
それを聞いた人々は息を呑む。
「あのレスラー、彼女が人質なんだ」
「さっき名前叫んでたな。かわいそう」
「いや、そういう設定のショーだってば」
「きっと昔は悪の集団にいたんだよ。だけど正義に目覚めて脱退したから、組織に追われることになったんだ」
ついに勝手な推測までされ出した。
見下ろすナツは呆れて笑う。
「やっぱツーちん、指揮者向いてるわ」
「もういい!」
ランボーは荒い息をしながら叫んだ。
「望み通りにこいつらをツブす! ヒゲグリモー! お前らがここに来るまで、10秒に1人殺してやる!」
ナツは背後のツバメに振り返る。
「ブチ切れてんぞアイツ。どうするツーちん。あっち行くの?」
『まさか、行かないわよ……、あっ間違えた』
ボイスチェンジャーを構えたまま応じてしまったツバメは、即座にランボーへ言い直す。
『知るかマヌケ。やれるもんならやってみろ』
「言ったな、ヒゲグリモー!」
ランボーは怒り狂った。両腕を振り上げ、胸をドコドコと叩く。そして血管の浮き出た首を回すと、目に付いた男に向かって進み出した。
「ヤバくない? あいつらマジで殺されるぞ」
慌てるナツ。その後ろでツバメは言った。
「もう大丈夫」
「う、うわあ。助けて」
不似合いなウサ耳を付けた男は、ランボーに掴まれた腕を振り解こうと必死でもがく。しかしランボーの指はびくともしない。万力のような力で、ウサ耳男を締め付ける。
「痛い痛い痛い!」
ランボーは血走った目で男を睨むと、もう一方の腕を振り上げた。
「ヒゲグリモーを恨むんだな!」
ゴッ!
鈍い音が辺りに響き渡る。
「う、うがああぁあ!」
叫んだのはランボーだった。
その顔には小さな膝がめり込むように刺さっている。
地面に崩れ落ちるランボーと、その目の前に着地する小柄な影。
「輝くヒゲにみなぎるパワー!」
真っ赤なマントと金の王冠。
「燃える毛根!」
そして顔の輪郭を覆うタテガミのようなヒゲ。
「ヒゲシャイニー、参、上‼︎」
日向陽子は聴衆の中心で堂々と名乗りを上げた。
*
ランボーは鼻を押さえつつ、苦しげに膝を立てる。
「まだ仲間がいやがったのか。聞いてねえぞ」
「どーしたデカブツ。もうおしまいかよ」
陽子はしゃがみ、ランボーの顔をニヤつきながら見据えた。
「なんか知らねえけど、今日は人前に出ていいらしいからさあ。もう少しは遊んでくれよな」
「クソがぁあ!」
ランボーは横なぎに腕を振り抜いた。が、陽子は即座の宙返りで軽々と避ける。
「おおーっ」
驚きの声、そしてパラパラと鳴る拍手に陽子は上機嫌だ。
『ランボーよ。キサマの相手など私がするまでもない』
上から声が飛んできた。
『我らが組織の、下っ端中の下っ端魔人、ヒゲシャイニー! 出てこいや!』
「もう出てるっての。あいつ覚えとけよ」
陽子はビルの屋上から手を振る黒ずくめの2人を睨んだ。
その隙を狙い、ランボーが襲い掛かる。素早く立ち上がると、陽子の首目掛けラリアットを繰り出した。
しかし陽子はまたも避ける。上体を仰け反らせ、リンボーダンスの要領でラリアットをやり過ごすと、バネのように身体を戻す勢いで、ランボーの腹に拳を捩じ込む。
「ぐえっ‼︎」
よだれを撒きつつ、腹を押さえ丸くなるランボー。
その低くなった背中に向かって、陽子は跳んだ。揃えた両足の裏を思い切り突き出す蹴り、ドロップキックを放つ。
容赦ない攻撃に転がったランボーは、怒りに任せて地面を殴る。
「ちょこまかしやがって、卑怯だぞ!」
そう叫んだ彼は、すぐに己の失言に気が付いた。
「いやっ、ちがう……」
しかしもう遅い。
「そうだ、卑怯だぞヒゲシャイニー!」
「ランボーはダウンしてんだ!」
陽子に向かって野次が飛ぶ。
「ああ? プロレスにダウンなんかあるか!」
「いや、あるだろ‼︎」
「うるせえ! 文句があんなら前出て来い!」
陽子が持ち前の無神経で印象を悪くする一方、
「立て、立つんだランボー!」
「頑張れー!」
ついにランボーへ声援が上がり出した。
「や、やめろ……」
青ざめるランボーの身体が更に縮み始める。
「俺を応援するなぁあああ‼︎」
しかし。
「ランボー! ランボー! ランボー!」
厚いランボーコールが辺り一面に巻き起こる。
「やめてくれぇ」
ランボーは耳を塞ぎ、うずくまった。
ヒールレスラーっぽいヒゲ。
その能力は、他人の恐怖を糧にパワーを得るというものである。
よってその逆、つまり応援されればされるほど、集めたパワーは抜けていくらしい。
だが、声援を送る人々はそんなことを知る由もない。
「ランボー! ランボー! ランボー!」
今や彼の身長は2mもない。ほぼもともとの大きさにまで戻っていた。
「お前よお、全然弱いな」
陽子は呆れて言うと、ランボーを持ち上げ、バーベルのように両肩に担いだ。
「やめろ、何する気だ」
「もうつまらん。マオマオのガキによろしく言っといてくれよな」
陽子はランボーのヒゲを掴むと、巨体を空へとぶん投げた。
べりべりと剥がれたヒゲを陽子の手に残し、ランボーは飛んでいく。
「うがああああ!」
叫びながら人々の頭上を飛び越え、即席リングの電線にぶつかった。
バチンと弾ける音と共に、電線からほとばしる大量の火花。その強い光に、人々は思わず目を閉じる。
そして彼らが瞼を開いたとき、そこにランボーの姿はなかった。
「き、消えた⁉︎」
「すごいイリュージョンだ」
手品で姿を消したのではない。ヒゲを失ったランボーは妖精界に送り返されたのだ。
人々が戸惑う中、陽子だけが未だ大はしゃぎしていた。
「アタシはまだ暴れ足りねえぞ! 男ども全員かかって来い!」
『シャイニーさん、撤収でーす』
「ええ⁉︎」