その7
「ごめんなさい、急に声かけちゃって。迷惑だったよね?」
「ううん、そんなことないよ」
加代は俯きながら首を振った。
どうせ独りぼっちで、行くあてもないところだった。
「だけど、どうして。その……」
少し前を歩く赤ずきん少女は振り返る。
「須永ミチル。ミチルでいいよ」
「その……、ミチルさんは私のこと知ってるの?」
「あれれ?」
ミチルはさも意外そうに眉を上げた。
「ツバメさんから聞いてない? 私のこと」
「えっと……」
言い淀む加代に、ミチルは微笑む。
「そっかあ。ツバメさんとはよく一緒に遊ぶ仲なんだけどなあ」
「そうなの」
加代は小さく返した。
ツバメの口からミチルの名が出たことはない。
「加代ちゃんの写真も見せてもらったことあるんだ。それで、広場にいるところ見かけたから、もしかしたらって」
「えー、写真? ツバメちゃんと写真なんか撮ったかなあ」
さっきまで1人で泣いていたのをごまかすように、加代は明るい声を出した。
「加代ちゃんのことは色々知ってるよ。不思議なお話とか噂に目がないんだって?」
「うん。まあ、少しだけ」
「ファンタジー小説なら私もよく読むんだよ。知ってるかな。『グラスランドの冒険』とか『ゴーストクイーン』とか、日本のだったら『妖星伝』とかさあ」
「私も大好き。全部持ってる」
「ホント? うちら趣味合うね」
スカートをフリフリ揺らしながら、賑わう夜の街を楽しそうに歩く少女、須永ミチル。
その軽やかな後ろ姿を見て、加代は複雑な気持ちになる。
こんなに可愛らしくお洒落な友達がいるなんて、ツバメはまったく教えてくれなかった。
思い起こせば、それは今に始まったことではない。ツバメに多飯田ナツという幼なじみがいたことも、荒くれ者の先輩日向陽子といつの間にか仲良くなっていたことも、加代は知らなかった。
自分にとってのツバメは、間違いなく一番の友達である。しかしツバメからすれば、自分など数多くの友達、いや知り合いの1人に過ぎないのかもしれない。今日だって別の友達との用事ができたから、あっさりと切り捨てられてしまったのに違いない。
そう思うとまた寂しさが込み上げる。
独りのところを、ミチルという少女から声を掛けてもらったのは助かった。彼女はとても陽気そうだし可愛いし、小説の好みが合うのも嬉しい。
しかしイケてる女子に優しくされるのは、今の加代にとって辛いものがあった。
「依存するばっかりだから、相手にされないんじゃない?」
「え?」
不意に放たれたミチルの言葉に、ドキリとして加代は顔を上げた。
ミチルは笑みを湛えながら言う。
「いくら友達とはいえ、付き合って何の意味もない子は蔑ろにされて当然ってこと」
突然何を言われたのかと加代は思う。否、咄嗟に思考を停止させたのは彼女自身だ。
本当は瞬時に理解してしまった。
『付き合って何の意味もない子』とは私のことだ。
言葉を失った加代の耳に、ガラス窓を隔てたようにぼんやりと、ミチルの声が届き続ける。
「ツバメさんってああ見えて実はとっても優しいでしょ? だから自分を慕ってくれる子は拒みきれないし、誘ったらなんだかんだ言いつつも付き合ってくれる。けどメリットがなければ優先順位は低いから、他に用ができれば簡単に約束を破られちゃう。まあ仕方ないよね」
まるで加代の胸の内を見透かしたようなことをミチルは言った。
だが、加代がツバメにドタキャンされたのはついさっきのことだ。それをミチルに打ち明けてもいないのに、なぜ彼女は知っているのか。
本当に心を読まれているとしか加代には思えなかった。
「……うん、仕方ないかも」
加代は力なくそう返した。
不意を打つように鋭く攻撃してきた初対面の少女。その言葉を受け入れるのは抵抗があったが、それは加代が薄々考えていたこと、そして考えないようにしていたことであった。
「ツバメちゃんに聞いたの?」
加代は自重気味に小さく笑みを浮かべた。
「たしかに私には何もないから、一緒にいても面白くないと思う。ツバメちゃんは指揮者になりたくて一生懸命頑張ってるのに、私ったらしょうもない噂話ばっかり話してるし……」
「いやいや、ごめん。違うの」
ミチルは手を振り、加代の言葉を遮った。
「たしかに正直言って、加代ちゃんとツバメさんはハタから見ても不釣り合いかもね。こういうの何て言うんだっけ。月とスッポン? それとも星とヒトデ? あっ、盧舎那仏と吐瀉物っていうのはどう? ウソウソ、そうじゃなくって私が言いたいのはね。ツバメさんにとっての重要人物に、加代ちゃんがなればいいってことなの」
「え?」
「2人にはもっともっと仲良くなって欲しい。私は加代ちゃん応援隊なんだから。だから教えてあげたいの。ツバメさんが隠してることについて」
「隠してること……?」
「そう、ツバメさんの秘密。秘密って聞いて加代ちゃんはなにか思い当たる? ないよね? 知らないよね? 知りたいよね? ね?」
突然ミチルは、加代に顔を近づける。
触れそうなほどの距離から大きな目で覗かれ、加代は思わず視線を外した。
いきなり持ちかけられても返答に困る。
「聞くだけ聞いてったら」
ミチルの甘い息が加代にかかる。
「加代ちゃんがツバメさんと今よりもっともっとマブになれちゃう方法。そのカギがツバメさんの秘密にあるのだよ。聞いて損なんか1ミリもないのだよ。加代ちゃんのために、今日だけ、特別に、言うんだよ。あとから気になってももう遅いんだからね」
今日だけ特別、とミチルは強調した。
しかし、何の権利があってそんなことを決めるのか、と加代は思う。
どんな内容を装填してきたかは知らないが、他人の秘密を勝手にバラしていい筈がない。加代にしてもツバメが隠していることを無理に知りたいとは思わない。
それに、今より親密になれるという話も理解できない。
それはツバメの弱みを握るということだろうか。だとすればそんなことで繋がりを深めたくはない。
だが。
ミチルに対する不信感を強める反面、加代は迷っていた。
なにしろタイミングが悪かった。ツバメに大事な約束を反故にされた直後なのである。
もしも自分がツバメにとっての大切な友達だったら。今頃ツバメは自分が作った魔女の衣装を着て、フランクフルトでも食べながら隣を歩いてくれていた。最高のハロウィンナイトになっていた筈なのだ。それなのに。
もうこんな惨めな思いはしたくない。
ツバメと仲良くなりたい。一番の親友だと思ってもらいたい。
ミチルの言うことは眉唾物ながら、もしほんの少しでも真実があるのなら。
「…………ツバメちゃんの秘密って?」
気付けば、加代はそう呟いていた。
「そうこなくっちゃ!」
我が意を得たとばかりに、ミチルは指を鳴らした。キョロキョロとわざとらしく周囲を見回してから、改めて加代の耳に口を近付ける。
「あのね、ツバメさんって実は……」
少し間を開けてから、ミチルは囁いた。
「魔法使いなんだよ」
「は?」
「ま・ほ・う・つ・か・い」
「え? 待って、何のこと?」
聞き違いか、もしくは比喩表現だろうかと加代は考える。
「ううん、何かにたとえたわけじゃなくって」
また加代の心を読んだかのように、ミチルは首を振った。長いまつ毛に縁取られた大きな目で、加代の横顔をじっと見つめる。
「紺野ツバメさんは選ばれた魔法使いなの。女の子だから魔法少女かな」
ミチルは重大な秘密を打ち明けるように言う。
しかし加代には意味がわからなかった。
加代は古今のファンタジー小説や映画、アニメが好きだ。魔法や妖精の登場する世界を想像することはよくある。だが当然、あくまで憧れているだけだ。
加代は悲しくなった。
ミチルは自分のことを、現実と空想の区別も付かない人間と見なしているのか? これだけ勿体ぶり、人の不安感を煽っておいて、出てきた言葉が『魔法少女』とは、バカにするにもほどがある。
しかしミチルはニコニコと続けた。
「ウソだと思うでしょ?」
「ウソって言うか、そんなの……」
「じゃあ、もう少しだけここにいようよ」
「……なんで?」
「これからここで面白いことが起こるんだ。ツバメさんもきっと来るから。自分の目で確かめてごらんよ。ね、加代ちゃん」
*
平和な祭りは、破壊音によって中断された。
林真下駅前スクランブル交差点。その四角に立つ電柱の根本が砕かれ、同時に地面へと倒れたのである。
車道を埋め尽くす人々は異変に気付き、笑顔を消した。
何の事故かは不明だが、一歩間違えれば誰もが電柱の下敷きだ。更に、事故はまだ続く可能性もある。
祭りの賑わいが瞬く間に、不安と狼狽のざわめきへと塗り替えられていく。
「ははははははは‼︎」
そんな中、交差点の中心に1人立ち、爆音で笑う大男がいた。
太い四肢が丸出しのぴっちりしたコスチューム、筋の浮かぶ禿頭、そして邪悪を感じさせる縮れた黒いヒゲ。
巨漢は近くにいた男の襟首を掴むと、軽々と空中へ放り投げた。
投げられたミイラ姿の男は、くるくる周りながら夕暮れの空を舞い、そしてコンクリートの上に落ちて崩れる。
一呼吸置くように静まり返った後、悲鳴が爆発した。
突如現れた暴漢から人々は距離を取ろうと走り出す。我れ先にと他人を押し退ける男と、押されて転ぶ女。女につまずいてつんのめった男は、周りにいた子供達を将棋倒しにした。
大男の暴挙を見ていなかった者達にも、恐怖は波状に広がっていく。駅前広場は大混乱に陥った。
しかし。
交差点の中にいた人々は、大男から逃げることができない。
倒れた4本の電柱を繋ぐ電線が、交差点を囲っていたからだ。
幾本もの電線は複雑に絡み合い、地上30cmから1mほどをぐるりと張っていた。ところどころ、傷付いたチューブの間から火花が噴き出している。
電線の上下や隙間から外側へ抜けられるかもしれないが、万が一触れてしまえばどうなるかわからない。
「立ち止まるな、早く進め!」
「おい、押すんじゃねえ! 電線に当たるだろうが!」
一刻も早く大男から距離を取りたい者達と、電線の前で踏ん張る者達が衝突する。
一辺20mほどの即席プロレスリングの中に、大男を中心としたドーナツ型の人垣が詰まっている状況である。
リングに閉じ込められた数はおよそ2、300人。
そこには、この2人も含まれていた。
「きゃっ!」
周囲から強く押され、加代は小さな悲鳴を上げた。
彼女の腕を掴み、ミチルは支える。
「気を付けて。転んだらおしまいだよ」
加代と並んで鮨詰め状態のミチルだが、こちらは何故か余裕ありげである。
「ねえミチルさん、何が起こってるの?」
「うーん。私にもよくわからないけど、お祭りの最中に暴漢が現れたみたいだねえ。人がギュウギュウで見えにくいけど、多分すぐそこで」
「ええっ、逃げなきゃ」
「だけど、ここのぐるりを電線に囲まれてるって、さっき声が聞こえたよ。だから誰も出られないっぽいね」
「そんなあ、どうしよう」
泣きそうな声の加代に、ミチルは微笑んだ。
「心配する必要はないよ。感情なんて無関係に、死ぬときは死ぬんだから」
「そ、そんな励まし方ある?」
「まあ、きっと大丈夫でしょ。暴漢は1人なんだろうし、この中には沢山男の人がいるもの」
そう言い終わるか否か。
「うわあああああああ‼︎」
幾つもの叫び声が重なると共に、宙を舞う男達の姿が、2人の目に入った。
方向はリングの中央から。どうやら暴漢を取り押さえようと、大の大人達が集団でかかった結果らしい。
「これはヤバいかもしらんね」
「うぇええ、怖いよお」
また泣き出す加代。
ミチルは落ち着かせるように言った。
「ウソウソ、大丈夫だって。きっと誰かが助けに来てくれるよ」
「誰かって誰?」
一際大きなどよめきが起こる。
顔を上げた加代は目を剥いた。
人垣の向こう。何か光るものが現れ、徐々に上へと伸びていく。
それは人の頭だった。
髪のない頭と小さな目。大きな口と黒いヒゲ。太い首、丸い肩、それから太い腕と分厚い胸。
あれが騒ぎを起こす張本人らしいが、
「大きくなってる……?」
男は巨大化していた。
同時に身体のあちこちがボコボコと隆起し、筋が波打ち出している。胸から下は見えないが、おそらく3m半、いや4mほどに達しているのではないか。
あり得ない。
酸素を求める金魚のように、加代は口をパクつかせた。
人間が突如大きくなるなど信じられない。大男は脚立にでも上ったのか。しかし全身が膨れていくように見える。そう見えるのならこれは夢か。そういえば地面が揺れているように感じる。
「ハハハハハハ!」
目眩に襲われた加代を嗤うかのように、大男は濁声を上げた。
「いいぞぉ人間ども! もっと俺様を怖がれ! 恐怖しろ!」
大男が首を回すと、その先にいる人々から悲鳴が上がった。
「次は誰だ? お前か、それともお前かあ⁉︎
あぁあああん⁉︎」
言いながら、大男の身体は更に大きく、そして凶暴な筋肉に覆われていく。
「おい、まだ来ねえのかあヒゲグリモーは! こっちは準備万端整ってんだ! さっさとウィスカーを連れて来い!」
大男がここで何をするつもりか、加代には全くわからない。よく聞き取れなかったが、どうやら誰かに呼び掛けているらしい。
「いつまで待たす気だコラァ! そこら辺にいるのはわかってんだ! さっさと現れねえと、ここにいる人間を片っ端からブチのめすぞ! 聞いてんのか、あああぁぁあん⁉︎」
そのときだった。
『よく来たな、ランボー・ボークン!』
謎の声が辺りに轟いた。
人々が見回す中、1人が指を刺した。
「あそこに誰かいるぞ!」
それは交差点を見下ろす、6階建て雑居ビルの屋上にいた。
暗い空の下、更に黒い2つの影が地上を見下ろしているのがわかる。
『いい度胸だランボー! 今日こそキサマを倒してやる!』
手前に立つ影は踏ん反り返り、人差し指をランボーへと突き付けた。
男の声だが、機械で変えたような妙な声色である。
2つの影は揃いの格好だった。鳥に似たマスクと、大きなつばのとんがり帽子、それから黒いローブ。手前にいる者の肩には何かが乗っている。
「黒猫……?」
気付いた加代は、何も聞こえなくなる。
あれは、私が作った衣装だ。