星の見える夜
「──────で、都に着いた途端に聖気で目くらまし、そのまま走ってここまで逃げてきたってのかよ……」
【火鳥亭】の主人が呆れた顔で言う。
その一人娘ソニアは、未だに何が起こったのか理解出来ず目を丸くしたままだ。
「悪い、調達できなかった食材はまたすぐにでも────」
「馬鹿野郎!そういうことを言ってるんじゃあねえんだ!」
急に態度を変え怒りだした主人にリケルは戸惑う。
「食材なんてどうでもいい!ただ、その騎士道精神とやらでも出来ないことはある!今回だってルーブラン様がいなければ確実に死んでたんだぞ!」
その言葉にリケルは、反論するでもなく反省するでもなく、昔の父の言葉を思い出していた。
────騎士が守らなきゃいけないのは己の生き方ではない、人だ。人を守るために自分が生きていなければならない。自分を守るためには、どんな手を使ってでも生き延びろ────と。
いつもふざけていた父だが、たまに良い事をいうから困りものだ、十中八九誰かの受け売りだろうけど───
「リケル、聞いてるのか?」
「……ああ、すまない。次からは無茶は絶対にしないようにするよ」
「分かってくれればそれでいいんだ。
それに────まだツケも返してもらってないしな」
「あっ…………」
主人の含みを持たせたような言い方に、リケルは思わず顔をしかめた。
「いや、俺も別に食材のことは気にしてないぜ?
でも、依頼した物が届かないんじゃあ、飯は作れないよなあ?」
そう言うと、主人はニッコリと笑いながら植物図鑑を渡した。
「朝食抜きと、今から草とキノコ狩り。
どっちがいい?」
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「それで、ソニアはどうして着いてきたんだ?」
頭上では月が見守る中、鬱蒼とした茂みの中を進む二人。
虫の声だけが響く森で、最初に声を発したのはリケルだ。
「リケルさんだけじゃ不安だから、着いていきなさいって、お父さんが……」
「あの人…………娘は渡さないだのなんだの言っておいて、夜道を2人で歩かせるのか。
それも、魔物が出る森だぞ?何を考えているんだか」
「え、それって……」
「……特別な意味は無い。
ただ夜道は危ないって、それだけだ」
聞き返されて初めて自分の言ったことが違う意味に取られかねないことに気づいたのか、少し頬を赤らめながらもリケルは目を合わせずに答える。
「そ、それなら大丈夫ですよ!
私、魔狼くらいなら魔法で倒せます」
「魔狼、か…………
まだ、聞き慣れないな」
辺りを警戒しながら、リケルはそう呟く。
ついさっき実際に魔物と戦ったところだとはいえ、五年世間から隔離されていただけでこうも世界が変わるものなのか、と未だに実感は湧かない様子だ。
そんなリケルをソニアは真剣な顔で、じっと見つめている。
「……リケルさん。私、少しでもいいから知りたいです。
なんであんな格好をして現れたのか。
それに、リケルさんは、その……常識にも疎いし、その桁外れな力にも、きっとなにか秘密がありますよね?」
「あー、質問は1回に1つまでにしてくれ。
それに…………悪いが、答えたくないことだってある」
「じゃ、じゃあ!せめてその力の事だけでも教えてくれませんか……?」
ソニアは少し目を潤わせながら、一言一言丁寧に話す。
「私、正直言って、怖いんです。
もちろん、今日の1件で、リケルさんは悪い人じゃないなっていうのは分かりました。
でも、いきなりこんなに強い人がうちに来て、自分のことを何も教えてくれずに働いてくれてるっていうのが、とても不安で…………
……だから、一つだけ、リケルさんの秘密を教えてほしいです」
────ソニアはまだ12歳だ。不安を打ち消すような力を持っているわけでもないし、経験だってない。
こんな風になることが当然なのだろう────
「分かった。一つだけだ。俺の能力は『痛喰』。
痛みを感じれば感じるほど強くなる能力だ。
それ以外は…………まだ言えない」
「『痛喰』………
きっと、何か思い出すのに悲しいことがあるんですね。
でも、私、リケルさんのこと知れてよかったです」
「はは、それは良かった」
安堵しているリケルを見て、ソニアはクスリと笑う。
「ん?どうした?俺の顔になにかついてるか?」
リケルがおどけるように自分の顔をまさぐると、ソニアは思わず笑いだした。
「えへへ、すいません。
リケルさんの笑ってるところ見るの、初めてだなぁって思うと思わず笑っちゃって」
「おいおい、俺だって普通に笑うぞ?
……そうか、でも、確かにここ数年は笑ってなかったなあ」
謎が解けた、とでも言うように安心してリケルは笑った。
それから数十秒は、お互いに笑いが伝染するように、クスクスと笑いあっていた。
「…………そうだ。俺のことを教えたんだから、ソニアの秘密もひとつ教えてくれよ」
「わ、私ですか!?」
「例えば、どうしてソニアはこんなに熱心に店の手伝いをしてるのか、とかさ」
その言葉に、ソニアは耳をぴくりと動かす。
「手伝い……ですか。
…………実は私、親がいないんです」
「……え?」
「お父さんは、私を娘のように扱ってくれるけど、本当のお父さんじゃありません。
行くあてもなかった私を助けてくれたのが、あの人なんです。
…………だから、たくさん働いて恩返ししないといけないなと思って」
「そうだったのか……。
行くあてもなかった、っていうのは…………いや、すまない。
辛いことを思い出させてしまうだろう」
「ふふ、そんなことないですよ。
でも、今はまだ、秘密です」
ソニアがわざとらしく、指を自分の唇に当てる。
誰もいない森で、しばらく静寂が続いた。
「……そろそろ、戻ろうか」
「……そうですね」
食材が入った籠を2人でひとつずつ分担して持つ。
どうやら、夜は魔物も寝静まっているようだ。
影狼のような夜行性の魔物もいない。
(やっぱり、あの影狼、不自然だったよなあ……ん?)
考え事をしながら歩いていたリケルは、遠くの木々を横切る人影に気がついた。
全身をフードとマントで隠していたように見える。
(動きが速い……俺でも一瞬しか見えなかった。
少しだけ見えた特徴は…………おそらく白髪だってことか)
「リケルさん、どうかしましたか?」
何も気づいていないソニアは首を傾げる。
「いいや、なんでもないよ。
……む?あれは…………」
「……!」
今度はハッキリと、フードを被った人がいる。
しかし、先程の人影とは違った模様の服だ。
左胸には赤い鳥が刺繍されている。
「もしかして、リケルさん?」
「…………アレシアか?」
よく目を凝らすと見知った顔だ。
「まさか、こんなところで会えるだなんて、あの時は本当に苦労したのよ?お礼もしたかったのに……」
「あ、ああ、すまない」
「まあ、いいわ。丁度道に迷っていたところなの。
一緒に連れて行ってくれないかしら?」
「それならちょうどいい。俺達も今帰るところだ」
リケルを真ん中にして、3人で並んで歩く。
ソニアは少し不機嫌そうな顔をするが、特に何も言わなかった。
「ところで、探してほしい人って誰?
まだ名前を聞いてなかったから、探そうにも探せなかったのよ」
「ああ、俺の父さんのことだな。
名前は────!?」
リケルがその名前を言おうとすると、どこからか黒い矢が飛んできた。
しかしそれは、アレシアのこめかみに当たる直前に、左手に聖気を纏ったリケルによって止められる。
「な、なに、もしかしてまた影狼!?」
「……いいや、これはただの魔法でコーティングされた矢のようだな。相手は人間だ」
リケルが聖気を体から半径3m程の球にまで広げる。
当たりが見えなくなるほどの光がリケル達を包む。
「…………これは少しまずいな」
つまりは、仕組まれていたのだ。
盗賊達がアレシアを襲っていたのも、都合よく(都合は悪いが)影狼が現れたのも、全て目の前にいる男達の仕業であったのだろう。
直後、目の前が見えなくなるほどの矢が飛ばされる。
黒い壁と形容しても構わない程の数だ。
「くっ…………!」
リケルの作り上げた聖気の結界が三人の身を守る。
しかし────
(数が多すぎる……ッ!)
あまりの弾幕に、聖気の結界もところどころひび割れが生まれる。
そうなれば当然、中には結界を貫通する矢もあり、それをリケルは素手で止めることになる。
いくら聖気を纏っているとはいえ、魔力が込められた矢を素手で掴むのはかなりの力技だ。
リケルにも少なくないダメージが蓄積される。
矢の風を切る音が止んだ頃には、リケルは傷だらけになっていた。
2人を庇ったためか、かなり深い傷もある。
────状況も理解出来ていない。
裏にある思惑も何も見えてこない。
だからこそリケルは、幾分か見慣れた顔を思い浮かべてこう呟いた。
「………………お前ら、覚悟しておけよ。
帰ったら主人に叱られるじゃないか」