森の襲撃③
「復讐だ」
リケルはそういうと、アッシュの腰から折れた剣を引き抜いた。
彼の目にはただ明確な殺意と怒りだけが映る。
しかし彼は今までの襲撃で既に満身創痍であり、姫を庇った左手はだらんと垂れ下がって身体の方も失血でいつ倒れてもおかしくないような出血量だ。
しかしなお、彼は気合いだけで立っていた。
「隠れていないで出てこい」
馬車が衝突してから未だ姿を見せていない影狼にリケルが呼びかけるも返事はない。
トンッ、トンッ
奇妙なことに、リケルは折れた剣で近くの木の幹をたたきだした。
よく見るとその目は瞑っている。
トン、トンと規則的なペースで、優しく、まるで何かを確かめるように叩いているのだ。
「い、一体何を……それに、目を瞑ってしまったら……」
アレシアがそう呟いたのが先か、リケルの背後から影の矢が飛ぶ。
彼の脳天を寸分違わず狙った矢は、しかし血飛沫を上げることなく、木へと突き刺さった。
「な、何が起きているの!?それに、もしその行動が、影狼の位置を探そうとしているためのものなら無駄よ!
影は振動とは別物……そんな探知の仕方じゃ……」
彼の考えを読んだように言うアレシアに、リケルはチッチッと指を振った。
その仕草は妙に型にハマっていてやけにキザだ。
「やつが攻撃したのは俺が目を瞑っているからじゃない……今起きている異変に気づいて、それを起こしている俺を始末しようとしたんだ」
そう言いながらも彼はその手を止めない。
アレシアには彼の言うことが全く分からなかった。
彼女は最初、リケルが振動の反響によって相手を察知しようとしているものとばかり思っていた。
イルカが使うエコロケーションのように、地面をつたわる微かな振動を探知しようとしていると推測したのだ。
それがどうだ。探知どころか彼はいつどこから攻撃が来るのかすら理解していない。
にもかかわらず、影の矢は彼とは大きく外れたところに着弾した。
何かの能力なのか、あるいは影狼自身に異変が────
ヒュン、と風を切る音がした。
続いて無数の矢が飛ぶ。
しかしそれらはどれもデタラメな方向へ向かっていて、とてもリケルを狙っているようには見えない。
次々と矢が木群へと刺さり、また影の中へ消えていく。
そしてついに1つたりとも彼に命中することは無く、影の攻撃は止んだ。
「……ここからが本番だ」
彼がそう呟くと、闇の中から巨躯が出現する。
大袈裟な程に派手な登場をした割に音は全く聞こえない。
これが影狼の特性である。
しかしアレシアが注目したのはその姿だ。
体の所々からは黒い液体が溢れ、爪は何本か欠けている。
影狼は既に多大なダメージを負っていたのである。
「な、なんで……」
リケルが今まで行っていた行動、もしもアッシュが意識を失っていなければ、全てを間違いなく説明できただろう。
今までの不可解な現象の事実。それは────
「聖気。昔から訓練はされてきた。姫様には見えていなかったようだがな」
そこまで言われて初めてアレシアははっと心当たりを見つけた。
聖気とは五気のうちの一つであり、修行をすれば誰でも手に入れられる比較的簡単な部類に入るものだ。
アレシア自身も姫として聖気は取得していた。
が、リケルのそれが見えなかったということは────
(私と彼との気の大きさの差が大きすぎて感じることすら出来なかった……?)
「姫様に俺の聖気が見えなかった理由。それは俺のあまりに緻密な制御だ」
「あまりに……緻密な……?」
「全てを説明するのも面白くないだろう。
あとは周りを見てよく考えて見ると良い」
姫である自分に対する物言いに少しムッとした彼女だったが、言われた通りに周りを見渡しても大きな異変は見つからない。
ただあるとすれば、もうすぐで夜が更けようと────
(いいや、おかしいわ!日はさっき暮れたばかりじゃない!
なのに、この明るさは一体……)
彼女がそう思う間にも辺りはたちまち明るくなっていく。
太陽が登ってきているとはとても思えないようなスピードである。
(明るくなる理由……太陽……空……空が……明るくない!?)
はっと空を見上げたアレシアであるが、その目に映るのは依然として黒い星空のみである。
ではなぜ、と彼女が視線を下に戻すと、そこでは既に二者の戦闘が始まっていた。
「おらぁッ!」
リケルが剣を振れば影狼は爪で弾き、そのまま影の爪を伸ばして反撃を狙うがリケルはそれを腰を反らして回避、その勢いでサマーソルトキックを顎に打つが、体格差もあってかうまく威力が出ず、怯ませるには至らない。
空中で一瞬の隙ができたリケルの足に噛み付こうとした影狼が、何かを察し途中で動作を中断、後ろへ下がった。
直後、リケルの足が青白く光り、影狼の頭の上を掠めて弾丸のように突き出される。
徐々に明るくなる周囲に、力を弱めていく影狼だが未だその力は人一人なら楽に殺せるほどである。
またリケルの方も聖気を使って優勢的に戦いを進めているが失血のあまり出血が止まっており武器を握る手は震えている。
両者ともに満身創痍。
この戦いは泥仕合になるかと思われた。が────
「来た」
リケルがニヤリと笑う。
その理由を理解出来ず影狼が思わず首を傾げる。
狼と言うよりは犬のようにも見える可愛らしい仕草だが、その顔は次の瞬間には苦悶に染まっていた。
最初に鳴りだしたのはどこからだろうか、チリチリと虫の心地よい声が森中に響く。
それと同時に辺りはまるで昼のように明るくなり、視界が真っ白に支配される。
状況が理解出来ずとも、影狼は本能から影に溶け込もうとした。
しかし、辺りは強い光でおおわれているのにも関わらず影は一つも見当たらなかった。
「グルル……」
逃げることは困難と察したのか、影狼がリケルの方へ向き直る。
しかし既にそこには彼の姿はない。
どこだ。あの忌まわしき人間はどこにいる。
そこまで考えたところで、影狼の意識はシャットダウンした。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「つ、使い魔!?」
「とは少し違うんですがね」
視界外からの脳天への一撃で影狼を仕留めたリケルは、すぐにでも眠りたい気持ちを抑えてアレシアに先程の戦闘の説明をしていた。
5年間の暮らしで人に秘密を話すことには躊躇していたリケルだが、アレシア姫の懇願に負け、傷を癒す間に説明を引き受けることにしたのだ。
「聖気っていうのは基本的には人間しか持っていないものです。
しかし、性質的には生き物皆が持つ魔力と少し似ている部分もあるんですよ。
だから、森に潜んでいた光属性の魔力を餌とする『光虫』という使い魔の一種に聖気を与えたんです。
微小な光虫に与えなければいけないため繊細な聖気のコントロールが必要になり防御がほとんど無いに等しくなるので、ある種の賭けでしたが」
その完璧とも言える説明を聞いてアレシアはなるほどね、メモメモ、と呟きながら自身のメモ帳に記入していく。
「そのメモは何のために?」
「ん?ああ、あの影狼を倒してくれた貴方の偉業を記しておこうと思ったのよ」
「そこまでしなくても……というかあまり目立ちたくはないので姫を都まで送れば去りますよ」
ウインクをしながら言うアレシアに、うんざりと言うような様子でリケルが答える。
アレシアの瞳の奥が一瞬光ったような気がした。
「さて……本当なら夜の移動は危険ですがアッシュの怪我もあります。おそらく街まではあと1キロ程度でしょう。そろそろ」
そこまで言いかけてリケルは頭を伏せる。
直後に彼の背後から飛んだ影の矢が頭上の空気を裂いた。
「影狼!?まだ生きて……いや、これは……」
リケルが周りに目を凝らすと、赤く光る目が何対も見える。
少なくとも五体はいる様子である。
「さすがにこの体じゃ……」
リケルがボヤきながらも剣を構えたその瞬間、辺りが目を塞ぎたくなるほどの閃光に包まれた。
先程の戦闘のものとは比べ物にならないほどの光に影狼達が為す術もなく消滅していく。
「い、一体誰が……」
「アレシア様、ここにいましたか」
声の先に立っていたのはひどくしわがれた老人である。
しかし、その姿こそもうすぐにでも天珠を全うしそうであるが、実際に対峙するとなにか威厳のようなものを感じられ、リケルは思わず身震いした。
「ルーブラン。来てくれたのね」
ルーブランと呼ばれた老人はアレシアの言葉に跪き、礼をする。
(ま、まさか、この老人がさっきの閃光を……)
「その者は……姫を守ってくれたのですか。
それに、騎士の治療もしなければなりませんな。
共に王宮へお連れしましょう、さあ」
彼がスっと手を振ると、お伽噺でしか見たことがないような光の馬車が生まれた。
「さあ、お乗りになって」
彼の言うがままに馬車に乗るも、またもや違和感を覚えるリケルである。
(この魔法の力……王宮直属の魔法師長と言ったところだろうが、ルーブランという名前も聞いたことがない……
前魔法師長は「反転」などで失脚する程度ではなかったと思うが)
少し考えたリケルだが、血の回っていない今では考察しても無駄だと悟り、なすがままにルーブランの魔法による応急処置を受けながら王都へ向かったのであった。
(……光の馬車か。俺に魔力があればこんなこともできたのかなぁ……)
頬杖をつき、外の流れる景色を見ながら黄昏れるリケルである。
馬車が小石を弾くチッと言う音が、まるで、舌打ちのように響いた。