森の襲撃①
「魔狼……。
名前からして狼の獣なのだろうが……」
幼少時代に魔物図鑑を読み漁っていたリケルも、5年間もの間外と遮断されて生きてきたこともあり、図鑑の最後の方に出てくるようなロマンのある魔物以外は覚えていなかった。
彼は関所の兵士に尋ねようとしたものの、その佇まいからベテランの冒険者と間違われ、結局見送られるがまま、何も言い出せずに街を出てしまったのだった。
「ひとまず木の蜜を先に採っておこう。歩いていればそのうち魔物にも出くわすはずだ」
そう言った彼は歩を進めて数分と経たずに、あるものを発見した。
遥か遠く、普通の人間で知覚できないような距離の先に剣戟の音、悲鳴を見つける。
面倒なことになりそうだ、と頭を抱えるのを抑えて彼は、一度近づき様子を伺うことを選択した。
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「はぁ…はぁ……体力が……」
彼は5年間もの間収容されていた。
当然自由に行動することは許されず、彼のテリトリーは申し訳程度に与えられた3米四方の独房だけであった。
故に、人と戦うことには慣れていても、何キロもの距離を移動するとなると能力の手助けがあっても体にこたえるのだ。
「おらッ!さっさと姫さん出せって言ってんだよ!」
「もう一度だけ言おう。去れ。私の任務は"守ること"だ。あまり人は斬りたくない」
リケルの息が切れるほどの全力疾走の結果もあってか、未だ殺し合いは始まっていなかった。
頭にはターバンを巻き、ボロボロの服に短剣を持つ、絵に書いたような盗賊団が青い甲冑の騎士と口論を続けている。
しかし、その緊張状態は今にも斬り合いが始まりそうだ。
「もういい。てめえごと殺すことに決めたぜ。お前ら、下がってろ」
ついに決断を下したらしい盗賊のリーダー格の男が、部下に後ろへさがるよう促す。
騎士の方はと言うと、やはりあまり乗り気ではない様子ではあるが、既に剣に手をかけていた。
互いにいつでも武器をふるえる体制に入り、辺りには命のやり取りの際の独特の緊張感が漂う。
盗賊の部下達は思わず息をすることも忘れ、両者を見つめる。
「魔狼だ」
そんな張り詰めた空気は、1人の男の声によって、限界まで空気の入った風船に針を刺した時のように解けていった。
リケルである。
探し求めていた獲物を騎士の守る馬車の後ろに見つけ、思わず声を発してしまった彼は、やってしまったとすぐに逃げの体制をとる。
しかし、両者が注目したのは声を発したリケルの方ではなく、その内容である。
「ちっ、魔狼だと!俺たちじゃ手に負えねぇッ!逃げるぞ!」
『はい!』
リーダーの男が叫ぶと、盗賊達は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
その様子を決して目を離さずに見ていた騎士も、彼らが完全に逃亡したと判断すると、すぐにリケルの方へ駆け寄ってきた。
「誰かは存じ上げないが、おかげで助かった。ありがとう。
まさか魔狼がいるだなんて機転の利かせた嘘を言ってくれるだなんて」
その発言にリケルはクエスチョンマークを浮かべる。
いいや、確かにそこに魔狼が────と言いかけ、やめた。
さきほど魔狼を見つけた木陰には既に姿はおろか、生き物の気配すらなかった。
(見間違いか……?まあ、結果オーライだが)
もやもやとした気持ちを抑え、彼は騎士の握手に応えた。
「ぜひ礼がしたい。名前はなんと言うんだ?」
「ああ、礼はいらないよ。その代わりと言ってはなんだが、魔狼について色々と教えてくれないか。
知識がないものでなかなか見つけられなくて」
その言葉に騎士は眉を顰める。
「それは構わないが、君は冒険者ではないのか?
身なりからして騎士というわけでもなさそうだし……失礼だが、逃亡してきた犯罪者にしか見えな」
「アッシュ。喧騒が聞こえなくなったけれど、盗賊は撃退したのかしら……あら?」
大正解とも言える騎士の勘ぐりに、冗談だよな、と自分に言い聞かせようとしたリケルの耳に、聴き心地の良い声が入ってくる。
その声のするほうを見れば、馬車の中から出てきたのは全身を白のドレスに包んだ、白髪のロングヘアーの美しい女性であった。
「アレシア様。ただいまこの男が盗賊共を騙し、我々を助けてくださいました」
アッシュと呼ばれた騎士は姫と思われるアレシアに跪き、事情を説明する。
「あら、そうなのですか。それでは貴方にはお礼をしなければなりませんね」
「いえ、礼には及びません。騎士として……失礼。人として当然のことをしたまでです」
騎士の家に生まれたリケルは幼少期から教えられ、何より15歳の儀式での王への謁見の為に磨き上げた作法で礼をする。
「あら、綺麗な作法ね。人は見た目によらないものだわ。しかし、お礼をしないと言うのも……」
姫が悩む素振りをする。その仕草一つ一つも洗練されていて、思わず見とれてしまいそうになり、リケルは慌てて目を逸らした。
そして、リケルは1つ提案をした。
「……それなら、人を探して欲しい……いいえ、安否を教えてくれるだけでも構いません。この国の騎士団に属している者なので、お手を煩わせることもないかと思います」
「あら、それなら国に戻ってすぐにでも出来るわ。
その人の名前を教えてもらってもよろしいかしら」
「はい、それは私の父───」
「姫、危ない!」
リケルが父の名前を告げようとした途端、騎士が姫にタックルをする。
何が起きたのか分からない姫はムッとした顔で騎士を睨みかけたが、彼の肩にできた大きな裂傷を見て言葉を飲む。
「くっ……姿が見えない……何者だ!」
傷の痛みに耐えながら騎士が叫ぶ。
その声に応えるように、姫の元へと再び攻撃が飛んだ。
それを騎士が剣で受けようとする。
が、
「剣が……折れたッ!?」
汚れ1つ見つからないような白銀色の剣が、根元から折れていた。
余程ありえないことだったのか、騎士が一瞬硬直する。
そんな彼が背後からの攻撃に気づいたのは、敵が姫まで残り数センチまで迫った時だった。
「しまっ……」
彼が振り向く間もなく、彼の視界の端で鮮血が飛び散る。あまりの出来事に騎士の思考は完全に停止した。
しかし、直後に聞こえた声で再び彼の脳は回転を始める。
「姫様ッ!すぐに馬車の中へ!この狼は俺がッ!」
それはリケルの声だった。
あろうことか、彼は一瞬で騎士の前から移動し、彼の後ろで起こる襲撃を素手で受けていた。
「君ッ!その腕は……」
「大丈夫だ!この程度の痛みならもう……」
リケルが噛まれたままの腕を持ち上げる。
ありえないことに、全長5mはある狼の体を腕1本で持ち上げていた。
「慣れてるんだ──よッ!」
彼がそのままおもいきり腕を振ると、狼の牙も外れ、後ろにある木をなぎ倒しながら吹き飛んでいった。
「やっぱりさっきのは見間違いじゃなかったか……今のが魔狼か」
そういうリケルを、騎士が冗談を言うときではないだろうと窘める。
「今のは影狼だ!討伐ランクB……俺たちじゃ到底かないっこない!逃げるぞ!」
姫が既に馬車に入っているのを確認するとすぐに騎士も馬車に飛び乗る。
「さあ、君も早く!」
「……ああ」
投げ飛ばした狼の方をしばらく見ていたリケルであったが、騎士の声に従い、馬車に飛び移った。
騎士の号令で馬車は凄まじいスピードでその場から去る。
倒れた木々の先には、既に影狼の姿は無かった。