紙魔法の使い手
「つってもどうする?何か有効な魔法がないとあれには対抗できないだろ」
ラフトが話すうちにも紙吹雪は勢いを増して飛来してくる。
「ああ。だから本体を叩く。『囮攻撃』だ」
「本体を────って、ちょっと待てよリケル!……くっ……」
作戦とも言えないようなことを話し、そして何かを耳打ちしたあとにリケルは横に跳んだ。
どうしようもないラフトは先程と同じように剣で防御することしかできない。
「さっきは咄嗟に素手で殴ってしまったが、次はこの刀だ。
全力で防御せざるを得ないだろう」
リケルが呟いた数瞬後、老人の目前に突如として銀光の刀が現れる。
「速いのう、速いのう、『硬紙』」
日差しを遮る時のように左手を前に出すと、老人のポケットから飛び出た紙片が前腕に集まり、盾の形を成す。
リケルの振った刀は、まるで鋼鉄に打ち合わせたかのように弾かれた。
「なんでもありってわけか……!」
リケルは一度距離をとるも、それも一瞬。
間髪入れずに飛び込む。
「『対魔』ッッ!」
刀の鍔の宝石が白く光り、魔法が発動する。
「貴様、珍しい魔法を使うな────いいや、使わせはしないがの」
老人が右手をリケルに向ける。
紙の刃に切り裂かれ全身を糸ノコギリで削られるような痛みが走るが、リケルは止まらない。
そして、右手はラフトへの攻撃、左手はリケルの攻撃に対する防御と使い分けていた老人だが、今その両方がリケルにむけられたことになる。
つまり、それは当然─────
「『武現・狙式』ッ!」
「…………なるほど」
魔法の効力を離れひらひらと舞っていた紙吹雪の中、ラフトが魔法の弓を構えていた。
左目は瞼からの激しい出血で閉じていて、自慢の茶髪は赤黒い血と組んで暴力的グラデーションを成している。
「囮攻撃とは言ったが、『囮』はラフトだけじゃない……奴と俺の両方だ……!」
────リケルの攻撃は紙の盾では防げない。
本人の『対魔』の技術がどれほどのものかは知らないが、仮にこの盾を形作る『紙魔法』が破壊されれば、そのまま左手ごと持っていかれる。
かといってリケルだけに集中していれば、前方から魔力の矢塊が飛来してくる────
いくつかの脳内シミュレーションの結果、老人が出した答えは、最適解に等しいものだった。
「ああ、分かっていた……こういう状況になると、お前は左手で弓矢を防御し、右手で俺を足止めし続けるかない」
老人は彼の言う通り、両手をクロスした体勢を選んだ。
左手に装備された紙のバックラーはラフトに向けられ、右手から放出され続ける紙の竜巻はリケルを襲い続けている。
「地味な作戦だが…………これからは消耗戦だ。
お前には新たな紙は補充させないがな」
リケルはここから状況を変えるつもりはなかった。
ラフトが矢を放ち続ければ、紙の盾は摩耗していつかは消える。
そうなれば、老人はリケルへの攻撃に使っている紙片を盾に作り直すしかなかった。
そういう間にもリケルは両手で顔を守りながら老人にじりじりと近づいていく。
「き、貴様!紙とは言えど魔法で切れ味を高めているのじゃぞ!
ましてやあの男のように防御のための剣があるわけでもない貴様が消耗戦を挑むなど、馬鹿馬鹿しいにも程があるわい!」
初めて焦りを見せた老人に、リケルも笑みを見せる。
「悪いが、『能力』の都合上、体は頑丈な方なんだ……普通の数百倍はな。
それに、わざわざこんなに小さな紙で俺の全身に鋭い『痛み』を与えてくれているおかげで、傷が出来たそばから癒えていくんだ」
────『痛みを喰って強くなる能力』。
この能力は、本来リケル自身の身体能力を強化するものだが、彼が傷を負っている場合のみ、その傷を修復することに使われる。
傷が癒えた状態のことを『強い』と呼ぶのかは甚だ疑問だが、これが神から与えられたとされる能力であることには間違いない。
フェルによる痛みを伴った厳しい訓練後に大きな筋肉痛が現れなかったのも、『棺』での吐き気のするような拷問の傷が翌日には治っていたのも、この能力によるものであった。
本来、『痛喰』はそこまで燃費が良いわけでもなく、また戦闘中は脳内から分泌されるアドレナリンによって痛みが軽減されるため、受けた傷をその傷による痛みでそのまま修復するといった芸当は不可能である。
しかし、人間ならば誰しも経験したことのある『紙で指を切る痛み』。
想像するだけで鳥肌が立つようなその『痛み』を数倍大きくしたものを全身数十ヶ所に浴びているとなれば、その修復速度にも納得であろう────
「このままジリ貧で斬撃と弓矢を両方食らうか、潔く諦めて魔力の弓矢だけでぶっ飛ぶか────選ぶんだな」
「くっ……!」
一発目の魔矢が老人の盾に命中する。
ほとんどダメージはないが、魔力を塊状にしただけの矢は命中すると同時に爆散し、数百枚の紙片を辺りに撒き散らす。
「俺としては、さっさと諦めてくれた方が助かる。
まだまだ予定が立て込んでいるんでな」
本人の言う通り、リケルの傷は出来たそばから塞がっていくため、大きなダメージは全くないといえる。
ラフトの方も満身創痍ではあるが、まだ気を失うほどの出血量ではないようである。
そして、そうやって状況を確認している間にも、第二・第三の矢が紙の盾を破壊しつつある。
────厭らしく迫る絶体絶命。
自分の敗北が足音を鳴らしながら歩み寄ってくるような状況を前にして、老人は、笑っていた。
「嬉しいのう、嬉しいのう…………ここまで興奮する戦いは久しぶりじゃ。どうか────」
────老人の両目がどろりと落ちる。
「な、何をしているんだ、この老人は……!?」
「リケル……どうやらまずいことになったみたいだ……」
ただならぬことが起きているのは明らかだ。
しかし、だからこそリケルは近づくことをやめない。
「今のうちに……斬らなければ……!」
この老人を放置しておけば確実に不利になる。
だからこそ、何かおかしなことをする隙も与えずに斬るつもりのリケルであった。
────しかし、それも徒労に終わる。
「どうか、飽きさせてくれるなよ────」
部屋に響き渡る太い声とともに、老人の両目から紙片が溢れんばかりに飛び出す。
「まさか────!」
気づいたリケルは横に飛び、老人の身体を袈裟斬りにする。が─────
「中身がない……!」
「もう手遅れじゃよ」
どこか聞こえているかも分からない声とともに、両目から飛び出る紙は勢いを増す。
身体を二つにされ、上半身が地に落ちてもなおその勢いは蛇口をひねったかのように激しくなるばかりである。
「リケル……一度退け……!」
ラフトが振り絞った声に反応して、リケルが彼の元へ戻る。
魔力で形作られていた弓が霧散した。
「どうする、リケル……あれじゃどこを攻撃すればいいか分からねえ……」
「ああ、今考えている」
至って冷静に振る舞いながらもリケルの額には汗が滲んでいる。
「さあ…………第三ラウンド開始、じゃぞ」
老人の身体は跡形もなく消え去り、代わりにそこには紙で構成された人型が数体並んでいた。