家族
「20歳!?」
「ん?ああ」
「い、いやいや!その見た目で20はないだろ!
30……いいや、体を洗う前までは40代かと思っていたぐらいだぜ!?」
「はは、もっと前は髭も生えてたから50代に見えてたかもな?」
「ちょっと喋り方も爽やかになってるしよ……」
水で身体を洗い終えたリケルは早速主人から依頼を受けていた。
その身体は若返ったのではないかと思うくらいに、洗う前から変化を遂げていた。
煤で黒く見えていた髪は元の狐色を取り戻し、髭も改めて剃り直したことで顔は10歳は若く見えるようになった。
主人の服の用意した服のおかげで清潔感も保たれ、その姿は騎士の生まれと言われても誰も疑わないだろう。
しかしその表情はやはり二十歳にしては大人びているようにも見える。
「ああ、それと依頼だが、まあお前ならドラゴンにでも出くわさない限り大丈夫だろう?
うちではもちろんそんなの扱ってないからな。
食材用に魔狼を……そうだな、5匹くらい狩ってきてくれ」
「……魔狼……。
…………主人、さっきから言えずにいたんだが、実は俺は魔物を見たことが──」
「お父さん、依頼するならついでに…………って、だ、誰ですか?」
「……え?」
再び奥から出てきたソニアに聞かれ、リケルは思わず素っ頓狂な声を上げる。
「はは、あまりに変わりすぎてソニアも別人だと思っているらしいな!髪の色も変わっているし無理はないか。
ソニア、この人はさっきのリケルさんだよ」
「……えぇ!?
だって、さっきまでおじさん……あ、ごめんなさい……」
失礼だったと思ったのか、ソニアが頭を下げる。
そんな慌ただしい彼女を見て、リケルは思わず吹き出してしまう。
(──そういえば、母さんもいつも慌ただしい様子だったな……。
人の心配ばかりして、自分の身を削ってまで……
いつか父さんたちのところにも戻らなければいけないな)
「ちょっと、リケルさん?聞いてますか?」
「ん、ああ、すまん。考え事をしていた」
「もう。最近デザート用の調味料が無くなりそうなので、依頼ついでに木の蜜も取ってきて貰えませんか?」
「ああ。分かった。木の蜜だな?わかりやすくて助かる。
しかし、ソニア……さんは厨房の手伝いもしているのか?その年で仕事をこなすなんて、偉いじゃないか」
リケルが綺麗な手でソニアの頭を撫でようとする。
突然の事に思わずソニアは避けた。
「ちょ、ちょっと!いきなり何するんですか……
私はもう19歳ですよ!
リケルさんみたいなおじさんから見たらそりゃあ若く見えるかもしれないですけど……」
「なら俺と一つ違いか。案外近いんだな」
「一つ違いって……上と下、どっちだろう……」
「下だ」
「冗談ですよ!それくらい私にも分かります!
って20歳!?」
「…………人見知りで、穏やかな人だと聞いていたのだが」
先ほどまでのしおらしい態度とはうってかわり、演劇の台本のように洗礼された忙しいやりとりに、約束が違うと言わんばかりにリケルが主人の方を向くと、そこには鬼がいた。
「これはこれは、うちの娘が顔を真っ赤にして慌てているじゃないか……
──リケル君。少しでいいからこちらに」
「……」
居場所がなくなったリケルは、脱兎のようにすばしっこく店を逃げ出したのだった。
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(……結局、魔狼とやらがどんな生き物なのか聞きそびれてしまった……)
リケルは街の関門へと向かいながら思案していた。
それはもちろん、目の前にある依頼の事もだが、何よりもこれからの事である。
今は主人の優しさで実質居候という身に甘んじているが、ツケを返した後は自立しなければ、彼らにも迷惑をかけてしまう。
そして何より故郷にいるはずの家族のことが心配なのだ。
今でも元気にしているのだろうか。寂しがっていないだろうか。ああ、早く会いたい。
リケルが厳しい拷問の中で家族のことを忘れた日は1度もなかった。
特に騎士である父の言葉は、永遠に続くかのような痛みの中でも、木に強く打ち込まれた釘がいくら引っ張っても抜けないのと同じように、彼の心に残っていた。
──勝利とは相手を打ち負かすことではない。耐えることだ──と。
リケルが父の数少ない真面目な言葉の中でも特に気に入っているものだ。
故に彼は耐えた。5年間の苦痛にも。理不尽な能力にも。
「そうだ。魔物に関しては関所の兵士にでも聞こう」
些か昔のことを思い出した彼も、まずは生活が第一だとでも言わんばかりに、街の外周へと歩を進めた。