最初の転機
ルーブランがラフトの教育を言い渡された1週間後────
「はっ!くあっ!」
「ラフト。何度言えば分かるのだ?
力で押してばかりでは意味がない。
技を伴わない力は破壊を生むばかりだ。
お前の剣は壊すためにあるのか?違うだろう」
「くそっ!力では勝ってるはずなのにっ!」
茶髪の男は力任せに剣を振り回す。
小さい頃から剣を扱っていた彼の剣筋は強引ながらも、様にはなっている。
たくましく鍛えられた腕から繰り出される一撃一撃は、たしかに触れるだけで吹き飛ばされそうな迫力を持っているはずである。
しかし、その攻撃を受け止めているルーブランは依然として涼しい顔でその強烈な連撃をいなすばかりだ。
全く力の入っていないように見える彼の刀は、ラフトの斬撃の方向をあちらこちらへとずらすことで、彼の攻撃を無力なものとしている。
ラフトの額から何滴目かも分からない汗が垂れた。
「────もういいだろう。
今日の練習は終わりだ」
ルーブランが静かに刀をしまう。
夕焼けに黄色く照らされた老人の瞳は、目の前で膝を着く男を見下ろしている。
「何度言えばわかる。
そんな剣では俺の刀を折ることは出来ない。
俺の忠告通り─────」
キリリリ、と金属同士が鋭い摩擦音を立てる。
ルーブランは半身を捻り、ラフトが抜いた剣を彼の持つ刀身上を滑らせて躱していた。
渾身の一撃もいなされたラフトは不満げに剣をしまう。
「おい、ラフト、いい加減俺の話を────」
「いいか、俺が仕えるのはアリア様ただ一人だけだ。
今までこの剣一本で守ってきたんだ。
今更お前みたいなぽっと出の老人に教わることなんかない」
ラフトは唾が顔にかかるくらいの至近距離でまくし立てると、今度は急に気分が変わった猫のように踵を返して、兵士達の住む宿舎の方へと歩いていってしまった。
「なるほど……俺に依頼が回ってきた理由が分かった」
老人はため息をつくと、既に点になったラフトを眺めながら、自分も宿舎に向かい始めるのだった。
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「アリア殿。そのお腹は────」
「言ってなかったかしら。私、あなたに依頼をした時にはもう子を授かっていましたのよ」
教育開始から既に二ヶ月が経過。
ラフトの動きは少しずつ改善しているものの、ルーブランのアドバイスは全く耳に入れないためか、根本的な技は何も身についていなかった。
成長を拒み続けるラフトの姿勢とは対照的に、大きさを増すアリアの腹部にルーブランが気づき始めた頃。
それを察した彼女自身が、自室に彼を呼び出したところであった。
「そうだったのですね……それではつまり、そのお子様は王位継承者……ということになりますか」
「ええ、そうよ。この子が産まれたらきっと護衛も倍じゃ済まないくらい大変になるわ。
だから────ラフトにはもっと強くなってもらわなくちゃね?」
「は、はい!もちろん!
最近も徐々にですが、この老人を利用して身のこなしを────」
「ちょっと、ラフト。
ルーブラン様はとても偉い方なのよ?
利用だなんて言わないの。ちゃんと彼の言うことをききなさい」
アリアが頬を膨らます。
全く恐くはない叱責だが、それでもラフトには効果があるようで、ルーブランとの稽古中に鬼気迫る指導をされている時よりも項垂れた顔で聞いている。
しかし、そんな彼にも一つの疑問は生まれているようで────
「偉い方……ですか?
僕はこの老じ──彼が死んだ目で王宮内をうろついているところこそ見たことがありますが、それらしい評判は何も聞いたことがありません」
それを聞いたアリアが両手を開いて口元に寄せ、目を見開いて大げさに驚く素振りを見せる。
「まあ、知らなかったの?
ルーブラン様はね、あの六百年戦争を集結させたお方なのよ?」
目の前で自分の武勇伝を話されたルーブランは居場所がなさそうに、困った目でアリアを見つめる。
「そ、そんな馬鹿な!
あのエルフとの六百年にも渡る戦争を、この嗄れた老人が終わらせた!?
さ、さすがにアリア様のお言葉とはいえ、信じられません!」
「信じられないのなら……証拠だってあります」
「……アリア様」
「構わないでしょう。
それでラフトがあなたを尊敬するようになるのなら、ここで証明すべきです」
彼女の声に従い、ルーブランは躊躇いながらも立ち上がる。
「これが……彼ら────エルフの民と結んだ停戦の契約魔法だ」
2ヶ月前に支給された執事服を上半身だけ脱ぎ下ろし、肩を見せつけるルーブラン。
引き締まった筋肉の上に映る緑の紋章は、まるで生きているかのように、彼の皮膚の上で自己主張の発光を繰り返していた。
「この契約がある限り、私は死ぬまで、王国内で生まれたエルフに対する全攻撃・またはその計画を阻止しなければならない。
これと同じものが、エルフの国王にも刻まれているのだ」
練習中ですら見せなかった真剣な目で、ルーブランは語る。
「どう?これで少しはルーブラン様を尊敬したかしら?」
アリアが瞳を閉じて笑いかける。
まるでイタズラでもしてやったかのような笑みだ。
「まあ……実力に問題はない……それは認めます」
ラフトが渋々頭を下げると、アリアは安心してまた笑った。
ルーブランだけは、納得はしつつも、なぜか唇を固く結んで何か考え込んでいるようであった。