森、邂逅
「はぁ……はぁ………っ」
────蝙蝠ですら息を潜めるような陰惨とした真夜中の森。
その空間で、地面に手を付き息を切らしている男の姿があった。
(やけに疲れたな……感情に左右されすぎだ)
自分で自分を戒めるように頬を打つリケル。
食料の準備は予めしてきていたのか、しっかりと二人分肩に背負ってある。
(あの時だって大きな感情に襲われて…………そして急に意識がなくなって…………)
荷物を降ろし、食事の準備をしながら思考に耽ける。
聖気で明かりを灯すと、大抵の魔物は驚いて逃げていった。
(俺は……一体何なんだ?あれも能力の影響なのだろうか?
それとも、父さんや母さんに聞けば何か分かる類のものなのか?)
集めてきた木の枝に火打石で火をつける。
熱を欲していた身体が震えを止めた。
肉に刺した串を土に突き刺す。
肉が焼けるいい匂いが辺りに漂った。
(…………いいや、自分のことだけじゃない。
バルドのことも、マックスさんのことも、そして何より、ソニアとアレシアのことも俺は全然知らない。
本当に俺が、こんなことに首を突っ込んでいいのだろうか…………)
「そんなことないよ」
「!?誰だ!」
後ろから響いてきた声に振り返るが、聖気で照らしてみても何もいない。
しかし、気配だけは彼の肌にひしひしと伝わってくる。
(この感覚……覚えがある……!この身体の底から震え上がるような感覚は……!)
一瞬、真後ろに気配を感じる。
咄嗟に地面の影に向かって聖気を打ち出すと小さな悲鳴が聞こえた。
「くそっ……!なんでまたいるんだよ…………影狼がッ!」
一度は苦戦した相手だが、武器を手に入れた彼にとって、以前ほどの強敵ではない。
むしろ前回の戦闘時は五年のブランクを背負い、武器も持たずに戦っていたこそあれだけ手こずったのであって、本来痛喰を持つ彼からすれば全くの脅威でない。
問題は、その数だった。
目視できる影だけでも5はいる。
おそらく、気配から考えると十五は超えているだろう。
それら全てに連携攻撃を仕掛けられればたまったものではない。
「……後ろか!」
背後から飛び出して来る影を検知し、正面に飛ぶリケル。
しかし、もちろんそこには既に先客がいる。
慌てて影の見えない場所に飛び移るが、それならばと、影は包囲網を狭めてリケルに近づいてくるのみである。
(これはまずい……フェルさんから教わったあの技を使うしか…………!?)
リケルが覚悟を決め、刀に手をかけようとした途端、彼の目の前を暗闇が覆った。
影狼が一匹残らず目の前に姿を現したのだ。
(しまった……!まだ準備が……)
「だから、テキじゃない」
「!?」
聞こえてくるはずのない言葉に困惑するリケル。
「はな……せるのか?」
「さっきから、そう言っている」
発音は不自然ながらも同じ言語を話す影狼をみて刀から手を離すリケル。
本人の言う通り、ひとまずは敵ではないと認めたようだ。
「どういう状況だ?
俺が以前出会った影狼は話すことが出来なかった。
それに、そもそもこの森にBランクの魔物はいないと聞いているが」
「元々は、話せなかっタ。
連れてこられた」
「連れてこられた?どこから?誰にだ?」
リケルが眉をしかめると、影狼達は一斉に北の方角を向く。
「北……王国領の町はたくさんあるな……そして、そのまま進むと帝国に当たる」
「ナカマ、操られた」
先ほどから先頭に立ってリケルと話をしていた、親玉らしき個体が仲間に命じると、影から首輪のようなものが浮かび上がる。
「これは…………魔道具というやつか。
俺が殺したやつもこれで操られていたのか」
「ウム。仕方のないコトだ」
少し悲しい目を斜め上に向け、親玉は語る。
「名前はなんと言ウ?」
「リケルだ。そちらには名前はあるのか?」
「シィスでイイ。オレだけ、名前がある」
「そうか。シィス、俺に詳しく話してくれないか。
どんな奴がお前たちを操ったのか。
できるだけ特徴を教えてほしい」
リケルが握手を誘いながら質問する。
しかし、シィスはそれに応じなかった。
応じずに、ただ首を見せつけるように空を仰いだ。
「これは…………こっちの首輪とは別物か?」
「話せない。アノ人の情報は、何も話せない」
悲しくも悔しい眼を見せるシィス。
釣られて他の影狼達も首を見せる。
全員の首には同じ首輪が装着されている。
常に赤黒い光を点滅させていて、首を締め付けるようにきつくはめられている。
「スマナイ。協力できるのは、ここまでだ」
シィスが語りかける。
「いや、そんなことはないぞ、シィス」
リケルはまだ、諦めてはいない。
ゆっくりと刀を抜く。
耳が痛くなるような摩擦音が響き渡る。
闇夜の最中に光を反射させながら、鋭い刀身が姿を現した。
「俺を信じて、どうか動かないでいてくれ」
シィスに向かって刀を構えるリケル。
それを見た影狼達は慌てて牙を向けようとするが、シィスがそれを制止する。
「リケル、失敗すればコイツラはオマエを殺すだろう」
「ああ。それで構わない。ここで失敗するならそこまでの人間だった。それだけだ」
その言葉を聞いたシィスは目を閉じて、シャワーでも浴びているかのようなリラックスした体勢に入る。
リケルが改めて刀を構え直した。
「ところでよ、この魔道具に込められた魔法って一体なんなんだ?」
日も上りきり、一度昼休憩に入ったところで、バルドがフェルに質問した。
「ああ、ちょうど飯が終わったら説明しようと思っていたところだ」
硬めのパンを噛みちぎっていたフェルが刀を持っておもむろに立ち上がる。
「それじゃあ、俺に向かって魔法を撃ってくれ」
「魔法?強めのでいいのか?」
「ああ。威力は問わない」
フェルの言葉にバルドはニヤリと笑う。
「へえ。それなら本気でいかせてもらうぜ……!」
バルドが弓を引き絞るような構えをする。
きつく曲げた右手には魔力の塊が握られているようで、それはまさに魔法の弓といえるものであった。
「『風武現: 狙式』ッ!」
彼が叫び、右手を離すと、弾性力に従い、膨大なエネルギーを持つ魔力の塊がフェルめがけて飛来する。
「……!」
そばで見ていたリケルも思わず唾を飲む。
もちろんまともに当たれば即死は免れない。
しかし────
「なっ……!」
「切りやがった……!?」
そう。彼は切ったのだ。
決して力に任せて魔法を破壊した訳ではない。
はるか遠く離れた獲物を狙う狙撃者のごとく精密な操作で魔法の核を捉え、断ち切ることで急激に魔力を分散させたのである。
「これがこの魔道具の魔法だ。
『魔法を破壊する魔法』────別名『対魔』とも呼ばれる。
どんな魔法にも対抗できると言うと聞こえはいいが、持ち主の技巧がなければ無用の長物と化す玄人向けの魔法だ」
「そんなものが、俺に…………」
目を見開くリケルの肩に手を置くフェル。
「今はまだ使いこなせないだろう。
だが、今日一日練習すれば、動かない魔法────洗脳魔法・束縛魔法などの類は破壊できるようになる可能性がある。
本人次第で如何様にも化ける…………お前のような規格外にはピッタリだと思うぞ」
────狙うはシィスの首元。
決して首本体を切らないよう、精密な調整が必要となる。
それに加え、魔法の核を外せば、魔力をかき乱された魔法が暴発し、シィスだけでなくリケル本人も危険な目にあいかねない。
ゆえにチャンスは一回だ。
刀を持つ手が震える。
冷や汗が頬を垂れる。
これは一匹の影狼を救うという些細な問題ではない。
これからのリケルの自信に繋がる一回だ。
(カッコつけて言ってみたものの…………出来るのか?俺に……
まだ練習も満足に出来ていない……こんな状態じゃ……)
そんな弱音を吐いても状況は変わらない。
そう自分に言い聞かせたリケルは体勢を整え、切る準備に入る。
(行くぞ……3,2,1…………!)
覚悟を決めたリケルが全身に力を入れた瞬間、両手に人の手の感覚が当たる。
ふと前を見ると、黒髪の華奢な男が立っていた。
(誰だ……?幻覚か?)
目が合い、何をしてくるのかと待っていると、男はリケルに微笑みかけた。
男は何も言わない。
ただ優しい笑みを見せただけで、自分の役目を終えたかのように目の前から消えていったのであった。
(なんだったんだ…………?いや、でも………)
止まっていた。
手の震えも、臆病な弱音も。
それが幻覚であったのかははっきりとしないが、ひとまずは落ち着くことが出来たことに感謝し、もう一度刀を握り直した。
絶対に切れる。
確信があった。
だから、リケルにとってそれは、あとは踏み出すだけ、刀を振るだけの至極単純かつ簡易な作業であった。
『対魔!』