五年間の痛み
────聖王国歴29991年。
とある日、世界に異変が起こった。
その名は『反転』。
その異変は、2つの現象を同時に引き起こした。
1つは、「魔物の出現」。
それまでは魔物とはあくまで空想上の生物であり、存在はしないと言われていた。
しかし突如、世界の至る場所で伝承通りの魔物が現れだした。
そして、王国からは衝撃の報告が為される。
それは、魔王による侵攻が確認されたという旨だ。
魔王──これもまた本来なら架空の存在であり、多数の魔族を率いて人間を滅ぼそうとする者である。
魔王率いる魔人と、魔族よりも低級な生物である魔物により、人類は瞬く間に行動範囲を狭めた。
しかし、相手が魔族のみならば人間達もあまり苦戦はしなかったであろう。
彼らには「魔法」と「能力」がある。
魔法においては魔族の方が上であるものの、人によって様々な力を手にすることが出来る「能力」を使うことによって、本来ならば魔王討伐も5年とかからないはずである。
しかしもう1つ、「反転」によって異変が起きた。
この現象は魔族の出現よりも遥かに脅威であり、下手をすれば30000年弱続いてきた王国の崩壊をも免れない程の出来事であった。
それは『能力』の反転。
火を使えていたものは火の代わりに水を使えるようになる。
上は下へ。時間は空間へ。攻撃は防御へ。
これにより、王国では大きな混乱が起きた。
王国騎士団が方針として掲げ、鍛え続けていた、能力に頼らない『実力』により国家転覆は避けられたが治安は悪くなる一方。
その上で魔族への対処へ追われるのだからたまったものではない。
────そんな事が起きてから、約3年が経過しようとしていた。
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「ぐ、ああああッ!」
「そういえば最近、治安が良くなってきた気がするな」
「もうあれから3年だからな。王国騎士団の頑張りもあるだろ。何より国が壊れなくて良かったぜ。俺たちの仕事なんて今の王国がなけりゃどうしようもねえからな」
「ははっ、違い無ぇ!
しかし国も馬鹿だよな、魔力が無いだけで異教徒認定して、悪魔と自白するまで拷問、自白すれば死刑ってんだから、よッ!」
「あああああああッ!」
「んで、こいつはまだ口を割らないのか?
……5年も拷問し続けて、一言も喋らないってもう有名になっちまってるが」
「まあ、それはそれで色んな拷問を試せるからアリだろ?
今やってるのだって、他の囚人にやったらすぐに壊れちまうしよ」
「おいおい、お前って本当にクズだな」
「それを言うならこんな仕事してる時点で、な」
陽の光どころかランプの明かりすら細々と見えるような暗い部屋で、二人の男は軽快に笑い合う。
傍から見ればそれは異常な光景だ。何故ならその二人の手には見るだけでおぞましくなるような拷問器具と、隣にはベッドに拘束された血塗れの男がいるのだから。
「っと、これくらいにしとかねえと死んじまうな。ほら、拘束解いてやるから立て!」
そう言われた男は、5年間も拷問を続けられている人間には見えないような光を持った瞳で自分の腕を見る。
「おい、どうした?次のが控えてるからさっさと」
「これくらいでいいか」
様子のおかしい囚人を見かねた男が声をかけるが、囚人はなおも無視して呟く。
「おい、さっさと歩け!」
我慢できなくなった男が鞭で囚人を叩くと、彼はゆっくりと、叩いた男の方を向いた。
「……ちっ、何だ急に、気持ち悪りィな。
もういい、早く牢屋に戻れってんだよ!」
男が怒鳴ると、囚人は聞こえているのかいないのか、扉へと歩き、廊下へ出た。
そこへ男もついて行き、囚人が牢屋に入ったところで鍵をかける。
何が引っかかったのかしばらくは囚人を見ていた男だが、やがて興味を無くしてどこかへ去った。
囚人は、そっと指を振る。
名前:リケル・シックザール
力:想定不能
体力:測定不能
素早さ:測定不能
魔力:0
能力:「痛喰」
「……はは、やっぱり『ステータス』なんてあてにならないな」
人間の身体能力とは、本来可視化できるものではない。
しかし15歳の誕生日には誰しもが自分のステータスをいつでも自由に見ることができるようになる。
男はおもむろに立ち上がると、手に力を込めた。
すると手首を締め付けていた手枷はまるで風船のように弾けた。
手首を回し、首をコキコキと鳴らした男は、次に牢屋の扉に手をかけた。
少し力を込めると、格子牢はこれまたゴムのようにしなり、曲がった。
足首を回し、少しストレッチをすると、男はクラウチングスタートの姿勢を見せる。
誰がカウントダウンするでもなく、何秒かの静寂の後。
男はその場から消えていた。
先程の拷問部屋の前を通る。
流れゆく景色を尻目に、男は地下部屋の出口についた。
扉の南京錠を力ずくで破壊し、扉を開けるとそこは人ひとりいない裏路地だ。
しかし、隙間からは確かに光が見えた。
男は導かれるようにその光へとゆっくりと足を進める。
急に、視界が開けた。
そこは人が多く通る城下町。
無性髭を生やした汚らしい格好の男を通行人は皆見るが、男は気にもしない。
とにかく、表の世界に戻ってこれたことがこの上なく嬉しかった男だった。
そして、持っていた手錠の破片で気にならない程度まで髭を剃ると、こう呟いた。
「復讐だ、待っていろ」と。