彼は今
首都レイタスから遠く離れたとある森の中。
一人のエルフがいた。
エルフは歳を取らない。
数万年続く王国よりも歳が上であることも、しばしばあった。
もちろん彼女も、そのうちの一人であった。
「……!?あんなところに人が倒れているわ!」
彼女は地面にうつ伏せに転がる人影を見つけると、すぐに声をかけた。
「うぅ…………あ、あなたは?」
倒れていた男はエルフの彼女の顔をを見てとても驚いた。
彼女のあまりの美貌に言葉を失ったのだ。
「私の名前は────」
当時はエルフの秘術であった治癒魔法をかけながら、彼女は男の質問に次々と答えた。
彼女の特殊な生涯に驚いたのか、男は彼女の話を聞く度に反応を大きくしていた。
それからしばらく時間がたち、男の傷も完治する。
元々行くあてもなかった2人は共に暮らすこととなり、そのうちお互いに心を開いていった。
しかし、百年ほど経った頃、彼女はあることに気づく。
そう、男は全く歳をとっていなかったのだ。
不老ながら、男の耳はエルフの特徴的な尖ったものではない。
彼女は気づいた。
彼は悪魔なのだと。
そして、気付かぬうちに自分も悪魔と化していたことに。
最初は上手く隠し通そうとした彼女であったが、そのうち男にも勘づかれる。
もし彼らの愛が真実のものであるならば、そんなことは問題にはならなかっただろう。
しかし、悪魔は悪魔の心しか持たない。
男は売ったのだ。
彼は今後一切の自分への干渉を止めるのと引き換えに、人間へ彼女を売った。
悪魔には真実の愛など理解できるはずがなかったのだ。
エルフの女の気高き魂は、一人の邪悪な男によって汚されたのである。
「───────と、原文そのままだとこんな感じだ」
「やけに偏った内容だな。
最後の数行などは特に、まるで悪魔を貶めるために無理やり挿入したような不自然さがある」
「この伝承を書いたのはエルフだからな。
多少主観が入ってるのかもしれねえ」
バルドが自分の顎を撫でながら言う。
リケルはまだ納得していない様子だ。
「ところで、今の話が『盟約』とやらとどう繋がるんだ?」
「簡単なことさ。
この話には続きがある。
悪魔はそのあと自分の過ちに気づいて、王都レイタスへ向かったんだ。
まだ処刑日じゃあなかったからな」
身振り手振りを使って説明するバルド。
「けど、実際にレイタスに広がっていたのは地獄絵図だった」
「まさか……」
「そのまさかだ。
悪魔の仲間であるそのエルフは、処刑前日にもかかわらず何者かによって刑務所ごと燃やされていたらしい。
たぶん過激派の騎士とかがやったんだろうな。
それを見た悪魔が人間との約束を取り消して、新たに交わした『盟約』が『私刑を一切禁ずること』だった。
今じゃあ市民単位での私刑は黙認されてるが、少なくとも牢屋にいる人物は処刑日まで絶対に死ぬことはねえ。
そのための『棺』だからな」
「そういうことだったのか。
全て繋がったよ。
しかし、今度は先程までと打って変わって、悪魔の誠実さが描かれているな。
考え直して真実の愛に気づくところまではいいとしても、わざわざ『盟約』なんて結ぶ必要あったのか?」
リケルの指摘にバルドは手を叩いて喜ぶ。
「おっ!鋭いねえ。
実は俺が1度切ったところで作者が変わってるんだ」
「前半はどこかのエルフが書いたんだよな?」
「ああ。
そして後半だが…………実は作者不明だ」
「それじゃあ、誰が書いたかも分からない伝承にある『盟約』とやらに国は従ってるのか」
バルドが首を横に振る。
「いいや、むしろ逆だ。
今でも口づてに『盟約』の話が残ってるからこそ、誰が書いたかも分からない後付けの話が正史として信用されてる。
今も王族の血に刻み込まれた『盟約魔法』が、この話に信ぴょう性を持たせてやがんだ」
「なるほど。
つまりは、どこかの不幸な悪魔のおかげでソニアは今────7日後の、日の月15日までは無事でいられる、ということなんだな」
「その通りだ。
だから──────作戦決行は7日後で確定ってわけだ」
「了解した」
話にまとまりがつくと、もうここにいる意味は無いとでも言うようにリケルがすくりと立ち上がった。
彼の手は、固く、堅く、血が出る寸前にまで握られていた。