悲しみを負った子供達
「ごめん、お待たせ。」
総司は息を乱しながら、喫茶店に入ってきた。
総司が背負っていたギターはそっと隅に置かれる。
「大丈夫だよ。久しぶりだね。」
奈美はそう言うと、読んでいた小説に花柄のしおりを挟んで、そっとカバンにしまった。
「なんか頼もっかな。」
「何頼むの?」
奈美の問いかけに総司は少し考えてから答える。
「アイスココアでいいや。」
「頼んであげよっか?」
奈美が総司に聞いた。
「じゃあお願いします」
総司がそう言うと、奈美は店員を呼び、アイスココアを注文し、店員が居なくなると、総司に言った。
「変わってないね。そういうとこ。」
奈美は少し嬉しそうに言った。
総司は恥ずかしがりながら、テーブルの上のコップを見ながら言った。
「少しは変わったつもりなんだけどな。」
奈美はそう言って俯く総司の頬に手をやって、自分の方を無理やり見させて、「人と話すときはちゃんと目を見なきゃダメじゃん。」と小さく笑いながら言った。
「お姉ちゃん、元気?」
奈美は総司に聞いた。
「うん、元気だよ。毎日毎日夜遅くまで働いて、休みの日には友達と買い物行ったりしてる。今でもあの微妙なポテトサラダ作ってくれるよ。」
総司はちゃんと目を見て話した。
「そっか。私、家を飛び出して以来お姉ちゃんに会ってないからなぁ。でも、元気なら良かった。あ、そうだ。総司の小説買ったよ。「微笑みの中の憎悪」すごく面白かったよ。」
総司はにやけながら、「ありがとう。姉ちゃん。」と言った。
そこにアイスココアが運ばれてくる。
総司はアイスココアを少し飲むと、奈美に言った。
「なぁ、姉ちゃん。一緒に暮らそうよ。俺と麻衣姉ちゃんと三人で。な、いいだろ?」
奈美は俯くと、静かに言った。
「ごめん。いまは一緒に暮らせないの。」
総司は俯く奈美を見ながら聞いた。
「なんで?」
奈美は答えた。
「来週からアメリカの支社で働くことになったの。多分、しばらくは向こうにいることになると思う。」
総司は俯くとしばらく黙り込んでから震えた声で言った。
「そっか。」
奈美が17歳の時、奈美は実の父親からの性的暴力を受けるようになり、ある夜、逃げるように家を飛び出した。残された麻衣は当然のように父の性的暴力を受けた。そしてある夜、麻衣は酔い潰れた父の目を盗み、総司と共に家を出て、総司を生んですぐ亡くなってしまった母親の姉の家に身を寄せた。
「ごめんな、姉ちゃん。あの時、守ってやれなくて。」
総司が突然そんなことを言ったので、奈美は夜道で突然腕を掴まれたような感覚に襲われた。
「総司のせいじゃないよ。あの人もあの人でお母さんが亡くなってから変わっちゃったから。私は一番お母さんに似てるからね。仕方なかったんだよ。そう…仕方なかったの。」
奈美は静かな口調に怒りを隠しながら言った。
総司のケータイが鳴った。
「ごめん。」
総司は店の外に出た。
しばらくして、戻った総司は奈美に仕事に戻らなきゃいけないと告げた。
「うん。じゃあね。」
奈美のその言葉を聞くと、総司は大急ぎでギターを背負って店を出て行った。
残された奈美はカバンから総司の小説を取り出した。
「悲しみを負った子供達」
奈美にはその小説のタイトルは自分達のことを言っている気がしてならなかった。
奈美はその小説を読み終えるまで店にいた。
読み終えた奈美の目から涙が溢れる。
主人公がどうしても総司と重なり、その主人公が最後に言うセリフが自分に言われてる気がしてならなかったからだ。
「幸せになりなよ。姉ちゃん。」
そのセリフは傷を負い、逃げ出し、悲しみに追いつかれまいと必死に生きてきた奈美の心に深く突き刺さった。