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例えばこんな日常

不定期更新になりますが、よろしくお願いします!

 海に潜る。

 金属資源を回収する。

 海洋都市(りくち)にもっていく。

 簡単に言えば、俺の仕事はそんなところだ。

 北極の氷塊消滅や南極大陸の氷解を経て、地球は約9割5分が海へと没した。

 人々はこぞって大地を求めたが、得られた者はごく一部の、金か権力を持っているものだけだった。

 その代わりとでも言うかのように海洋に巨大な船を浮かべ、海洋都市国家にしたのが確か93年だか94年だか前だった。

 俺はそんな海洋都市で暮らす一般庶民だ。

 仕事はど底辺。

 海洋都市の底にへばり付いた貝を取るのよりはなんぼかマシだとは思うが、深海艇(イルカ)に乗って金属抱えて戻ってくる。

 座礁すれば酸素がなくなって死ぬしかないというキツい環境下での作業はストレスがたまるし、歩合だからソナーの宛が外れれば給与は出ない。

 時たま金やら銀、レアメタルなんかを引き当てて小金持ちになる同業がいるくらいで基本的には一山いくらで取引される金属と同じく、いくらでも補充の効く使い捨ての仕事であった。

 未来は明るくない。

 そんなことを考えながら、俺は深海艇(イルカ)のハッチに腰掛けて一服していた。


「おい、海藤。もうすぐ目標地点だぞ? いつまでタバコふかしてんんだ?」


 曳航される深海艇(イルカ)からぼんやりと海を眺めていると、そんな声がかかった。

 女性にしては少しハスキーな、しかし若さの感じられる張りのある声。

 同僚でソナー兼機械整備を担当する峯岸あかりだ。

 峯岸の方へと振り向けば、日に焼けた肌が目立つ彼女が仁王立ちしていた。

 ややくたびれた濃紺のつなぎを腰までで結び、上半身は慎ましい旨を黒のタンクトップで覆うといった服装で、頭には白のタオルを巻いていた。

 本人曰く、潮風で髪が傷むのが嫌らしい。

 肌は焼けても放置なくせして髪は大事、という感覚はよくわからないが、ともかく峯岸はそんな服装で偉そうに俺を見下ろしていた。

 峯岸は俺の肩くらいまでしか身長がないので普段は俺を見上げているからなのか、少し得意げな顔で俺の深海艇(イルカ)に飛び移る。


「よっと。うわ、タバコ臭いな……」

「嫌なら寄ってくるなよ。俺はこれからしばらく深海(モグリ)で吸えなくなるんだ」


 俺の言葉に、峯岸は八重歯を見せてニカッと笑う。


「お前、コックピットん中でもたまに吸ってるだろ?」

「はぁ? 何を根拠にーー」

「内気循環のフィルター。洗っといてやったけどちょっと黄ばんでたぞ?」


 クソ。バレてたか。

 つっても作業が10時間を超えた時くらいだしそのくらいは許容してほしいのが本音だ。光源もろくにない深海でずっと作業をしているのだ。

 潮流に流されたり光に寄せられてやってくる大型魚類なんかにぶつかられながらも一人で頑張っている健気な俺の姿を想像すれば、タバコの一本や二本は許されて然るべきだと思う。


「私のかわいいNFG‐128を汚すなよ」


 深海艇(イルカ)の型番を呼んで軽く胴体を撫でる峯岸に、善処はするよ、とだけ返しておく。

 峯岸も長い付き合いで言うだけ無駄だとわかっているのか、苦笑に近い微笑みで俺を見ていた。

 まったく、こいつのメカオタクぶりにも困ったものである。

 俺にとって深海艇(イルカ)は金を稼ぐ手段であって、それほど思い入れはない。

 峯岸たちと組んで働くようになってから3回ほど乗り換えているし、慣れてしまえばどれも大した差はない。

 真球に近いコックピットに、両翼は三角型。そこから伸ばせるようになっているアームと、腹部には金属くずを放り込んでおくためのカゴ。

 違いは全部のマズル部分の大きさや形、後部にあるスクリューの大きさや形、あとは積載量と最大速度のバランスくらいだろうか。

 だと言うのに峯岸(メカオタク)は三回の乗り換えで三回とも号泣した。

 機体の型番を叫びながら抱きつき、今までありがとうだの最後まで面倒見れなくてごめんだの言いながら下取り業者を困らせていた。

 乗っていた――つまり一番長く接していたのは俺のはずなんだが、理解に苦しむ生き物である。


「ここんとこ、『中国』とマズいって聞いてるから、なんかあったらすぐ退避しろよ?」

「んあ? そういやニュースでやってたな」


 海洋都市国家『中国』が正規の場所よりも旧日本海側に接近しているというのは今朝のトップニュースだった。対して面白くもないのにどのチャンネルでもそればかりであった。

 言い訳できないレベルで領海侵犯されているのに海洋都市国家『日本』が相変わらず遺憾の意を表明する以外に対応を取らなかったのには笑ったが。

 

「ま、異変があったら無線で知らせてくれよ。俺ぁ潜ってる間はわかんないことだらけだからよ」


 正直なところ、深海域まで潜ってしまえばもう低波長無線しか届かない。

 それだって届かない時があるくらいなのだから、当然外のニュースなど届くはずもない。

 それよりも峯岸が心配しているのは盗掘艇(コバンザメ)のことだろう。

 自治体の許可を受けて潜る深海底(イルカ)に対し、盗掘艇(コバンザメ)は無許可で金属採掘を行う。それだけでも業腹だというのに、もっとひどいのになると偶然出くわしてしまった深海艇(イルカ)金属塊(スクラップ)にして資源として回収するらしい。

 中の人?

 当然、魚の餌になるしかない。


「心配してくれんのか? メカ以外にも優しいなんて意外だな」

「心配するに決まってるでしょ。私の可愛いNFG‐128ちゃんがスクラップにでもなったら私は気が狂ってしまうよ」

「俺よりイルカかよ」

「整備したことのない海藤よりも整備し続けているNFG‐128の方に愛着があるのは当然だろう?」


 同僚として耳と頭を疑いたくなるような発言をしながら胸を張る峯岸に、俺はため息とともに紫煙を吐き出した。気づけばタバコも半分近くまで吸い終えてしまっていた。

 クソ。なんか無駄にした気分だ。

 そもそも人間ーーというか俺ーーの整備ってなんだよ。

 やらしいことか?

 峯岸のことだし違うだろうなぁ……。

 黙ってりゃまぁまぁ見れる顔してるんだが、頭がとことん残念なのだ。

 とん、と灰を海に落とすとほぼ同時、通信機が無線を受信した。

 ザッというノイズのあとに続くのは硬く、よく響くバリトンボイス。

 俺らの焼い主で、この船の船長でもある石坂さんであった。


『二人共イチャつくのも程々にしとけ。そろそろ目標海域だぞ』


 俺がタバコを吸っているために峯岸がコックビットに滑り込んで無線機をタップする。


「了解ですけどイチャついてないですよ。こんな、オイルの代わりに血が流れてるような奴は好みじゃありません」


 オイルが流れてる時点で人間じゃないだろうがっ。


『オーケー。どっちでもいいから峯岸は早く戻ってこい。『中国』がキナくさい動きしてるのも気になるし、俺としちゃさっさと海洋都市(おか)に戻ってラーメンでも食いたいところなんだ』

「了解、ボス」


 峯岸はそれだけ応答すると、NFG‐128のコックピットを一通り撫で回して深海艇(イルカ)を後にした。

 俺もほとんどフィルターだけになったタバコを携帯灰皿に押し込むとコックピットに乗り込み、ハッチを閉じる。

 ぱしゅ、と気の抜ける音がして気密が完了すると、メインエンジンを始動させる。

 ドルル、と震え始めた深海艇(イルカ)のコンソールを一通り眺め、異常がないことを確認する。


「こちらNFG−128、海藤です。無線確認ですが、電波は良好でしょうか」

『良好良好』


 答えたのは石坂さんだった。


『いっつもお前ばっかり危険な目に合わせてすまんが、よろしく頼むぞ?』

「別にいいですよ。分かっててやってますから。ま、給料上げてくれるっていうなら願ったり叶ったりですけども」

『残念だが、今度夕飯おごるからそれで我慢してくれ。うまい蕎麦の店を見つけてな』

「石坂さん麺類ばっかっすよね」

『美味いからな――っと。着いたぞ。目標予定時間は6時間。酸素残量は22時間だから大丈夫だとは思うが、気をつけていってこい』

「ラジャー」

『3,2,1――パージ』


 石坂さんの言葉とともに俺を乗せた深海艇(イルカ)が海へと解き放たれた。

 クソ面白くない、禁煙タイムの始まりだった。


***


「おつかれさん」


 海から上がった深海艇(イルカ)と俺を出迎えてくれるのは、ビールと灰皿を持った石坂さんと、整備用具一式とオイルを持った峯岸である。

 目的はもちろん、俺と深海艇(イルカ)の慰労。


「ありがとうございます」


 甲板に降りると同時にタバコを取り出し、火をつける。

 きゅぽん、と瓶ビールを開けるとそれをラッパのみして、直後にタバコを深く吸い込む。


「かぁーっ! ごちそうさまっす」


 ビールが喉を通る心地よさに思わず上がってしまう奇声。

 これは仕方ないだろう。人類の性だ。

 石坂さんも自分の分のビールを開けて煽っている。

 結果だけで言えば、今回はかなり順調な潜行だった。

 途中、二回ほど大型魚類に遭遇してエンジンを切ってやり過ごしたほかは、いい感じに鉄やアルミと思われる金属を発見することができた。

 何百年か前は何かの施設だったんだろうとは思うが、あまり荒らされた形跡もなく、規模もそこそこある。

 これからしばらくの間は良い採掘場所になるだろう。

 もちろん石坂さんもそれを見越しての祝杯である。


「峯岸もたまには飲まないのか?」


 石坂さんが気を使って声をかけるも、峯岸は大丈夫です、と短く答えて深海艇(イルカ)磨きに夢中になっている。

 何が楽しいのか、ニヤニヤしながらやっている姿は軽く狂気を感じる。

 まぁ深海の高圧に晒された深海艇(イルカ)は一回ごとにでも整備するに越したことはないので文句はないが。


「それよか早いとこ帰りましょうよ。海洋都市(おか)で美味いもん食いたいっす」


 叶わないのはわかっているが、とりあえず希望を伝えると、案の定、石坂さんはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。


「まぁそう言うな。俺特製、生ハムとプチトマトのパスタをごちそうしてやる」

「また麺類ですか……まぁ美味いんで文句はないですけど」


 石坂さんがすぐに帰ろうとしないのは訳がある。

 金属資源はどの海洋都市でも不足しがちであり、場合によっては高値がつくこともある。それゆれに底辺職と蔑まれながらも一攫千金を夢見る者が後を絶たないのだが、今回のように良い採掘場所を見つけた時は、同業者に悟られないようにするのが大変なのだ。

 もちろんソナーなんかを使って周囲に他の船舶がないことは確認しているが、まっすぐ帰港すれば採掘場所を絞り込まれる原因にもなりかねない。

 だから、迂回したり途中で止まったりして採掘場所を絞り込めないようにするのだ。


「峯岸、パスタだとよ! 食うか?」

「後で食べる」

「峯岸が後で食べるというなら、冷めても良いように冷製パスタにでもするか。海藤もそれでいいか?」

「良いっすよ。代わりにスープか何か、温かいもんもお願いします」

「よし、スープスパも付けるか。いや、フォーも良いな」

「麺から離れてくださいよ……」


 本当に石坂さんは麺類が好きだよな。

 そう思いながら石坂さんを見る。

 やや白髪が混じった黒髪をオールバックにまとめた、少し強面の長身。

 中肉ぐらいで太ったところは見えないが、シャワーの時にみた肉体はかなり締まっていた。

 40を超えた炭水化物(めんるい)大好き人間が太ってないことには多少の疑問が残るが、まぁこの人は人脈といい趣味といい謎が多い人だから気にしないこととする。


「そういや、『中国』は何か動きありました?」

「あったな。――と言っても、自分の領海に戻っただけだが。ああ、あと『日本』の領海侵犯に対しては釈明会見があった」

「強気外交の『中国』にしては珍しいっすね」

「ま、ある意味強気だけどな――録画映像だけどテレビでばんばん流れてるから、パスタでも食いながら観るか」

「ういっす」


 結果からいうと、釈明会見というよりも宣戦布告に近い内容だった。

 とはいえ相手は『日本』ではなく、国際的なテロ組織(かいぞく)の一つに対してだった。

 ネット上に海賊からの犯行予告が出され、実際に魚雷を搭載した海賊船が現れたらしい。もちろん『中国』も海軍を出動させて対応したものの、海賊から逃れるための一時的な避難措置として領海を離れたそうだ。

 海洋都市はどこもそうだが、開発プラントや居住区画の電力を賄うために原子力系の施設を幾つか搭載している。そのおかげで野菜は水耕栽培で賄えるし、畜産区画で使う穀類なども原子力に支えられていると言っていいだろう。

 特に中国などは人口と、海洋都市の面積から言って原子力施設の数も多いので気が気じゃなかったはずだ。

 万が一にでも原子力施設を攻撃でもされれば大惨事になることは間違いないので、『中国』の領海侵犯も得心がいった。


「しっかし、海洋資源が放射能汚染されれば人類は終わりだってのによくテロとかやりますよね」

「まぁ、人の欲に限りはないって言うしな」


 パスタを頬張り、ビールでそれを流し込みながら呟く。


「さっきからニュースで話題にあがってますけど、今回の海賊ってどんな組織なんすか?」

「大地に住む特権階級の人間と海洋都市に住む人間との格差をなくそうってお題目を掲げた連中さ。まぁ、実際はおためごかしでスポンサーの後ろ盾を得て活動するチンピラ集団だがな」

「じゃあ『中国』狙ったのも」

「大方、他国からの援助を受けて牽制目的だろうな」

「牽制、ですか」

「ああ。『中国』は大陸時代に国土汚染が進んでいたからな。資源を得ようと領海侵犯を続けているから軋轢も多い」


 確かに『中国』船籍の深海艇による海賊行為は有名な話でもある。

 もっとも、日本は海溝を挟んでいるために大型魚類も多く、そこまでおおっぴらにやられることはないが、大陸側、『ロシア』や『インド』は『中国』船籍の深海艇をよく拿捕していると聞く。実際、国土の資源を無作為に取っていかれたらたまらないだろう。


「そういや、大型魚類も『中国』の汚染が原因だと言われていますよね」

「そうだな。まぁ海水温の上昇で巨大化しているところもあるだろうし、一概にそうとは言えないが、奇形腫なんかは汚染が原因だと言われているな」


 石坂さんの言葉に俺はため息を吐いた。

 大型魚類、と一口に言っても、実際には3種類に別れる。

 一つは5メートル近くあるマグロや10メートルを超える巨大なサメなどの、巨大化した魚類である。

 二つ目はこれも巨大化した生物であり、魚類ではなく哺乳類に属するシャチやイルカ、セイウチといった海洋生物である。なんで大型魚類と呼ぶのか不思議だが、昔からこいつらも魚類に含まれている。

 この2つは石坂さんが言ったとおり海水温の上昇が関係していると言われている。

 そして三つ目はそれまで確認できなかった奇形の生物である。

 深海の生物が上昇してきたとも言われているが、10メートル超過の双頭のウツボや20本以上の足を持つカニなどだ。

 海洋資源(うみのさち)として利用されるものがある一方で深海艇を沈める危険性がある厄介なやつらでもある。

 魚類はそこまででもないが、特に危険なのはエンジン音に釣られてやってくる哺乳類である。

 興味本位でつつかれただけでも挫傷する可能性があるのだから当たり前だ。


「そういや、今回の採掘ではあんまり大型魚類見なかったっすね」

「だな。峯岸もソナーで、大型魚類の魚影が少ないって言ってた」

「毎回、このくらい楽な採掘だったら良いんですけどね」

「そうも行かないのがこの稼業だよ。海藤からすれば溜まったもんじゃないだろうけどな」

「本当ですよ。給料増やしてください」

「今度、美味い蕎麦屋に連れてってやるよ」


 そんなくだらない話をしつつ食事を摂ると、迂回して『日本』に戻った。



***


 海洋都市国家『日本』。

 それは、巨大な巡洋艦の形をしていた。

 詳しい資料は散逸しているらしいが人口は35万人。

 畜産を含めた生産プラントと、『中国』『アメリカ』の次に多い原子力施設を積んだ巡洋艦である。

 太陽光を浴びることができる甲板は金持ちが中心に住んでおり、俺たちみたいな底辺層は船底近くでLEDライトの光を浴びながら過ごすのが一般的だ。


「それじゃ、今回の成功を祝って」


 第2層。

 最底辺のスラムに近い下層の居酒屋で俺たちは祝杯をあげていた。居酒屋といっても屋台に近い形式のもので、椅子は古い一斗缶に座布団を敷いたもの。テーブルはドラム缶に板を乗っけたものだが、石坂さんのおすすめだけあって味は確かだ。

 もちろん今回は奢りということもあって、俺も峯岸も遠慮なく酒を注文していた。

 今回の採掘場所は本当に良い発見だったと思う。

 回収した金属の中にレアメタルが含まれていたのだ。


「しっかし儲かったな今回は」

「石坂さん、あたしぃ」


 下戸に近い峯岸が焼酎を片手に石坂さんに擦り寄る。


「新しいエンジンが欲しいんですよう。ほら、NFG‐128もそろそろ買って三年になるじゃないですかあ。だましだましやってるんですけど、消耗が激しいんですよう」

「三年か。新型もあるし、いっそのこと買い換えるか?」

「嫌ですよう。NFG‐128とお別れなんて、寂しいですう」


 面倒な絡み方を始めた峯岸を尻目に、俺は居酒屋の客に目をやる。

 石坂さんのことだから危険なやつらが多い店ではないと思うが、日焼けした人間が目立つ。

 つまりは海産関係者が多い証拠である。

 筋肉質な集団は大体が大型魚類を狩ることで生計を立てる漁師だろうし、そうでなければ採掘業者(どうぎょうしゃ)だろう。

 日焼けするということは海に出るということだからだ。

 そんなことを考えながらタバコに火をつけた。


「石坂。ずいぶん景気がいいじゃないの」


 俺がそうやって客を眺めながら酒を舐めていると、後ろからそう声がかかった。

 振り返ると、そこには妙齢の女性がいた。

 ブルネットをシニヨンにまとめたかっちりした印象の女性だが、シニカルな笑みが近寄り難い雰囲気を醸し出している。


「よう、サーキースか」

「ジュディって呼んでって言ってるじゃない」

「残念ながら、俺が女性を名前で呼ぶのはベッドの中だけだ」

「それは残念」


 冗談とも本気とも付かない態度でジュディ・サーキースは近くの椅子を引っ張ってきて座った。

 当たり前のように一緒に飲むつもりらしい。


「良い採掘場所でも見つけたの?」

「いや、たまたまレアメタルを拾ってな」

「あら、羨ましい」


 ジュディはそこで店員を捕まえて何かを注文していた。

 ジュディ・サーキース。

 言わずと知れた大型の採掘業者、サーキース商会の会頭である。

 父親が社長らしいが、実際に現場を仕切る、女武者のような傑物だと聞いている。


「ねぇ石坂」


 ジュディは艶っぽい声で呼びかけると、シニカルな笑みを深める。

 海獣が獲物を見定めた時のような目である。


「ここのところ、『中国』がきな臭いじゃない?」

「ああ。海賊騒ぎか」

「そう言ってるわね。でも、私がツテで得た情報だと日本海溝を超えて深海艇を送り込むためだって話よ?」

「酒の肴にゃ良い話だな。奢ってやる」


 だから続きを話せ、と言外に石坂さんが告げると、ジュディは運ばれてきた海獣のステーキとワインのセットに舌鼓を打つ。


「私の聞いた話じゃ、旧佐渡ヶ島付近で『中国』船籍の採掘業者が拿捕されてる。きっと次々に旧神奈川沖(ここらへん)までやってくるわよ」

「燃料はどうすんだ? 流石に太平洋側までくればアシが出るだろ」

「そうは言うけど、実際中国は潜れる場所が少ないでしょ?」

「ああ。汚染が進んで使い物にならないらしいな」

「正直ジリ貧なんでしょう。あそこは『台湾』とも揉めてるし、『ロシア』とも最近関係が良くないからね。軍備を整えるためにも金属が欲しいみたいよ」

「『日本』と揉めてもか?」

「そうね。コバンザメも辞さないくらい、よ」


 コバンザメ。

 つまりは横取りや深海艇(イルカ)を座礁させての金属資源の確保である。

 剣呑な話題に俺は息を飲むが、石坂さんとジュディは笑いあったまま食事を続けている。


「それはそうと、最近サーキース商会も羽振りが良いみたいじゃないか?」

「ええ。従業員が総出で採掘できるくらいの大型鉱床を見つけたの」


 多分昔の工場地帯ね、と続けるジュディ。

 酷薄な笑顔はゾッとするほどに冷たいままである。


「そりゃ羨ましい」

「あなた方石坂商会が傘下に入ってくれるなら場所を教えるのも吝かじゃないんだけども」

「随分嬉しいことを言ってくれるね」

「石坂。あなたの鉱床発見に対する読みはウチも評価してるわ。危機管理に対する撤退の速さもね」

「そりゃ嬉しいが、あいにくと、俺は誰かの下につくのが嫌いでね」

「振られちゃったわね」

「ベッドへのお誘いなら歓迎なんだがな」


 空々しく笑うと、ジュディは切り分けた海獣のステーキを平らげて席を立った。


「まぁ気をつけることね。あなた方の船舶が『中国』の資源にならないことを祈ってるわ」

「そっちも従業員多いんだから狙われないように気をつけろよ」


 ワインを煽ったジュディが席を立つ。


「それじゃ、ごちそうさま」

「息災でな」

「あなたも」


 ジュディの姿が見えなくなって、俺は呼吸を忘れていたことを思い出す。


「っだは……! 何なんすか、今の。っていうか石坂さん、サーキース商会の会頭と知り合いなんですね」

「昔なじみでな」

「その割には剣呑な雰囲気でしたけど」


 俺の言葉に、石坂さんは愉快そうな笑い声を上げた。


「あの雰囲気は誤解されがちだが、実際にゃ悪いやつじゃあない」


 酒を煽った石坂さんはただな、と付け加える。


「サーキース商会の邪魔をすりゃ容赦なく叩き潰す女だ。もしやりあうことがあったら、それだけは気をつけとけよ」

「やりあうことなんかないっすよ。俺ぁただの深海艇(イルカ)乗りですよ?」

「違いない。ま、将来独立した時にでも参考にしてくれ」


 石坂さんはそういうと、完全に出来上がっていた峯岸を軽くあしらいながら店員を捕まえる。


「鉄板焼きそば三人前と石焼油そば一つ」

「健啖ですね」

「成功の秘訣だ。独立した時にでも参考にしてくれ」


 そういうと、にやりと笑った。


***


 海に潜るとき、頼りになるのは波形レーダーのみである。

 深海に入ってしまえば光はない。

 明かりを付けることはできるが、海獣を始めとする大型魚類を呼ぶことになるため、基本的には暗黒の世界での作業になるのだ。


 こおん。


 ソナーの音が響く。

 波形レーダーを視覚化するゴーグルが一瞬だけ歪み、そしてすぐに元に戻る。

 緑の線で構成された世界を眺めながらどんどん潜っていく。

 海獣を呼んでも面白くはないし燃料がもったいないのでしばらくはエンジンも待機状態のままだ。


 ただ、沈みながら周囲を眺めると、きらきらとイワシの群れが泳いでいるのが見えた。


「フライ食いてぇな」


 つぶやきながら天を仰げば、青白い燐光が遥か遠くに見えた。

 底辺職だということに変わりはないが、俺は沈んでいくところが好きだった。

 何かあれば海の藻屑と消える世界。

 死と隣り合わせのクソッタレな世界。

 でも、死に近づけば近づくほどに余計なものが剥がされ、ただ生きていることを感じることができる。

 は、と息を吐く音がする。

 どくどくと心臓が血液を体に送る動きを感じる。

 そうやって死を見つめていると、やがてマリンスノウが降り出す世界へと変わる。

 海水温が上昇した層と海水温が急激に下がる海底の水流がぶつかり、巨大な漁場となっているのだ。


「っと、早速か。今日はついてねぇな」


 波形レーダーが海獣の姿をとらえた。

 体長が10メートルを超える、巨大なサメだ。

 サメは俺の深海艇(イルカ)を餌だとでも思っているのか、ほぼ一直線に突っ込んでくる。

 その姿に、俺はイグニッションを回してエンジンを始動させた。

 同時にアクセルをフルスロットルにして引き剥がそうとする。


『大型魚類、来てるね。逃げ切れそう?』


 無線で峯岸の声がするが、応えるのは後だ。

 サメがしっかりと追いかけてくることに内心で舌打ちしながらも高速反転してサメへと突っ込んでいく。

 もちろんあの巨大な口で食らいつかれれば深海艇(イルカ)といえども航行不能になる可能性はある。だが、サメは一度目標を定めるとなかなか離れない。

 どうにかして追い払う必要があるのだ。

 有効なのは三つ。

 ひとつはマズルの根本に収納してある閃光弾。

 深海に住むサメに強い光を当てることで目をくらませる方法だ。

 石坂さんは遠慮するなと言っていたが、閃光弾も高いのであまり使いたくはない。

 二つ目はフルスロットルですっ飛んで振り切る方法。

 峯岸がカスタムし続けたこれなら無理ではないかも知れないが、サメの速度次第なのでこれもあまり良い手とは言えない。

 振り切れなければ後ろから食らいつかれて海の藻屑になるし、なにより燃料を食いすぎて深海底まで潜れなければ完全な赤字になるのだ。

 そして三つ目がこれから取る方法である。


「喰らえクソがっ」


 ガツン、と音がするほどにペダルを踏み込んでサメへと突っ込む。

 サメ自身もそれは想定していなかったのか、それとも気にしていないのか漫然と突進してくるので、ギリギリまで引き付けてからマズルを下げた。

 軟口蓋よりも下にマズルが当たり、凄まじい相対速度に負けてサメの喉が突き破れる。

 そのまま下腹部まで一気に掻っ捌くとサメは身をよじらせながら海水に血液をぶちまけた。

 一気に視界が塞がるが、慌てることはない。

 三角形の両翼から金属回収用のアームを出してサメの体をマズルから取り外す。


「さて、逃げますか」


 一人ごちると、再びこおん(・・・)とソナーの音が響いた。

 やべ。

 峯岸から無線連絡来てたの忘れてたわ。


『無事かー』

「おう、すまんすまん。無事だ」


 無線に応答しながらサメの死体を捨て、その場から離脱する。

 血の匂いに惹かれて他の海獣が集まってくるからだ。


 マズルについたサメの匂いを振り切るように高速で旋回すると、再びエンジンを切って沈むに任せる。


『無事なら良いんだけど。NFG‐128に怪我は?』

「どこも壊れてねぇよ」

『なら良い。帰ったら徹夜で整備かな』

「そりゃどうも」

『海藤のためじゃない。NFG‐128のため』

「さいですか」


 俺は不愉快な無線を切ってタバコを取り出す。

 長丁場にならなければ火を着けたりはしないが、空吸いでもして気分を落ち着けようと思ったのだ。


 トントンとフィルター部分を底にして叩いた後に口に咥える。

 ソナーに目を通すと、海底もかなり近くなっていた。


「さてさて。今日もレアメタルちゃんが出てくれるかな、と」


 両の手をパキパキと鳴らす。

 柳の下のドジョウではないが、レアメタルが同じ採掘場所から出ることはそれほど珍しいことではない。

 十分に可能性があると言えた。


 深海の砂土を巻き上げながらもアームで金属の塊を探す。

 鉄だけならば電磁石で引きつけて終わりなのだが、レアメタルともなればそうもいかないので手作業だ。

 予定時間は3時間。

 カニやらヒトデに邪魔されなきゃ良いが、と前置きしながら探していく。

 レーダーで目視できる情報ではクズしかないが、少しはいいもんもあると良いなぁ。


***


「海藤、またタバコ吸ったでしょ」

「ああ? 吸ってねぇよ」

「嘘。タバコの葉っぱが落ちてた」

「気ぃ紛らわすのに空吸いしてただけだ」

「そう。中で吸っちゃダメだから」

「分かったよ」


 戻って10分。

 俺はご機嫌斜めの峯岸に捕まっていた。

 理由は至極単純。

 サメを殺した時にマズルが歪んだのだ。

 そもそも深海艇(イルカ)の外壁なんぞ耐久消費物だってのに峯岸は納得行かないらしく、睨むように俺を見つめ、憐憫の視線で深海艇(イルカ)を見ている。


「私のNFG‐128がこんなになっちゃって……」

「仕方ねぇだろ、大型魚類とやりあったんだからよ」

「こんなに鼻が曲がっちゃって……」

「こんくらいだったらまだ使えるだろ?」


 俺の言葉に峯岸は目を吊り上げる。


「このくらい!? このくらいですって!?」


 いきり立った猫みたいに俺に詰め寄ると上目遣いに俺を睨みつける。

 可愛くねぇ。


「海藤だって鼻の骨が折れても生きてはいけるでしょ?! でもそのままで良いとは思わないでしょ!? そういうことなんだよ!?」

「……骨折ってほど曲がってるか?」

「NFG−128と海藤じゃ価値が違うんだよ!」

「ちなみにどのくらい違うんだ?」

「レアメタルと鉄くらい!」


 買取価格で約1200倍か……。


「まぁでも、そんなにひどいならパーツ交換できるだろ?」

「そこまでひどいわけないじゃない! うー、石坂さん、絶対予算降ろしてくれないよ」

「石坂さんがダメっつうならそのくらいの壊れ方ってことだろ」


 俺の言葉にさらに目つきを悪くする峯岸だが深海艇(イルカ)の影から石坂さんが現れる。

 何故か丼入りのトレイを片手に持っている石坂さんは涙目の峯岸に丼を渡す。


「これでも食って元気出せ」

「釜玉うどんですか?」

「ああ。温かいもん食って腹いっぱいになると落ち着くぞ」


 そう言って俺にも同じものを渡してくれる。

 鰹節と醤油の香りが暴力的なまでに俺の鼻腔をくすぐる。


「ごちそうさまです」


 そう言って受け取ると、中央に載せられた生卵の黄身を割る。

 行儀悪くそれをかき混ぜると、一気に掻き込む。

 極太うどんに絡む卵の滑らかさと、そこから香る醤油の塩気が最高に美味い。

 噛むとアクセントとして鰹節の香りが強く昇り、それもまた心地いい。

 毎回毎回麺ばかりの石坂さんだが、かなりのアレンジメニューと麺の種類をストックしているらしく、食べ飽きることはない。

 もちろんコメとかパンが食いたいときもあるが、それは丘で食えば良いので我慢だ。

 うどんを掻き込みながら横目で峯岸を見れば、不満そうにしながらもふーふーとうどんに息を当てる峯岸がいた。

 石坂さん?

 俺と同じく釜玉うどんを啜っている。

 釜玉うどんを食ってて絵になる40代ってすげぇな。


「美味い。やっぱり落ち込んでるときは麺だよね」

「そんなこと言いながら、嬉しい時も麺類じゃないっすか」

「麺類ってのは喜怒哀楽全部に対応しているのさ」

「哲学ですね」


 ようやくうどんを食べ始めたらしい峯岸が呟く。

 哲学?

 ただの麺類中毒じゃねぇの?

 俺の怪訝な顔を見てか、峯岸は言葉を付け足す。


「理解できないということでは、麺類マニアと哲学は同類」

「酷い言い草だね。至言だと思ったんだが」


 悲しそうな顔をした石坂さんが俺へと視線を送る。

 なんだその、海藤なら分かってくれるよね、的な視線は。


「海藤なら分かってくれるよね?」


 うお。

 一字一句違えずに質問が飛んできた。


「……うっす」

「嘘。絶対分かってないよね」

「いやいや、麺類美味いし」

「長いものに巻かれたな」

「麺は長い方が良いよ」


 流石に意味がわからないが、ともかく理解できたことはひとつ。

 石坂さん、深海艇(イルカ)の予備パーツに予算降ろす話誤魔化すつもりだ。

 いや、別に俺としては使えればどっちでも良い……っていうかむしろ節制のために閃光弾とか使わなかったんだからその方がありがたいんだけど、絶対後で気づいた峯岸に八つ当たりされるよなぁ。

 ああ面倒くさい。


 そんなことを考えながら、釜玉うどんをすすった。

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