二日目 午前十一時~ 3
その者は少女であった。髪は長かったり短かったりと長さばバラバラで、毛先は乱れに乱れ、土か何かで汚れている。着ている半袖半ズボンもまた汚く、袖や裾もちぎれちぎれになっている。
まるで以前襲ってきた、獣のような女達に雰囲気が似ていた。やや猫背の状態で、口を大きく開けて下をだらんと舌を垂らしている。
顔は汚れているものの、中性的で整った顔立ちをしており、美少女とも美少年とも呼べるような容貌であった。見たものに幼さを感じさせる雰囲気がある。
そしてなにより目を引くのは、右手に握られた一振りのナイフだ。刃の先からは赤い液体が滴り落ちていて、おそらくはナナミの右腕に傷をつけたものだろう。
つまりは、襲撃者。
「っ、誰だ、お前」
タダヨシは痛む左腕を押さえながら、立ち上がって叫ぶ。
ナナミを見下ろしていた襲撃者は、タダヨシの方へ視線を向けると、僅かに浮かべていた笑顔を表情から消して、
「なんだ男ッスか。なんで男がこの島にいるんスか? ここには女しかいないってアスタロトの野郎も言ってたと記憶してるんスがね~」
「何、お前、この島について何か知ってんのか?」
「さぁね~、男には興味ないから、答えるつもりはないッスけど」
目の色に危険なものを灯し、手にしたナイフを眼前に翳す。
そして座り込むナナミを再度見下ろし、
「こんないい女を連れてきてくれた事にはほんと感謝ッスよ」
久しぶりの獲物を目の当たりにした肉食獣のような表情で舌なめずりをした。
「……ひっ」
危険な空気を感じ取ったか、ナナミは立ち上がろうとするが、そこへナイフを持った少女が足払いをかける。
「ぐっ!」
盛大に腰から地面へ倒れこんだナナミ。
その上にナイフ女が、狂った目と口が裂けるぐらいの笑みを浮かべ、馬乗りにならんとばかりに勢いよく飛び上がる。
「うおおお!」
少女の動きの俊敏さに反応が遅れながらも、タダヨシは気合を入れて右肩から突進し、ナナミに襲い掛かろうとする彼女を跳ね飛ばす。
数回ごろごろと体を回転させた後、少女は片足で軽く地面を蹴りつけ、跳ね返ってくるかの如き勢いでタダヨシめがけて飛び掛ってきた。
人間技とは思えない動きに怯んでいる隙を突き、少女は強烈なドロップキックをタダヨシの胸元へと繰り出す。
「がああっ!」
肺を貫くような衝撃に足が止まるタダヨシ。間髪入れずに放たれた左拳を顔面に喰らい、数歩後退してしまう。
「邪魔すんな。男は対象外なんスから、下がっててくださいッス」
ナイフ女は倒れていたナナミの胸倉を掴むと、動かないようそのまま地面に押さえつける。
「うっ!」
頭を叩きつけられて痛むナナミの腹の上に跨り、少女は改めて舌を垂らす。
「うひひ、たまんないッスなぁ、きひひ」
不気味な笑い声を発しながらも、目の奥の殺意は本物だ。冗談でやっているとは到底思えない。
「このっ、どきなさい、よ!」
体を暴れさせて抵抗するナナミだが、ナイフ女は右手一本で彼女の体の動きを封じ込める。ひ弱そうな体のどこにそんな力が秘められているのかと思うぐらいだ。
「だーめ、久しぶりのまともな女なんだから、逃がさないッスよ」
笑顔を絶やさず、少女はナイフを握る右手をゆっくりと掲げる。
「チッ!」
ぐらぐらとする意識を必死に保ちながら、タダヨシは懐へと手を伸ばす。
「……勝手な事、してんじゃねえぞ!」
そして回転式拳銃を取り出すと、迷わず撃鉄を下ろし、引き金に指をかける。
気付いた少女は、しかしナナミの上からは離れようとはせず、面倒臭そうな感じで視線を向けてきた。
「しつこいッスね。てか、なんでお前男なのにこの島にいるんスか?」
「さぁな。この島も、この島での儀式も俺はなんも知らない。だが俺は儀式に参加させられてる女達を助けて島から脱出するつもりで行動している。お前はどうなんだ、この島に連れてこられた人間か?」
ナイフ女はしばらくきょとんとして、笑いをこらえるように頬を膨らませて、
「くくくくくくく……男のくせに、弱っちぃ話ッスね。男のくせに、いるだけで女と遊べるこの島から逃げようとするなんて」
「……お前、この島の何を知ってる」
「何も知らないッスよ。ただいるだけ」
そう言うと、少女は再度ナナミの体を舐めるように見回し、右手をさらに高く上げる。
「悪いッスけど、男の指図は受けないッスよ。ワタシ、女にしか興味ないスから」
ナナミの美貌を眺めながら、タダヨシに向けての言葉を放つ。
そして次の瞬間、ナイフを持つ右手が動いた。
「待て、撃つぞ!」
「勝手にしろッス。女をやれるなら、撃たれても構わないッスから」
脅しが効く様子が全くない。
(くそっ、病んでやがんな!)
一瞬引き金を引くという考えが浮かんだが、それは最終手段だ。相手が手に負えない場合に仕方なく選ぶべき行動だ。
何か、それ以外でナイフ女を止める方法はないか。
ナイフがナナミの肌に届く数秒の間に、思考を巡らせる。
(ナイフ女、女好き……っ!)
そして、ある一つの考えが浮かび上がった。
タダヨシは拳銃を持った手を下ろし、
「俺も女だ! 俺を襲え!」
全くの出鱈目を草原いっぱいに響くような大声で、タダヨシは叫んだ。
その言葉にナイフ女は動きを止め、ナナミも襲われているのを忘れたかのように、視線をこちらへ向けてきょとんとしていた。
辺りに吹く風の音が弱まるまで、沈黙は続いた。
「くくくくく……ないない、お前はどっからどう見ても男ッスよ」
ナイフ女は嘲るように笑い、ゆっくりと腰を上げる。
猫背で舌を垂らした不気味な佇まいで、ナナミを跨いだまま、ナイフ女はさらに言う。
「どうせこの女を助けるための嘘ッス、バレバレッス」
「チッ……!」
まぁバレて当然なのだが、今度こそ手詰まりだ。
こうなったら実力行使しか、ナナミを助ける手段はない、拳銃を再び構えようとするが、
「男らしいッス、いいッスいいッス、女を他人に奪われるのは我慢ならないッスよね」
そう言うと、ナイフ女は後方に飛び退き、ナナミから離れた。
「くっ……!」
そこへ解放されたナナミが右腕をかざし、ナイフ女へと向ける。
「おい、よせ!」
見えない衝撃を撃とうとしたのだろうが、右腕の傷が痛むのか顔を歪めて動きを止める。
「くくくくく……つまんないッスね。それに時間掛けすぎて萎えたッス。その女はまたの機会にするッスから、待っててッスね」
ナイフ女は一方的に言うと、獣のように両手両足を使って全速力で立ち去っていく。
「待て! 何者だお前!」
タダヨシの叫びを尻目に、ナイフ女は口にナイフを咥えた状態で駆け抜け、あっという間に背の高い草の海の中へ姿を消した。
追いかけようとするが既に遅く、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。
「くそっ、なんなんだよ、あいつ」
また無駄に撃鉄を下ろしてしまった拳銃の引き金から指を外し、タダヨシは吐き捨てる。
静けさを取り戻した草原には、昇りきった太陽の日差しがさらに強さを増して照り付けていた。