二日目 午前十一時~
ぼんやりとした何かが、視界を埋め尽くしている。
それは自分が求めていた何か。必死に追っていた何かだ。
黒と赤の色が蜃気楼のように目と脳内に溢れていた。その狭間に、薄っすらと人の影のようなものがゆらゆらと今にも消えそうなくらい弱々しくもそこにあった。
少女。飾りっ気のない、肩を常にすくめた、怖じ怖じとしているのが不安定な視界を通してでも見て取れた。
そしてその姿に、彼は見覚えがあった。彼は自分が求めていたのが彼女だと思い出した。
正しくは、捜し求めていた、だ。
なぜ彼女を捜し求めていた? 彼はそれを必死に思い出そうとする。
そしてやがて、記憶の片鱗が浮かび上がってきた。
(ヤ……イ)
少女の名前、その一部を思い出すと同時、ぼやけていた少女の姿の輪郭がはっきりとしてきた。
それは自分が捜し求めていた少女の姿に間違いはなかった。
少しだけはっきりと見えてきたその少女は、彼に向かってある言葉を叫んだ。
それは彼の記憶の中にあった、彼が最後に聞いた彼女の言葉であった。
「タダヨシ!」
「っ!」
どれくらい気を失っていたのか、タダヨシが目を覚ますと高い洞窟の天井が視界に映った。
軽く動かした手に、無数の石の破片の硬い感触が伝わってきて、自分が気絶する直前に起こった事が脳内に蘇ってくる。
「ヤヨイ!」
上半身をバッと起こして、タダヨシは自分が探していた少女の名を思わず叫んだ。
そして、目の前に座り込んで、タダヨシの様子を眺めていた金髪女と、視線が重なった。
「……」
「……目覚めの気分はどう?」
やや面倒臭そうに目をひそめて、金髪女はあぐらをかいた状態で、タダヨシを見下げながらそう言った。
「……まぁまぁだ」
適当に答えて、タダヨシは頭を抱える。
(夢だったか)
自分が気絶していた事を思い出したタダヨシは、目の前にいる女に質問する。
「直撃、したと思ったんだがな」
タダヨシ達に向けて岩を投げ飛ばしてきた謎の筋肉質の男。その男の砲弾のような速度で投げられた岩の衝撃によってタダヨシは気を失った。
だがそもそも、あの時岩はタダヨシをそのまま押し潰すようなコースで飛んできていた筈だ。咄嗟の事でほとんど見て無かったが、彼の体にはそれらしき怪我をした様子はなかった。破片が掠って小さな傷は幾つか出来てはいるものの、骨折や打撲をしてるような痛みは感じられない。
そして金髪女の方も、服などに若干傷はあるものの、持ち前の美貌と抜群のスタイルを保ったまま彼の目の前にいた。
「私が壊したのよ。これでね」
そう言って金髪女は右手を掲げる。
木を一撃で吹き飛ばす見えない衝撃は、あの物凄い勢いの岩でさえ砕く力があったようだ。
「……そうか、助けて貰ったんだな。すまない」
「別に、自分が助かるためにやったら、たまたまあんたが助かっただけでしょ」
フンと顔を背ける金髪女。
「そういやまだ名前を聞いてなかったな、教えてくれよ」
「……アサモトナナミ」
彼女の名前を聞けて安心したタダヨシは、痛む体に鞭を打って立ち上がり、暗い洞窟の中を見回す。
「俺達を襲ったあの野郎はどうなった?」
「さぁ。私が気付いた時にはもういなかったわ。あんたのお仲間でも追っていったんじゃない?」
「お仲間……? あっ!」
周囲に視線を飛ばし、ルナとアナがいない事に気付くタダヨシ。
「おい! あいつらはどこだ!?」
「だから知らないっての。いなくなってた」
「……っ!」
タダヨシはルナ達のいた岩陰に向かって走る。
そこには岩が直撃して砕けた跡こそあったが、血痕がない事から少なくとも怪我を負わずにこの場を離れたのだろう。
「追わないとな……アサモト!」
金髪女を呼ぶと、彼女は面倒そうに立ち上がって、
「何よ、大きな声出さないでよね」
「俺はこのまま進む。お前にもついてきて欲しいんだが、いいか?」
「……何よ、今更確かめなくても」
髪を片手でいじりながら声を漏らすナナミに、タダヨシは一つ疑問を問いかける。
「お前、なんで俺が気絶している時に、俺を殺そうとしなかった?」
説得したとはいえ、ナナミはタダヨシ達に敵対心を持っていた。彼が気絶している内なら楽に殺害出来た筈だ。
島から脱出するための手段である他人の殺害、それをそう簡単に、しかもチャンスが目の前にあるというのに簡単に諦めきれるとは思えない。
タダヨシの質問に、ナナミは動きを止め、それから溜め息をついて、つまらなそうに答える。
「あんたの言う通り、私を連れ去った奴の言葉を信じるのも馬鹿馬鹿しく思えてきてね。しばらく様子見した方がいいと考えただけよ」
「……そうか、助かる」
フン、と鼻を鳴らして、ナナミは顔を背ける。
「じゃあ早速進むが、いけるか?」
「えぇ、気にしないで」
「分かった」
ナナミの調子が悪くないのを確認すると、タダヨシは洞窟の奥に向けて歩みを進める。
同じような光景がしばらく続き、所々には何か硬いものがぶつかったような跡が出来ていた。ルナ達が怪我をした形跡が見つからないよう祈りながら、警戒心を強める。
「あんた、怖くないの?」
後ろで豊満な胸の前で腕を組みながら、ナナミが尋ねてきた。
「ん、どっちかといえばお前に背中を見せてる方が怖いかもしれねぇな」
「はぁ? なによそれ」
冗談交じりのタダヨシの言葉に、ナナミは露骨に顔を歪めて不機嫌そうになる。
「それに、お前の方が怖がってないように見えるぞ。ルナ達とはかなり違うな」
「……まぁ、一応武器も持ってるし」
彼女の右手から撃ち出される見えない衝撃。まるで超能力とも思えるぐらいの現象を、彼女は起こす事が出来る。
「どういった原理なんだ? 何か手に仕込んでるのか?」
「そんな訳ないでしょ。撃てるようになってたのよ。気がつくと」
そう言ってナナミはぼりぼりと首元を掻く。
よく見ると、彼女の首元には赤黒い蜘蛛の様な形の跡が出来ていた。
まるで、ルナの右腕に出来ていた傷と同じようなものが。
「おい、どうしたそれ」
思わず足を止め、彼女の首元を指差すタダヨシ。
「噛まれたのよ。変な全身青の男に。その後白い変な粉をかけられた。その後からこんな風になって、超能力じみた事も出来るようになった」
「何だって?」
ルナも青男、つまりはアスタロトに傷をつけられ、白い粉をかけられたと言っていた。その後赤黒いグロテスクな跡が浮かび上がっていた。ナナミの首のそれとあまりにも共通点が多い。
違うといえば、切り傷か、噛み傷か、という点だ。
それにもしその傷が、ナナミの見えない衝撃と関係があるのだとしたら、ルナもひょっとすると超能力じみたものが使える可能性がある。
いや、儀式の参加者である以上、アナにも十分あり得る事だ。
「ていうか、あの野郎、なにやってんだ」
アスタロトという男の意図がまるで見えてこない。今のところ訳の分からない事を言って、女達に傷をつけて粉をかける、精神異常者のようにしか思えない。
そもそも全身青色で、突如現れては消え、マンガのような剣を持っている時点で、得体の知れない存在であるのだが。
益々この島のどこかにいるヤヨイの身を案じるタダヨシ。
「で、これからどうすんの? やっぱり残りの女も全員助けるつもり?」
「当たり前だ、なんのためにお前を捕まえたと思ってんだ」
「……そう」
それきり口を閉ざして、ナナミは首の傷を押さえながら、黙ってタダヨシの後をついてくる。
タダヨシは新たな同行者を先導しながら、自分が探し求める少女と、はぐれた二人の女を探して、出口を目指して洞窟を進んでいく。
その彼の中にはこれまで以上の不安と焦りが渦巻いていた。