プロローグ
月明かりも雲に隠れてほとんど届かず、漆黒の闇に染まった海原を進む一隻小さなクルーザーがあった。
本土を出発してどれくらい経ったかも分からないほど長く夜い海を進み続けて、やっと進路の先に一つの小さな島が船のライトによって浮かび上がっている。
それをクルーザーの二階の窓から確認した一人の青年は、怪訝そうに目を潜めて落ち着けていた腰をゆっくりと上げる。
と、下の階から男達の話す声が聞こえてきた。
会話から察するに、どうやらあの島がこのクルーザーの目的地らしい。
青年は音を立てないよう階段の中ほどまで降り、会話をよく聞こうと息を澄ませる。
彼はこの船の正式な乗員ではない。
とある人物を追ってこの船に乗った青年だったが、どこへ向かうか、この船にいる人間がどういう者達なのかも分からないまま飛び乗ってしまったのだ。当然見つかればただじゃ済まないであろう。
そもそも彼等が何をするつもりで少女を誘拐し、船を出しているのかという情報すら持ちえていない、これからどう行動すべきか、考えようにも情報が少なすぎて選択肢が出てこない。
「そろそろ着くな」
一階にいる三人の男の内の一人が、そう口を開いた。
彼等は服装も年齢もばらばらだ。それぞれが物々しい雰囲気を放つ短機関銃を携えている。どこから手に入れたのかは見当がつかないが、エアガンとも思えない重々しさを持っている。
「あの女で七人目だよな?」
あの女、とはおそらく青年が探していた少女の事だろう。
同じ舟に乗ったのはいいが、青年がいるとことは別の船首側の部屋に入れられているらしく、確かめようにもここを動けない以上、思念は彼女の様子を確認出来ないでいた。
「あぁ。やっと始められるな。待ちくたびれたぜ」
「準備に三ヶ月近くかけちまった。最初に捕えた奴の世話に結構金かけた事、怒られやしないか?」
「大丈夫だろ。儀式さえ出来れば、王様も万々歳だろうからな」
何を意味している会話か分からず、青年は一つでも多くの情報を集めるため、さらに聞き耳を立てる。
「大体、大金をやるって言えばどんな奴も血眼になるんじゃねぇか? だったら候補者ぐらいすぐ集められるだろ」
「馬鹿だなお前。同じ地域か同じ時期に同時に何人も人が姿を消したとなれば、警察に怪しまれるだろうがよ。事が大きくなれば、さすがの黒田家でも揉み消しきれないぜ」
「まぁ別にいいじゃねぇかよ。このまま行けば儀式は始まるし、もう俺達の世代で儀式を行う事はねぇんだからさ」
男達の間で静かな笑いが起こる。
(何の話をしている? テロか?)
会話から、彼等が人間を集めている、というのは確かだろう。
青年もとある少女の行方を追っていて、彼女が謎の集団にこの船に連れ込まれるのを見て慌てて飛び乗ったのだ。
(問題は、彼等が人を誘拐して何をしようとしているか、だな)
儀式、と呼ばれるものが何なのか、誘拐した人を使って行われるようだが、具体的には何なのか。
尽きぬ疑問を解明したいという好奇心が少年を突き動かし、身を乗り出してよく会話を聞こうとする。
その時、ゴトッという重い音が、クルーザーの船室内に響き渡った。
「誰だ!」
一階の男達は突如顔色を変えて、船内を見回す。
驚きながらも声を出さなかった少年は、音のした足元へと目をやり、音の原因を確かめる。
それは青年の着たジャケットのポケットに入っていた、護身用の拳銃が階段の上で落ちた音であった。
(っ、しまった!)
青年は慌てて拳銃を拾い上げるが、同じくして下にいた男の一人が階段を覗き込み、運悪く彼と目が合ってしまった。
「そこか!」
「くそっ!」
階段を駆け上がって逃げる少年に、男は持っていた短機関銃の銃口を向けて引き金を引く。
連続した発砲音と共に弾丸が発射され、少年の近くの階段や壁に瞬く間に穴が開けられたが、それでも怯まず、少年は流れ弾が当たってヒビの入った窓を蹴破り、そのまま外へと飛び出した。
直前で躊躇したため、海にそのまま飛び込むというのは避けられたが、船のに腰をぶつけ、激痛が少年を襲う。
「ぐっ……!」
しかし痛みが引くのを待たず、船内から男達が出てきて、間髪入れずに銃を構える。
「まずいっ!」
銃撃される前に狭い通路から甲板へと飛び出し、なんとか回避するも、もう一つの船室にいた他の男達が騒ぎを聞いて飛び出してきて、青年の姿を見るなり険しい表情で銃を構えてくる。
追い詰められた青年は辺りを見渡す。
と、開いた扉から船室の中を垣間見る事が出来た。
距離が遠くてはっきりとは確認出来なかったが、一人の少女が捕えられている姿が少年の目に映った。
それは、青年がこの船に飛び乗ってまで追ってきていた少女であった。
自分が危機的状況にある事も忘れ、青年は彼女の名を叫ぶ。
「ヤヨイ!」
青年の声に、元気なく俯いていた少女はハッとして顔を上げた。
その少女の顔は、紛れも無く青年の探していた少女のものであった。
少年はその事にほんの刹那だけ安堵すると、これだけ武装した男達を突破して彼女は助けるのは不可能だと直感し、背後に見える島を見据える。
まともに光すらない不気味な島。
おそらくはこの船の目的地。
そうだとしたら、少女を助けるのはここでなくてもいい。あの島にどうせこの船の人間も行くのだから。
ここで死ねば少女を救う事も出来ない。まずはこの状況を脱するのが先決だ。
青年は覚悟を決め、甲板から海に向かって走り出す。
まさか夜の海に飛び込むとは思っていなかったのか、男達は一瞬だけ呆気に取られ、直後一部の者が背を向けた青年に向けて発砲する。
運良く弾は青年を直撃する事はなく、そのまま船首から黒く染められた冷たい海めがけて飛び込んだ。
海に落ちる音が聞き取れなかったのか、男達の内の一人が海を覗き込むが、視界の悪さとクルーザーのエンジン音のせいで、彼を見つける事は出来なかった。
そして、クルーザーは何事も無かったかのように、海に浮かぶとある島へ向かって進んでいくのだった。