94 油断大敵
夏休みはそんな感じでバイトと犬の散歩で終わった。あと、ミキちゃんも加えて三人での『夏休みの宿題を片付ける会』。このゲームで特に夏の思い出が残らないのはいつものことである。今回は海デートがあったぶん、思い出が多かったほう。
アヤちゃんと私の距離感は、いつもの周回よりは近い感じはするが……。勉強会のときにふと手が触れあったりすると、アヤちゃんがソワソワするし。
ドッグランの帰りに私が買ったアイスを『ひとくち食べたいな?』なんて言ってきたりするし。私が口をつけた後で。
まあそんなこんなで夏の思い出はいろいろあったりなかったりするが、いよいよゲーム内時間も秋に入って攻略も中盤である。
そして犬ルートの攻略には何の役にも立たないが、それでも学校では体育祭も文化祭も開催される。
体育祭では燃えるタイプのミキちゃんががんばったり、すぐにまた中間テストだねとアヤちゃんが言って青くなったり。
そんな九月の終わりごろ(ゲーム内時間)のことだった。
中間テストが近いので、私はしばらくバイトのシフトを離れていた。久しぶりにアヤちゃんと私、中村さんと小林の四人でのんびりと散歩をする。
いや、『アヤちゃんと中村さん』、『私と小林』と言ったほうが妥当か。
ドッグランで親睦を深めたハヤテちゃんと桃太郎は、公道でも並んで歩きたがる。必然的にアヤちゃんは中村さんと歩くことになり、私は小林にアンジェリカのリードを渡して並んで歩く。
アヤちゃんと中村さんは、犬たちのお気に入りのドッグフードのこととかおもちゃのこと、健康対策なんかについて話しているようだ。
話題が犬限定だが、初心者飼い主のアヤちゃんには重度の犬オタクである中村さんの話も参考になっている様子。話がはずんでいる。
そんな二人の会話に、私と小林はなんとなく耳をそばだてる感じになっている。
まあ、いつもどおりアンジェリカのせいで、私たちのほうが前を歩くことになっているのだが。リーダーを気取りたがる性格はどうにか治らないのか、アンジェリカ。
すると急に、
「ど、どうしたの桃太郎!」
アヤちゃんのあわてた声がした。
振り返ると全速力で横道に飛び込んでいく桃太郎と、引っ張られて行くアヤちゃんの後ろ姿がかろうじて見える。
「あ、アヤちゃん? どうしたの」
私もびっくりして声を上げる。
「俺が追いかける。小林、お前たちは後から来てくれ」
そう行った中村さんも、半ばハヤテちゃんに引きずられていた。桃太郎とハヤテちゃん、最近シンクロ率が高すぎだろう。
とにかく、私たちが唖然としているうちに二人は横道に入って視界から消えてしまった。
「どうしたんだろう」
小林がポカンとして言う。
「と、とりあえず私たちも追いかけてみます?」
私もわけがわからないままにそう言う。
「そ、そうだね。行こう、山田さん」
ということで追いかけようとしたときだ。
「あら? あらあらあら、アンジェリカちゃんのお兄ちゃん。こんなところで偶然ねえ」
うちの愛犬の名を呼ぶ声が。
「あ……。ギヨーム三世のママさんとパパさん」
小林が目をぱちくりさせて足を止めた。
私たちに声をかけたのは上品そうな老夫婦。と、堂々とした体躯(婉曲な表現)のポメラニアン、ギヨーム三世。
ドッグランの常連さんで、アンジェリカともよく遊んでくれる鷹揚な性格のワンコだ。(動きが鈍重なので避けるのが億劫なだけかもしれないが)ちなみにその立派な名前は三代目の飼い犬だからというわけではなく、ご主人が『カッコいいから』という理由で名付けたそうである。
「こんにちは」
バイト先ではないとはいえ、あちらはお客さま、私はスタッフ。つい丁寧に頭を下げてしまう。
「あら、礼儀正しい。かわいらしいわね」
ホメられた。スタッフユニフォーム(ださジャージ)じゃないからかな?
そしてとりあえずキャンキャンと吠えてギヨーム三世を威嚇するアンジェリカ。本当にその性格をなんとかしてくれ、お客さまには丁重に接してほしいのだが。
「あらあ、アンジェリカちゃん、今日も元気ねえ」
にこやかにおっしゃるギヨーム三世のママさん。そして無言でアンジェリカをなでなでするパパさん。ドッグランで『人間にチヤホヤされる楽しみ』を覚えた女王さまことアンジェリカは、得意そうになでられている。人間のお客さまに威圧的な態度に出る恐れがなくなったことはありがたい話だ。
小林に対してだけは相変わらず威圧的なのだが、あいつはアンジェリカの中で人間にカテゴライズされていないのだろうか。
「あ、こ、こんにちは。奇遇ですね」
小林も挨拶して、流されるようにギヨーム三世をモフっている。それがアンジェリカの気に障ったのか、更に吠え声が高くなった。『私の下僕を横取りする気なの? 身分をわきまえなさい』とでもいったところか。どうしてこんなに女王さまなんだ、アンジェリカ。
「こら、アンジェリカ。静かに」
私が注意すると、アンジェリカは一応吠えるのをやめる。まだうなっているけれど。この犬の相手をしていると、教育というものの限界を感じる。しつけや教育では、先天的な性質を変えることはやはり無理なのだろうか……。
私が無常観にひたっていると、
「あらあら、仲がいいのね」
ギヨーム三世のママさんに、すごく優しい目で見られた。んー、なんだろう。さっきからどうも、対応に違和感がある。
「お兄ちゃんにこんなかわいい彼女さんがいたなんて。アンジェリカちゃんも嬉しいわねえ」
あ、そうか。この人たちは、アンジェリカを小林の飼い犬だと思っているんだ。
それなのに私がアンジェリカを叱ったから、私と小林をかなり親しい仲だと思ったのだろう。
「あ、いえ。そうじゃないんです。実はアンジェリカは、私の犬なんです」
あわてて説明する私。それは確かに、今の目標は小林とそういう仲になることではあるのだが、今の段階でこういうことを言われて攻略に悪影響があると困る。『一緒に歩いて噂になったら恥ずかしいし』とか言われたら、どうしたらいいのか。
「あら、そうなの?」
面食らった様子のママさん。
「そ、そうなんです。俺は遊んでるだけで……」
小林もうなずく。ママさんはわかったというように満面の笑みを浮かべた。
「彼女さんのワンちゃんだったのね。あらあ、そうだったのねえ。お似合いよ、あなたたち」
爆弾投下。
小林が凍りついたのを私は見た。何をしてくれるんだ、このオバサン。これで小林の態度が硬化したらどうしてくれるんだ。
うまくいきはじめたと思ったとたんにコレだよ!




