9 マスター攻略
さて翌日。『あと一歩』という梨佳の言葉を信じて、とりあえずマスターを攻略することにする。
昨日のデータの途中から始めるが、あえて『マスター熱騒動』のところからリスタートを選択。
理由? そんなの。
梨佳はあれをイベントだと主張するけど、私にはそう思えなかったからに決まっている!
バイト先に行ったらマスターが具合悪そうだったから『今日はやめましょうよ』って言って、ドラッグストアでスポーツドリンクと解熱剤とゼリー買ってきただけだよ? 甘い雰囲気とかゼロだったよ?
納得いかねー。心の底から納得いかねー。完全に、日常シーンの延長だったってば。
ということで、どの辺に甘さがあったのかもう一度体験してみようというわけである。
時は十月終わり。昼前にマスターから電話がかかってくる。
「山田さん? 今日、シフトじゃないのに悪いんだけれど来てもらえませんか?」
昨日プレイした時は佐藤くんの試合を応援に行く予定だったから迷ったのだが。今はもう佐藤くんは当分いいやという気持ちになっているので即答する。
「分かりました。すぐ行きます」
「ありがとう。ごめんなさいね」
改めて聞くと声が枯れていて少し咳き込んでいた。
で、服を着替えてバイト先へ。まだ春物・夏物・秋物と各シーズン一組ずつしか私服がないんだけれども。このゲーム、生活苦ハンパなさすぎ。
「こんにちはー」
声をかけて店に入る。マスターは赤い顔をしてカウンターに立っていた。
「すみませんね、山田さん。ちょっと一人では辛くて」
いつも無口なマスターがいつになくしゃべっているのは、もしかして熱のせいでハイだったのだろうか。
しかし。
攻略対象と言われて改めてマスターを眺める。
確かにマスターはそれなりに整った顔立ちをしている。手足も長いし、若い頃はカッコ良かったかもなーという雰囲気を漂わせている。
更にしかし。
ヒゲに白髪混じってるし。おなかの辺りはどことなく丸みを帯びているし。
やはり、ひとことで言って『オジサマ』である。
恋愛対象として見れねー。うちのお父さんと同じくらいのオジサマと愛を語るとかキビシイ。
ハードル高いな、このゲーム!
私はフツウにキラキラした美形キャラと恋愛したいんだよー!
そんなことを考えているうち、マスターがふらついてカウンターに手をついた。
おっと、攻略攻略。
これはゲームなんだから。そして仕事なんだから。五百万のことだけ考えて頑張るのよ咲!!
「大丈夫ですか? 具合が悪いんじゃないですか?」
昨日は自然に出たセリフを、今日は棒読みで言う私。
「少し熱がね。大したことはないです」
さすがNPC。棒読みでもそのまま対応してくれる。
「顔が赤いですよ。無理なさらない方がいいんじゃないですか」
またも棒読みな自分。
「いえ。大丈夫です。すみませんが、山田さんは客席の方を」
そう言ったマスターが再びよろける。
とっさに手を出してしまった。
カウンターに手をつこうとしたマスターの手が、私の手の上に。
熱い。
いつもキッチンでコーヒーを淹れているその手は、思っていたより大きくて力強かった。
心臓がドキンとする。
ゲームなのに感触がリアルすぎて。
見上げるとマスターの顔と肩が近くて。
おヒゲにふちどられた唇の、熱に浮かされた赤さが生々しくて。
自分の頬も熱くなる。
ちょっと待て自分、何オジサンにこんなにときめいちゃってんのー?!
何か、新たな自分を開発されてる気がしますよ!
「すみません」
マスターがあわてたように手を引いた。昨日はなかった展開。
攻略を意識していたためか、昨日よりいくらか立ち位置が近かった。そのわずかな違いが展開の差を生んでいる。
さっきは所詮NPCだと思ったけど。意外に繊細なのか、このゲーム。
「あ、あの。やっぱり熱があると思います」
私は言った。
「今日は無理なさらない方がいいんじゃあ」
「そうですね。こんな有様ではお客様の相手は出来ませんね」
諦めたように言うマスター。
「せっかく来ていただいたのにすみません。今日は臨時休業にします」
「あ、あの。風邪薬とか、ありますか?」
昨日言ったことを繰り返しているだけなのに、なぜか声がうわずっている私。
「ああ。切らしていたかなあ」
「じゃ私、買ってきますね! ドラッグストア、すぐそこですから。マスターは休んでいてください!」
そう言って逃げるように店を飛び出す。
ヤバい。破壊力ハンパない、VR乙女ゲーム。
NPCだと分かってるのに、現実感あり過ぎて。
守備範囲外の相手なのに、ドキドキしちゃうよ!!
待て自分。マスターだから! 五十代だから! おヒゲあるから! 目元のシワも見えたからー!!