82 ようやく発進! ワンクッション作戦
ゲームの中に入れた時にはホッとした。そう思うことにものすごく敗北感はあるが、ホッとした。
東丸のやつ、まさか毎日やってくるつもりじゃないよね。あれが日常化したら、ストレス係数が上がりすぎて私の神経が焼き切れるぞ。こう見えて、神経は細い方なんだから。社内で噂になったことが耐えられなくて前の会社を辞めちゃったくらいには、ナイーヴな女子なんだから。
それはともかく、ゲーム内に来た私は『平群咲・二十八歳・フリーター』ではなく、花の女子高生(古いか)山田サキである。面倒くさい現実はいったん忘れて、切り替えていこう。
まずはベッドの上に置かれている攻略アルバムの確認である。
中村さんのトゥルーエンドを見たのだから、攻略スチールが追加されているはず。
ちょっと怖い。いや、けっこう怖い。でも、確認しておくべきだろう。怖いもの見たさな気持ちもちょっとある。
アルバムを開いた。マスター、伊藤くん、佐藤ゲス人、ドン鈴木。懐かしい……ような。懐かしくもない……ような。いや、やっぱりあまり懐かしくもないわ。何で攻略相手がこんな濃いキャラばっかりなんだよ。攻略までの辛く険しい道のりしか思い出せないよ。そしてときめきとかそういうのはあまりなかったよ、特に後半の二人に対しては。乙女ゲームとしてどうなの、それ。
そして、いよいよ最新のページだ。アルバムをめくる手に緊張が走る。攻略アルバムを確認するだけでどうしてこんな気分にならなくてはいけないのかよくわからないが、そういうゲームだから仕方がない。
攻略スチールは……犬だった。
真ん中に大きく映ったハヤテちゃんとジョン(私のゲーム内飼い犬)。二匹は寄り添いあって座っており、互いの鼻をこすり合わせるくらいに顔を近づけている。非常に仲むつまじい様子。何の攻略スチールだ。二匹の周りには、元気に遊びまわるかわいい子犬たち。ますます誰の攻略スチールだ。
その後ろには、犬たちを見守る中村さんの笑顔。とても満足そうだ。
そして、更にその後ろ、完全なるモブポジションに私のアバターの姿が。大量の犬のエサを運ぼうと四苦八苦しているようである。その姿、どう見ても下女。中村、手伝えや。
結局、攻略スチールでも『犬 >>>>> 私』であることを確認しただけだった。犬の画面占有率が高すぎる。何だ、この格差社会。いや、攻略していて疑問を感じなかったルートなどなかったが。
もういい。私はアルバムを閉じた。悲しい過去は忘れよう。今はまたひとつエンドを確認しただけでいい。全エンドを開放して五百万円をこの会社からもぎ取るという目標に、また一歩近づいたのだから。
私は粛々と前に進むのみ。立ちはだかる敵(攻略相手キャラ)を倒し、このアルバムに撃墜マーク(スチール)を増やして見せようではないか。
ということで、使用するセーブデータの選択である。
ここ数ヶ月、私は『様々な犬種を次々に飼育し、その犬種ごとのドッグショー・ノーマルエンドをローラーする』という作業をやっていた。その間、新しい攻略を始める時はいつも五月の終わりごろ、ペットショップで犬を買うところから始めていた。
それまでの攻略データの貯金では、犬との新生活を始めるのにお金が足らなかったのである。そのため必要なお金が貯まった時点からのリスタートを繰り返していた。
だが、今回はちょっと考えていることがある。そのため久々に年度初めからのゲームスタートを選択した。とはいえ完全なニューデータだとお金がなさ過ぎて別の意味で詰むので、これもまた久々に伊藤くんトゥルーエンド後の引継ぎデータを使用する。
思えば伊藤くんとの日々が一番普通の乙女ゲームだった気もするよね。いやそうでもないか、あの時は『いかに伊藤くんを待ち伏せ罠にかけ捕獲するか』みたいなことばかり考えていて、恋愛シミュレーションというより狩猟シミュレーションだった。
それはと・も・か・く。
よく晴れた四月の初め、桜が舞い散るオープニングからまた私の新しい(ゲーム内の)一年が始まる。このオープニングのグラは悪くないよね、実を言うとけっこう好きだ。ゲームの中だから花粉も飛んでないし。マスクもメガネも使わず、堂々と春先の町を歩くのはそれだけで気持ちがウキウキする。いや、ゲームなんだけど。VR の臨場感はすごいし、本当に町を歩いているみたいで楽しいんだ。
校庭でクラス替えの発表を見る。とはいえ、クラスは二年一組と決まっているんだけどね。クラスメートもいつも同じ。担任も同じ。教室に入ると後ろの方の席には伊藤くんがいて、私(というか女子)を見ると大きな体を縮めて防御態勢を取る。うん……いつかグッドエンドも回収するからね、伊藤くん。
しかし現在の標的は彼ではない。私は教室を見回し、探していた相手を見つけた。
説明しよう。学校の私には、二人の女友達が用意されている。彼女たちはゲームの最初から主人公と仲良しという設定で、下の名前で気軽に話しかけて来てくれる。
お弁当タイムや教室移動の時も基本いっしょで、聞けば校内のさまざまな情報を教えてくれるし、プレイスタイルによっては彼女たちとひたすらキャッキャしながら楽しい一年間を過ごすことも可能だ。
ひとりはショートカットの元気系少女で、名前はミキちゃん。主に校内の人間関係に関する情報を教えてくれる担当だ。それ以外では、オシャレや流行りのスイーツなどに目がない女の子っぽいキャラクターなのだが、時おり昭和の熱血系キャラクターみたいな言動をすることがあり驚かされる。正直、設定ブレなんじゃないかと疑っている。
もうひとりはサラサラの黒髪を三つ編みにし、メガネをかけた文学少女という雰囲気で、名前はアヤちゃん。優等生という設定で、勉強関係や学校行事などに関する情報をくれる担当だ。定期試験前に彼女に『勉強が進まないよ~』と泣きつくと、確度の高いヤマを教えてくれるありがたいキャラクターである。
このゲームを全クリするため、私は何度も周回を繰り返してきた。
そこでの彼女たちはいつも優しく朗らかで、ランダムに性格が変わったりもしないし私の言動で対応を変えたりもしない。慎ましく忠実な、心温まるNPC なのである。
そのありようは、このゲームの荒唐無稽さに振り回される私にとってのオアシスのようなものであったのだが。
今回は別のアプローチを試みようと思う。
「ねーねー、ミキちゃん、アヤちゃん。犬を飼うのって、いいと思わない?」
そう。ハヤテちゃんの恋の相手となる犬の飼い主。
この二人のどちらかがそれになってくれないか、探りを入れてみる。
『ワンクッション作戦』。室長は奥ゆかしくそう表現した。
しかし実質、ここで必要なのは当て馬だ。私が小林とハッピーエンドを迎えるためには、中村エンドの発動を抑えてくれる相棒が必要不可欠なのである。
理想的な友人である彼女たちがそれを引き受けてくれれば、小林エンドの回収は予想より楽なものになるはず。それを私は期待していた。




