81 新たなる戦い ゲームスタートが遠い
そしてまた出勤。
「おはよう、咲。今度はどうする?」
とてもいい笑顔で声をかけてくる梨佳は、私がズルをして室長から攻略情報をもぎとったなど想像もしていないのだろう。
そういうところ、おっとりとしているというか、お嬢様っぽいというか。人の世の悪意とは無縁な性格をしている子だ。電波だけど。もう一度言う、電波だけど。
「うん。小林さんを攻略しちゃいたいんだけど」
「うんうん。咲、頑張ってくれているもんね。楽しんでくれているみたいで、私も嬉しいな」
梨佳はにっこりとほほえむが、楽しんではいないよ。残念ながら。
それでも私はこの笑顔を正面からぶち壊せるほど鬼ではないし、度胸もないので、
「仕事だからね。ちゃんとやらないと」
と言っておく。ああ、私のチキン。クリスマス商戦に参加できるんじゃないかと思うほどのチキン。
けど、一応は友達だしなあ。攻略真っ最中で気が立っているときならツッコむ言葉も出てくるが、今日みたいに休み明けで落ち着いてしまうとことを荒立てるのもためらわれてしまう。
電波だけど基本はいい子だしね、梨佳も。
その電波な脳内を直接体験させられるような、このゲームの攻略が私の仕事じゃなかったらの話だけどね!
「じゃあ、さっそく始める?」
という言葉にうなずいて、二人で棺桶(のごとき筐体)の方へ行こうと思ったら部屋のドアが開いた。室長かと思って、
「おはようございます」
と挨拶したら、赤い頭が見えた。東丸じゃん、ハード開発部の主任とかいう。
「また来たんですか」
梨佳が露骨に嫌そうな顔をする。上司に対するあたりがけっこうキツいよね、梨佳って。女子同士だとおっとりタイプなのに。何で?
「うるさい、電波女。黙れ」
東丸も東丸で、失礼な態度。そして私を見て、
「いるな、ど素人バイト。俺に無断で休むな。昨日、せっかく来てやったのに休みとかありえねーぞ」
あんたは私の直属の上司でも何でもないんだけど。お前もお前で意味わからないな。
「ほらほら、東丸、どいて。僕が入れないよ」
そして東丸の後ろから笑顔で現れる室長。既に流れている険悪な雰囲気をものともしていないのは、さすが『なあなあ那須野』。
「室長。なんなんですか」
梨佳の声がさらに尖る。
「どうして東丸主任が連日うちのチームにいらっしゃるんですか」
「まあまあ。落ち着いて、後醍醐さん」
そして今日もナチュラルに梨佳の地雷を踏みぬく室長。
「東丸もさ、ほら、いつもあの倉庫みたいなハード開発部にいても気が滅入るだろうし」
「後醍醐って言わないでください!」
「ハード開発部は倉庫じゃねえ!」
「何度言ったらわかってくれるんですか!」
「最高のハードを創り出すための最高の研究環境なんだぞ!」
二人がわめきだして静かな室内があっという間にカオスに。怒った梨佳の鼓膜をひっかくような高音と、怒った東丸のやたらに大きな声が絶妙にマッチせず非常にうるさい。
「あ、平群さん、おはようございます」
その耳障りなデュエットなど存在しないように、まったくの平常運転で穏やかに私に挨拶する室長。あんたの耳には雑音キャンセル機能がついているのか、いつも思うけど。
「あのね、後醍醐さんには話したんですけれど、東丸が実際の運用状況を見学したいそうなんです。なので、暇なときは彼がテストプレイに立ち会うようになりますので、よろしく」
「後醍醐って言わないでくーだーさーいー!」
「俺は暇だから来るわけじゃねえ、あと見学じゃねえ監視だ!」
あー、うるさい。私の耳にも雑音キャンセル機能が欲しい。それ、どこで売ってますか、室長。
もう付き合っていられないので、さっさと筐体に入ることにする。棺桶のごときふたを開け、靴を脱いで中に入ると梨佳があわててやってきた。そう、このご立派なハードは誰かに手伝ってもらわないとゲームをスタートすることが出来ないのである。控えめに言って欠陥品だと思う。
梨佳が私の体のあちこちに電極を付けていると、
「もたもたしてるんじゃねえよ。代われ」
東丸が割り込んできた。
「そんなんじゃ正確なデータが取れねえだろ。教えたじゃねえか、電極の位置はここ、ここ、ここ」
言うだけあって梨佳よりも手際がいい。
が、頭はともかく首とか鎖骨の周りとかに平然と電極を付けていかれるのは引くんですけど。
私、いちおう独身女子。お前、男性。セクシャルハラスメントって言葉は知ってる?
「あと、腹と足だな」
Tシャツをめくろうとすんな!
「ちょ、ちょっとやめてください。自分でやります」
あわてて手をバシッとはたいたら、
「何だよ。被検体のくせに女ぶるな。気持ち悪いな」
と来やがりました。よし、ゴートゥーヘルだ東丸よ。この会社にまともな人材はいないようだな、そんな予感はしていたが。
「もうっ、咲が嫌がってるじゃないですか!」
梨佳が憤然と割って入る。
「やっぱり私がやります! 失礼ですよ、東丸主任。咲は女の子なんですからね」
「俺がやるって言ってるだろう。邪魔だ、電波女。お前の操作じゃ上がってくるデータの正確性があやしい」
ああ。電波二人が私をめぐって争っている。(ようなシーンに見える)
ちなみに嬉しくはありません、ぜんぜん全く。
そして東丸よ。お前は梨佳を相手にマウントを取る前に、目の前の厳正な事実を直視しろ。
畳二畳分の面積を取り、ひとりでゲームを始めることも終わらせることも不可能だという、家庭用ゲーム機を想定しているのならお話にならないこの筐体を作ってしまったのがお前たちなのだよ。こんなところで不毛な争いをしている暇があったら、さっさとこのハードを設計から見直してこい。
「手を出さないでくださいってば!」
「お前こそ引っ込んでろ!」
うるさい。いいから早くゲームさせて。
いや、別にあのゲームをやりたくてたまらないわけじゃないんだけど、この混沌とした状況がいたたまれないので早く準備を終えてくださいお願いします。
ようやく準備が整い、筐体の蓋が閉められて意識がゆっくりとゲーム世界へと飲み込まれていったとき、正直言ってホッとした。『マニアック』をプレイすることにそんな感想を持つなんて、割と敗北を感じた。




