60 ノーマルエンド(4) 奇跡と希望
中村さんに教えてもらったところによると、審査の内容は見た目の部分もかなり大きいがそれだけではないらしい。
みんなでリングを回るとか、審査員の指示に従って歩くとか、台の上で審査員さんに触って体の状態を確認されるとか……他のわんこさんには簡単かもしれないが、うちのマリーちゃんには難しすぎる課題がいろいろ用意されているようでございますよ。
「まあまあ、そんなに構えなくても。ちょっと一緒に練習してみようか」
バイトのない日にお誘いくださる中村さん。これは今までになかった展開なので流れに身を任せるのが吉なのだろう、きっと。
と言っても。
『ステイの練習をする』
『ハヤテちゃんと並んで歩く』
『お互いに審査員役をして指示を出し合う』
『小林さんが審査員役をしてマリーちゃんとハヤテちゃんにベタベタ触る』(そして噛まれる)
これくらいしか出来ることはない気が。
「うん。とりあえずマリーちゃんは触られても噛まないようにしないといけないね」
爽やかな笑顔で言う中村さん。
「ドッグランでバイトするようになってから、ずいぶんマシになったんですけど」
少なくとも今までお客さんを噛んだことはないのだが。なぜ小林さんだけは噛むのか、マリーちゃんよ。
「そうだね。小林が遠慮なく触りすぎるのかもだけど、それでもショーでは犬も緊張するから何が起こるか分からない。訓練しておいて悪いことはないと思うよ」
確かに。
今回の周回ではだいぶ落ち着いた犬になった(当社比)マリーちゃんだが。
最初の周回での暴れっぷりを思い出すと、ショー本番で緊張したあまりにあんなことやこんなことをしでかしてしまったらと思うと恐ろしい。
つまり、今よりもっとマリーちゃんを(ドン鈴木流に)私のイヌとして自在に操れるようになっておかねばならないということだ。
見た目の点では、ショーの二日前に美容院に放り込むことで手を打つ。
一日三回ブラッシングしているのにあっという間に鳥の巣になってしまう愛犬。彼女の美観を保つことは私にはムリである。
「ステイ!」
とりあえずステイの時間を長くするところから始めてみる。
しかし元が落ち着きのない犬。三十秒と立たないうちにそわそわし始めるマリーちゃん。
「誰が動いていいと言ったっ!」
低い声で怒鳴りつけ、バシッとものさしを部屋のカーペットに叩きつける私。(鞭の代用)
ビクリとするマリーちゃん。
「ステイ!」
ヤバいよ……自分がドン化してきてるよ。
とはいえ、何とか目標時間(一分三十秒)ステイを続けたマリーちゃんのことはしっかりホメてあげる。アメと鞭、この使い分けが大切なようである。
こうやって段々とステイの時間を長くしていかなくてはいけないのね。本番ではかなりの時間待たされることになるだろうから頑張らないと。
記念受験とはいえ、参加料だの登録料だの結構費用がかかっているので私も真剣である。更にこれから美容院でもお金がかかる。そう思うと悲惨な結果はなるべく回避したくもなる。
というわけでドン鈴木をイメージしつつ、私とマリーちゃんの特訓の日々が続く。
確実に自分の精神がドンに浸食されつつあるのはどうかと思うが、少しずつ少しずつ特訓の成果は表れていき、ショー直前には何とあのマリーちゃんが五分間ステイを達成した。(標準がどの程度かは知らん)
そして美容院でもあまり暴れず(あくまで当社比)、美しいマリーちゃんに変身(当社比)。
何とかその状態を保ち、二日後ついに本番を迎える。
ショーは犬種ごとに行われるので、ハヤテちゃんとは一緒ではない。中村さん、小林さんはハヤテちゃんを連れて応援に来てくれた。
マリーちゃんはもちろん緊張と興奮で変なテンションになり、早速小林さんを甘噛み(しかし結構イタイ)するのだった。
「審査員さんを噛まないといいんですけど」
私はため息をついた。
「運を天に任せよう」
中村さんが厳粛に言う。運ですか。
運はあったのか。ノミネートした賞は小規模でエントリー犬は三頭。飼い主と犬、一緒にリング(会場)の外で待つ。
しかし、やはり落ち着きなくもぞもぞするマリーちゃん。もう審査員さんがそこら中から厳しい目を注いでいるというのに。
そう、私たちの戦いはもう始まっているのだ!
入場、そしてステイ。ステイはアピールタイムである。いかに美しく、いかに従順に振る舞えるかを魅せる場……なのだが。やはり他の出場犬が気になるらしく、マリーちゃんはきょろきょろしている。
しかし幸いなのは他の出場犬も素人らしく、何となく落ち着かない様子であることだ。この調子ならもしかして、マリーちゃんさえ落ち着いてさえくれたらダントツビリはまぬがれるかも!
志が低い? だって、マリーちゃんだもん。高望みできないよ。
で、次は個別審査。
台の上に立って、審査員さんにじっくり見たり触られたりする。
待ち時間の間から、私が思うことはひとつ。
『噛みませんように』
それに尽きる。
これ、ゲームだからいいけどさあ。リアルだったらこんないつ人に噛みつくか分からん犬をショーに連れてきちゃダメだよな、きっと。
しかし犬の前で弱気なところを見せてはならない。主人は毅然として、頼るに足るリーダーであり絶対的な強者であると犬に思わせなければいけないのだ。多分。
頼むよドン鈴木、アンタの鬼畜風しつけ術がどうか的を射ていますように。
ドンの真似が功を奏したのかどうかは分からないが、マリーちゃんは何とか個別審査を無事に終えた。だいぶ落ち着きがなかったし、一度台から落っこちそうになってパニックになって私の腕に噛みついたが、審査員さんだけは噛まずに済んだ。
良かった……腕に噛みあと残ったけど。
次は審査員の指示に従って、マリーちゃんと私が歩く歩様審査。
どれくらい指示に従えるのかとか、歩く姿の美しさを審査するのだろう、多分。
これは台の上に立たされていた時よりは落ち着いてこなせた。
で、他の犬の審査が終わるのをまた待って。(その間にまた落ち着かなくなるマリー)
もう一度みんなでリングを回り、またステイ。他の犬とじっくり見比べられる。
だんだん息遣いが荒くなってくるマリーちゃん。明らかにジレジレしている。頼む、何でもいいから暴れ出さないで。
長い長い審査が終わった。緊張しすぎて、どのくらい時間がかかったのか分からない。
それから結果発表になった。
結果は……三頭中二席。ビリじゃないうえに、まさかの二等賞!
奇跡が起こった。
呆然とする私。審査員さんや他の参加者と握手をして記念品をいただき、呆然としたままリングを出ると、中村さんと小林さん、ハヤテちゃんが迎えてくれた。
「マリーちゃん、頑張ったね」
中村さんがねぎらうのは、まずはマリーか。
「山田さんもお疲れさま。緊張しただろう、大丈夫?」
小林さんが脳天気な笑顔で声をかけてくれる。ありがとう、アンタのその調子の良さが今日は涙が出るほど嬉しいよ。
「初めてのショーで二席なんていい成績だったね」
おほめの言葉をいただく。三頭しか出場してなかったから、ビリでも一見銅メダルっぽいんだけどね。
「この調子なら次は優勝狙えるんじゃないか? なっ、マリー」
気軽にマリーちゃんの頭をなでる小林さん。あんなにいつも噛まれているのに、よく平気で触れるな。その無神経さに感服する。
でも。
「優勝……狙えるんでしょうか?」
ぽつりとつぶやく私。
そんな栄光の未来が私とマリーちゃんに?
もし、そんな日が来るのなら。
「狙えるよ。たぶん」
「そうさ。山田さんとマリーちゃんなら、きっと狙える」
その言葉にはきっと根拠なんか一ミリグラムもない。
確信できてしまうお愛想成分と気軽さ成分満載であったが、それなのに。
「マリーちゃん。次は頑張ろうね!」
犬を抱き上げほおずりする私。
その私の口の周りを舐めるマリーちゃん。(腹が減ったらしい)
うん。きっといける。
だって私たちの心はこんなに通じ合っているのだから。
というところで流れ出す音楽。空に走り出すスタッフロール。
アレ、ここで終わり?
ていうか私、乙女ゲーらしいこと何かしたか? ひたすら犬を育成するだけで終わってしまったような。
そしてそれなのに不思議と達成感があるのは何故なのか。
空に輝く『Normal End』の文字に、嘘だろっってツッコみたいくらいに。
これはノーマルにしてノーマルではない。
もっとグッドエンドに近く、トゥルーエンドよりもプレシャスでトゥルーな何かだ。
もしかして、これが噂の『犬エンド』。
そう思いながら、私の意識は闇に溶けていった。




