59 記念受験に向かえ
そんなアホな妄想をしている場合じゃないよ、お仕事しないと。
時間を再び巻き戻し、マリーちゃんのトイレのしつけが終わった夏休み半ばからスタートする。しかし、老人介護施設には行かないぞ。二度と再び、ドン鈴木ルートの恐怖は体験したくない。
ということで改めてバイトを探してみる。
あるじゃないですか、『犬の散歩お願いします」だの『ドッグランの監視員(犬連れ可)』だの良さそうなお仕事が。
あ、でも。この仕事はマリーちゃんの他の犬に対するコミュ力と社交スキルがあまりにも低いので、取り締まったりお世話したりする側になるのはムリだろうと思って避けたのだっけか。
……つまり、どうあってもマリーちゃんのレベルアップをしなければこの先には進めないと。
そういうわけですね。
私は諦めて、再びマリーちゃんと向き合うことにした。
ケージから出すとブラッシングされるのを嫌がって、暴れるマリーちゃん。毛が長いから、毎日時間をかけてブラッシングしないとひどいことになるんだよ。落ち着け!
「ステイ、マリー、ステイ!」
声をかけてもちっともステイしないマリーちゃん。
むむむむー。
私はマリーちゃんを抱きあげぐっとにらみつけて、
「マリー。ステイ!」
とドン鈴木ばりの低い声でぐわっと吠えた。
びくっとするマリーちゃん。床に下ろしてもう一度、
「ステイ、マリー!」
と魔王の威厳(贋)で命令する。
いつもと違う私の様子に困惑したのだろうか。マリーちゃんはおとなしくなり、ブラッシングをさせてくれた。
うーむ。ちょっとビミョウな気持ちだが有効だな、ドン鈴木流・イヌのしつけ。
鞭も買うべきなのだろうか。……イヤ、それはやめておこう。超えてはならないラインを自分が超えてしまう予感しかしない。
しかし、そんな感じで。
生まれつきの性格までは完全に変わらないにしろ、『ドン鈴木流』を取り入れることで前よりはマリーちゃんは扱いやすい犬になった。
と言っても『ステイ』とか『伏せ』という(いわゆる普通の)レベルのことが出来るようになっただけどね。それだけでもずいぶん付き合いやすくはなった。
ただ命令するたびに頭の奥で、
『イヌはイヌらしく人間の命令のままに動いていれば良いのです。身の程をわきまえさせる、これが肝要』
というドンの黒い声が響き渡るんですけれども。
犬と人の関係って、それでいいのか? そういうものなのか?
そんな疑問も抱えながらだが、とりあえずドッグランの監視員は何とか出来るようになった。
マリーちゃんも他の犬と交流できて楽しそうだ。元々人見知り……いや犬見知りも激しい犬なので、最初はやたらに吠えてばかりいたが、あまりに他の犬が多い環境なので一週間ほどで慣れたようだ。それほど鳴かなくなった。
最近は、少数だが仲の良いお友だち(ハヤテちゃんのような辛抱強く穏やかな性格の相手が多い)も出来たようである。良かった、良かった。
「マリーちゃん、社交的になったね」
中村さんに声をかけられた。
はっ……ゲームの目的を忘れかけていたが、これは犬育成ゲームではなく乙女ゲーム。そもそもの私の目的は、中村さんを落とすことだったんだっけ。
「友達がいっぱい出来たんだって? 良かったな、マリー」
そしてまたも不用意にマリーちゃんを抱き上げ、思い切りうなられた上に顔にべしっとパンチされる小林さん。何故にこの人は、こんなにも犬になめられているのか……不思議だ。
少しは学習しろよとも思ったが、彼がマリーちゃんに噛まれていたのは別の周回、この人生とは似て非なる別の世界のことだったと思い出した。
まるでパラレルワールドをトリップし続ける時の旅人のようね、私は。何てファンタジック。(乾いた哂い)
「毛並みも綺麗だし」
マリーちゃんをなでながら、中村さんが言った。
「山田さん、マリーちゃんをドッグショーに出す気はないの? 今度、うちのハヤテも出そうかと思ってるんだけど」
ドッグショー? それは何ですか?
きょとんとした私に、中村さんが説明してくれたところによると。
要するに犬の品評会であり、犬種ごとに美しさや能力を競うものらしい。
しかし、いや、それは。
「マリーちゃんにはムリではないかと」
美しさもなあ。前ほどではないけどブラッシングやトリミングを嫌がるので、ヨークシャーテリアというよりは移動式鳥の巣みたいな生物になりがちだし。
更に能力ということになると、ようやく『ステイ』を覚えてくれたというレベルでそのような犬の中のエリートが集まるだろう場所へ向かうなど、いくらゲームの中の話とは言っても大会に失礼すぎるのではないだろうか。
「そんなに構えなくても。規模の小さなショーなら出展される犬の数も少ないし、専門のブリーダーさんだけでなく一般の参加者もいるよ。うちも記念受験的なノリで行こうと思っているんだ」
にっこり笑う中村さん。
ううむ、これはお受験するべき流れなのだろうか。




