56 犠牲の祭壇 (鈴木さんトゥルーエンド)
車いすさん(入居者さんは名札着けていないので覚えきれない)はそれから私を見ると声をかけてくれるようになった。更にしばらく経ったある日、日課の散歩に同行してくれと頼まれた。
介護士さんは最初、
「うーん。山田さんはまだバイト初めて日が浅いのでどうですかねえ。マリーちゃんも施設に慣れていませんし」
と提案に気乗りしない様子だったが、
「大丈夫じゃ。わしは今のところ体調も良いし、何かあったらあんた方を呼べるようにポケットベルも持たされておる。山田さんとて自分で対処できない事態になった時は助けを求めるくらいの知恵はあるだろうよ。じゃろう?」
きっぱりと言う車いすさんの迫力に押されて折れた。
車いすさんの車いす(ややこしいな)は電動で動く自操用の高級品なので、私が押す必要はあまりない。段差とか、狭いところでの介助だけである。
基本的にマリーちゃんのリードを持ちながら、話し相手をするだけ。楽と言えば楽だ。
車いすさんは、私とマリーちゃんの様子をしばらく黙って観察してから言った。
「犬の名前はなんじゃったかな」
「マリーちゃんです」
「そうか、マリーか」
うなずくと同時に、
「マリー!」
落雷のような声と共に足元でぴしりと鋭い音が鳴り、土埃が跳ねた。
な、何! 何、何、何!!
突然のことに混乱する私。そして、もっと混乱しているマリーちゃん。
一瞬の空白から、吠えようかうなろうか迷った表情になった瞬間に、
「伏せじゃ!」
もう一度雷鳴が鳴り響いた。
そして車いすさんの手から伸びた黒い影が、マリーちゃんの足元で跳ねる。
あ、あれは。車いすさんがお持ちのアレは、『鞭』とかいう武器ではありませんですか?
いや、私もシャイモラの中では使ってみたことあるけどね。リアル……じゃないけど、リアル設定の『マニアック』側のゲーム世界でこんなモノ出て来るとは思いもしませんでしたよ!
「伏せじゃと言うておる」
突然の鞭襲来に完全に頭が真っ白になっているマリーちゃん(私もだが)の耳に、三度目の雷鳴。
マリーちゃんは魔術にかかったように、反射的に『伏せ』の姿勢を取った。
辺りに痛いほどの沈黙が落ちる。
いつも穏やかな車いすさんの目が鬼のように怖い。
空気がピリピリしている。
やがて、
『もういいかな?』
とたずねるように、マリーちゃんがこそっと目線を上げる。
その途端、
「誰が動いていいと言った!」
またも鞭がうなる。
ひいいい。かろうじてマリーちゃんには当たってないけどさ。コワイ、コワイ、コワすぎる!
もちろんマリーちゃんもすぐにキレイな『伏せ』の姿勢に戻った。
そのまま、おそらく数分が経過。
ようやく『良し』が出る。
そしてその数分で、完全に決着はついた。
マリーちゃんは車いすさんを『絶対的な強者』と認識し、以後は完全服従の姿勢を取るようになったのである。
「山田さん」
声をかけられ私もビクッとする。
「は、はははは、はいっ」
「これをマリーにやりなさい」
ひょいと投げられたのはビーフジャーキーだった。
私はあわてながら車いすさんの指示通りにかがみこんでマリーちゃんにそれをやり、ついでにササッと頭をなでてやる。
「犬に情けをかける必要はない」
冷たい声が響いた。
「こちらが強者であることのみを納得させればそれで良し。それでこそイヌはイヌとして素直に働いてくれるというものじゃ」
ちょ、言ってることが怖すぎるんだけど。そして『イヌ』の発音に何だか違う意味を感じるのは私の耳がおかしいの?
こそっと振り返ると車いすさんはもう鞭は持っておらず、穏やかな表情のいつものもの静かなご老人に戻っていた。
「よろしいかな? 上下関係をはっきりさせておくこと。これが大切なのですよ。犬は群れ社会に生きる動物ですからな。秩序を何より重んじるのです」
声も優しくて穏やかだ。さっきのは夢か幻なんだろうか。
いや。足元に思いっきり怯えてかしこまっているマリーちゃんがいるから、やっぱり夢じゃなかったんだろうなあ。
「まあ、群れに生きるのは人間も同じですがね」
と言葉を続けた一瞬、車いすさんの目がギロリと光った気がしてまたビクッとしてしまう私。
車いすさん。
あなたは一体、何者ですかー?!
しかし、この事件の影響は大きかった。
あれ以来、あんなに問題児だったマリーちゃんがすっかり大人しくなった。
感情の起伏が大きく興奮しやすいのは元々の性質のようなのですっかり直ったわけではないのだが、とにかく私の指示には従うようになった。多少、興奮気味の時でも『待て』だの『伏せ』だの『ステイ』だのの命令にはビクッとして従う。まるで、足元で鞭がピシッと跳ねたみたいな動きで。
そして車いすさんの姿がラウンジにある時のマリーちゃんは完全に、『あなたのイヌです』状態だ。いや、元々犬なんだけど。何かそれ以上の絶対服従状態。
つまりマリーちゃんの頭の中では、
車いすさん(絶対神)→私(その獄卒)→自分。
みたいな上下関係が確立していると思われる。
そんな様子を見ていると、今まで私ってマリーちゃんになめられていたんだなーと思う半面。
私が思う、愛犬とのラブラブ生活ってこんなんだったっけ? と一抹の疑問が浮かんでくるのを禁じ得ない。
何と言うか、
『うちの犬、かわいいんです~。私のこと大好きなんですよ~♪』
みたいな雰囲気じゃなくて、鬼軍曹と一兵卒の関係と言うか。常に緊張感が漂っていると言うか。
バイトが忙しくて中村さん小林さんとは前ほど会えなくなったのだが、この前散歩を一緒にしたら、
『マリーちゃん、何だか雰囲気変わったね』
と言われた。やっぱり分かりますか。
日本のぽけっとした女子高生が、海外で従軍しましたみたいになってるもんなあ。
車いすさんはあれ以来、何事もなかったように穏やかで優しい。優しいが、その優しさが何かコワイです。
……と思っていたある日。
バイト先に出勤すると介護士さんから、
「山田さん。鈴木さん、急に退所することになったから」
と言われた。
「仲良かったでしょ。挨拶しておいてね」
「えーと。どの鈴木さんでしょうか」
私はたずねた。この施設には私が把握しているだけでも鈴木さんが五人以上いるはずだ。
「鈴木元一郎さんだよ。ホラ、車いすの」
あの人か! そして、そんな名前だったのか。
そしてその衝撃と同時に胸の中に湧き上がる暗雲。人、それを『イヤな予感』と呼ぶ。
私はこの時、それに従って逃走すべきだったのかもしれない。
しかし、挨拶くらいは社会人として(ゲーム内では違うけど)しておくべきだろうという常識に引っ張られ、私は介護士さんに連れられて鈴木さんの部屋へと向かってしまった。
介護士さんがノックをすると『どうぞ』という声がする。車いすさん改め鈴木さんの声ではない。親族の方が迎えに来ているのだろうか。
中に入ると、スーツネクタイ姿になって車いすに座る鈴木さんの周囲にはダークスーツでかっちりと決めた男の人たちが六人いて、こちらをジロリとにらんだ。
な、何これ。異様な雰囲気。
「おお、山田さんか」
鈴木さんはにこやかに私を迎えに来てくれた。
「わざわざ挨拶に来てくれたのじゃな。手間が省けた」
手間……ナニ?
「富永。例の物を」
鈴木さんが言うと、後ろに控えていたダークスーツのオジサマが私に向けて書類を差し出す。
って、これは……婚姻届ーーー?!
「山田様が署名すれば、全ての手続きが完了するようになっております」
富永さんなるオジサマがうやうやしく言う。
イヤ、ちょっと待って。今、ここで何が起きている?!
「この通り、わしは寄る年波でな。いつお迎えが来てもおかしくない。若い者のように悠長な恋愛ごっこなどやっておれん」
鈴木さんは上機嫌で言った。
「妻としての身分は保証してやる。息子や娘にも文句は言わせぬから安心しろ。最後に一花、おぬしのような若い娘と夫婦ゴッコをするのも一興じゃ」
はいーーーー?!
「い、いや、そんな。急にそんなこと言われましても……」
完全に逃げ腰な私。目は既に退路を探っている。
するとそれを察したのか、ダークスーツのオジサマたちが、すすすと私に近寄ってくる。
「まさか断るなどとおっしゃりますまいな」
一人が凄む。
「この方をどなたと心得られる。その一声で日本が動くと言われる政財界を陰で支えるお方、鈴木元一郎様ですぞ」
な、何ですかその設定! そんな時代劇みたいなこと言われても!
「わしは老い先短い。わしが死んだ後、財産の半分はおぬしの物じゃ。それで十分じゃろう?」
あっさりとおっしゃる鈴木元一郎様。
いや、それ……。愛をお金で買っていませんか。
呆然としていると、後ろからダークスーツの人に右手をつかまれた。何か無理やり婚姻届にサインをさせられるんですけど! ちょっと、これ犯罪!
「富永。後はやっておけ」
「はい。すぐに役所に提出してまいります」
サッと姿を消す富永さん。待ってー、ソレ無効!
「諸星、茂野。例のプロジェクトは即座に立ち上げろ。詳細はデータを送った通りじゃ。準備に怠りはあるまいな?」
「はっ、会長」
「手抜かりはございません」
二人のオジサマが直立不動の姿勢で返事をする。
鈴木さんはにんまりと笑った。魔王っぽいと言うか、邪悪な感じがひしひしとする笑顔だ。
「わし自らが数々の老人介護施設に入所して、この業界の問題点も潜在需要も見切った。今から日本の老人社会に革命を起こしてくれようぞ」
車いすから、すっくと立ち上がる。って、アンタ歩けるんかい!
「ではサキ、行くぞ。まずは結婚式、それからゆるりと夫婦の営みといこう。少々せっかちじゃが、何しろわしには時間がないでなあ」
な・ん・で・す・とぉぉ~?!
バックでハッピーエンド系の音楽流れ始めたんだけど。
いやこれ、ハッピーエンドと違うよね。むしろバッドエンドじゃね。
悪魔の花嫁というか生け贄的な何かだよね、コレ?
しかし事態はもはや私の意志など完全無視で、ダークスーツのオジサマたちに追い立てられるように魔王の後を追わされる。
いやああああ。誰か助けてええ。
こんなエンド、私は認めん!
目の前に浮かぶ『TRUE END』の文字を眺めながら、遠くなっていく意識の中で私は必死でそう叫び続けていた。




