48 犬の人攻略 新たなる戦い
本気で予想外だった。その後の私の生活があんなにも変わってしまうとは。
学校から帰って来ると、ものすごい勢いで吠えながら飛びかかってくるマリーちゃん。
家中のモノにかみつき飛びつき、全てを完膚なきまでに破壊してくれるマリーちゃん。(攻略アルバム以外は損壊したら購入しなければ手に入らないので、お財布に痛い)
やたらにそそうをするマリーちゃん。
毎日時間をかけてブラッシングしてあげないとぼろ雑巾のように汚くなるマリーちゃん。
ドッグフードにえり好みをするマリーちゃん。
言うことを聞かないどころか、私にかみついてくるマリーちゃん。
いい加減に腹が立って『コイツほかしたろか?!』とネグレクトした瞬間を狙ったように体調を急激に崩し、こちらの罪悪感をMAX煽ってくるマリーちゃん。
そして医療費がハンパなくかかるマリーちゃん。
学業とか、バイトとか、キャラ攻略とか、考えているヒマもないくらいにマリーちゃんに振り回される。
マリーちゃんをダシにして中村さん・小林さんと一緒に犬の散歩をし、親睦を深めるというのが私のもくろみだったはずなのだが。
そもそも、飼いはじめた当初はマリーちゃんは外出禁止であった。
予防接種が全部済んでいないので、終わるまでは家から出してはいけないとペットショップのお姉さんにも、獣医さんにも言われたのである。
これを聞いた瞬間には、本気で目の前が真っ暗になった。
一体、私は何のために高い金を出してマリーちゃんを買ったのか。
しかも予防注射代が高い。目の玉が飛び出るくらい高い。
リアルに負けず劣らず、いやもしかしたらリアル以上に世知辛いこの『マニアック』という世界。
余計な出費は即ゲームオーバーにつながるのだ。
私はマリーちゃんの食費と医療費を稼ぐため、バイトの時間を増やさなくてはならなくなった。
そして私の不在が長くなるとマリーちゃんの機嫌が悪くなる。
そのため学校とバイト以外の全ての時間をマリーちゃんに捧げるような状態が続いた。
中村・小林って誰だっけ? 記憶が遠くなっていく……。
というかマリーちゃんにも、明らかに好感度パラがあるんだけど。
根気よく世話してあげれば何となく言うこと聞くようになるし、疲れてぞんざいに接していると余計吠えたり噛んだりそそうしたりがひどくなる。
あれ……これ、犬を育てるゲームだっけ? 正直マリーちゃんを育成するより、マスターを落とす方が百倍簡単だったんだけど。
予防注射を全部終えて散歩の許可が出た頃には、私はかなりの貧困状態に陥っていた。
しかもマリーちゃん攻略、いや育成は難航中。
散歩に連れ出そうにも、首輪やリードをつけるのを猛烈に嫌がる。
最初に買った首輪はすぐに食いちぎられてしまった。
くっそー、金がないのに。何てことをしやがるか、うちのマリーさんは!
愛犬を抱っこ・なでなでして、一緒に寝たり見つめ合ったり……そんな犬とのラブラブ生活など完全無縁の、常に一触即発バトル状態。
まずは私が飼い主であり上位者であることを納得させるための戦いが延々と続く。
「言うこと全然きかないんですよ」
獣医さんにグチると、
「生き物ですからね。自分の思い通りにはなりませんよ」
優しく諭された。
「でも外には危ないこともいっぱいあるから。『待て』や『おすわり』が難航しているなら、無理をして外に出さなくてもいいかもしれませんよ。山田さんのお話では、マリーちゃんは家の中で十分運動が足りていそうだし」
私が家に帰ってケージから出してやると、暴れ疲れて眠るまでアパート中を駆け回り続けているからね……。
「初めは外の世界に慣らす程度で、抱っこして家を一周する程度でもいいですよ。一応、首輪とリードは付けてね。急に飛び出して、車にでもぶつかったら大変だから」
優しくて頼りになるなあ。
もう、この先生が攻略対象でいいんじゃない? この先生を落として、それでマリーちゃんの世話もしつけも全部やってもらうの。それこそ夢のラブラブ生活じゃない?
しかし獣医さんの名前は『時雨坂』だった。攻略対象じゃなさそう。
がっくりとして家路につく。ケージの中でマリーちゃんがパワー全開で暴れており、大変運びづらい。大型犬じゃなかったことが唯一の救いだ。
その後、首輪とリードに慣れさせるのに二週間ほどムダな時間を使う。
ようやく曲がりなりにもマリーちゃんと一緒に散歩に出られるようになった時には、季節はもう夏になり始めていた。
なんか……ものすごい回り道をしたような。
犬飼おうとか思わず、フツウにハヤテちゃんの散歩について歩いてた方が良かったんじゃない?
それでも初めてのお散歩で、久しぶりに中村さん・小林さんと会った。
ああ。やっぱり癒やされるなあ、この二人。
どちらもそれなりにイケメンの部類に入るし。性格も穏やかだし。フツウだし!
しかし、今回は私の愛犬がフツウでないのだった。
二人に近付こうとした瞬間、ものすごい勢いで吠えまくるマリーちゃん。
中村さん、小林さんのみならず、ハヤテちゃんにも吠えまくっている。歯を剥きだして、本気と書いてマジで読む状態だ。
そういやこの犬、獣医さんのところでも他の犬猫に威嚇しまくってったっけ。
おかげで診察室以外ではケージから出せないのだ。
飼い主さんの言うことを聞いて、横で大人しく座っていたり抱っこされたりしている他のワンコさんたちが心からうらやましかった。
何でうちのマリーちゃんだけこんなにキャラ立ってんの?
「山田さん。犬、飼ったんだね」
めちゃくちゃ吠えられているのに、平常心で微笑みかけてくれる中村さん。
アレ、何か既視感が……と思ったら『後醍醐って呼ばないで!』と梨佳に吠えられているのに完全スルーしている室長の姿だった。
中村さん。那須野系の男なのか?
「かわいいなあ。触ってもいいかな?」
不用意に手を出す小林さんは、当然のように噛まれる。
「あ、あの、スミマセン!」
慌てる私。そうでなくても貧乏なのに、この上、医療費と慰謝料を請求されでもしたら確実にゲームオーバーになる。
「いいよ。オレもよく確認しないで手を出したから。怖がらせちゃってゴメンね」
手からだらだら血を流しながら、気のいい笑顔で言ってくれたのでホッとした。
「ああ。今のは小林が悪いな」
あっさりとうなずく中村さん。
「何だよ、オレが怪我したのに心配してくれないのかよ」
「自業自得だ」
言い合う二人。
ああ。何か、和むなあ。
そう、私が求めていたのはこういう空気。この中に、私も入りたかったの。
やっぱり私、犬より人間が好きだわ……!
ウン。今ならどんなにマリーちゃんが横暴でも許せるわ。
マリーちゃんのおかげで、私は二人と同じラインに立てた。
……中村さんの横でいい子にしているハヤテちゃんと比べると、マリーちゃんの傍若無人ぶりが気になることは気になるのだが。
とにかく、これで私も紛れもない犬仲間。いっしょに堂々と散歩が出来るのよ!
と思ったら、会って十分も経たないうちにマリーちゃんの様子がおかしくなった。
知らない人と犬に初めて会い、興奮しまくって吠えすぎて限界を越したらしい。
目が虚ろになってきて、口もだらしなく開いてよだれがたれ始める。
「疲れたみたいだね。今日はもう休ませた方がいいよ」
「初めての散歩なんだろ? 十分刺激だったみたいだね」
二人からアドバイスされ、それは納得のいく内容だったので。
私はマリーちゃんを抱き、とぼとぼとアパートに帰った。
部屋に帰り、水を飲ませ、ブラッシングをしている内にぐっすりと……というかぐったりと眠りこんでしまった愛犬を眺め、私は思った。
頼むよマリー。もうちょっと、協力的になって。




