41 佐藤くん攻略 グッドエンド
「はい、おつかれさまー」
目を開けると梨佳が微笑んで、私を起こそうと手を差し伸べてくれていた。
だが。
「いい。まだやる。もう一回ダイブするから蓋閉めて」
と拒否する。
「え?」
きょとんとする梨佳。
「休憩しないの? 休んだ方がいいよ。プレイ解析は?」
「そんなもの、後でいいっ! とにかく続けるから蓋閉めて!」
自分で起動できないハードってさあ。本当、致命的だから。早く対応を考えろよ、この会社。
梨佳は不思議そうな顔をしていたが、まだ時間もあったのだろう。私の言うとおり蓋を閉めてくれた。
再起動。メイン空間からマニアックのホーム空間へ。
あれだけ身も心もズタボロにされて、このまま黙っていられるかい。
もうフルコンプとかどうでもいい。あんなゲス男とのハッピーエンドとか頼まれても願い下げ。
佐藤圭人お。
その天使面に一発入れてやるから、覚悟せいやあ!
もう一度、伊藤くんトゥルーエンド後のデータを使ってゲームスタート。
ゲス男との接触とか一切考えずに、私は街で見かけたある場所へ直行する。
その場所とは、ボクシング・ジムである。
見ていろ、佐藤圭人。
ここで自分を極限まで鍛え上げ、山田サキのアバターでの渾身のパンチを叩きこんでやるからね。
そして、私の鍛錬の日々が始まった。
毎日ジムに通って体力づくりと柔軟。そしてサンドバッグを殴り続ける日々。
バイトは筋力をつけるため肉体労働の土木工事を選んだ。おっちゃん達に囲まれつつ、重い機械やセメントの袋を運ぶ。
初めはバイトとジムでの練習をこなすだけで疲労困憊。家に帰ると熟睡、学校での記憶も飛ぶ有様だった。
だが『あのゲスを一発殴りたい』という気持ちを思い出すだけで、私はその辛い日々に耐えることが出来た。
夏休みが終わる頃にはバイトもそれほど苦痛ではなくなり、ジムの練習もフットワークを使った新しい段階に進んだ。更なる体力づくりを目指し、この頃から早朝のランニングもメニューに加えた。
その後もひたすら鍛錬は続く。
周りでは体育祭だの文化祭だのと盛り上がっているが、私の目の前にあるのはただグローブとサンドバッグのみ。
憎いアイツを思い浮かべてひたすらに、打つべし! 打つべし! 打つべし!
クリスマスも正月も、ひたすらバイトと鍛錬に明け暮れた。
そして、迎える運命のバレンタインデー。
奇しくも、あの屈辱のノーマルエンドの時と同じく、辺りには雪が降っていた。
これでいい。
そう、これこそが待ち望んだ舞台。
手作りチョコを捨てられたあの日の屈辱を。
叩きのめされ地べたに倒れ伏したあの日の痛みを。
今日こそお前にも味わってもらおうではないか!
用意したチョコレートケーキを持って、佐藤圭人のクラスに向かう私。
彼は部活にも行かず、たくさんの女の子に囲まれてご満悦だった。周りには山ほどのチョコレート。
私は勢いよく教室の扉を開けた。
みんなの目が一斉にこちらを向く。
私はずかずかと教室の中に入った。
「何だよお前。何の用だよ」
偉そうに言い放つゲス男。
私は答えない。ただひたすら殴り飛ばすべき対象を、ゲーム時間内の一年間にわたって脳裏に浮かべ続けた男の顔をにらみ続ける。
「気持ち悪いな。おい、みんな。囲んでやっちゃえよ」
女の子たちをけしかける佐藤。
しかし、みんな尻込みして寄って来ない。
当然だ。
一年間、鍛えに鍛えた私(のアバター)の肉体は全身を筋肉に覆われ、スパーリングで殴られ続けた顔は面影も変わり野性的になっている。
今の私(のアバター)なら、女の子の三人や四人などひとなぎに倒すことが出来る。
この教室には二十人近い女の子が集まっているが、戦闘力の低い彼女たちがいくら集まろうと敵にもならない。
肌でレベルの差を感じ取ったか。
女の子たちは怯えて近付いて来ない。泣き出す子もいる。
それでいい。私も無益な殺生はしたくない。戦う前から敗北を悟ってくれるというなら、それに越したことはない。
「な、何だよみんな。僕を守ってよ。何で誰もアイツにかかっていかないんだよ」
女の子たちの後ろでふんぞり返っていたゲス男の声が、初めて震えた。
本当に最低な男だな。女の子に頼るばっかりで、自分では何もしないのか。情けないことこの上ない。
私が近付くにつれ、彼を囲む女の子たちの人垣が割れ始めた。
鉄の防壁だった彼女たちが私の放つ闘気を前に、自ら屈して道を開けていく。
そして私と彼は、正面から向かい合った。
「あ……」
彼が唾を呑み込む音が聞こえる。
「あ、あの。バ、バレンタインのチョコ? い、いいよ。受け取ってあげるよ。だから、それを置いてさっさと帰ってよ」
声がうわずっている。
彼は小柄で華奢な体型。これでサッカー部で活躍していられるのは、足の速さと運動神経の良さからだ。
彼のプレーは確かに素敵だった。
サッカーには真面目に取り組んでいたと思う。それも評価しよう。
しかし中身がこれだけゲスだと、どんな美点があっても評価はマイナスにしかならないんだよ。この野郎!
私の痛み。お前にもてあそばれた女の子たちの痛み。
思い知れ、カス野郎!
チョコレートケーキを持って、一歩ずつ彼に迫る私。
ついに天使の顔が恐怖に歪み、その口から悲鳴が漏れた。
「す、すみません! ゴメンナサイ、調子に乗りました! そのチョコくださいっ。お願いします、先輩。だから暴力はふるわないで」
情けなく這いつくばる彼。
土下座して頭を下げ続ける。
「ていうか、つ、付き合って下さい! 浮気もしません、先輩だけにします! 先輩一筋に生きます! だからお願いします、殴らないでえええ!」
みっともなく叫びながら、私の足にすがりつく。
「靴をなめろと言うならなめます! 愛していると言えと言われれば言います! ……あれ、先輩の名前は」
「山田サキ」
私が短く言うと彼は素早くうなずいて、
「山田サキ先輩、大好きだああ! 愛してますっ!」
と宣言した。
「食べろ」
私は箱を開けると、その顔に思いっきりチョコレートケーキを叩きつけた。
「うわあっ」
悲鳴が上がる。
「あ、あの。美味しい、美味しいです。サキ先輩のチョコレートケーキ、最高だあ」
顔に着いたクリームを手でぬぐい、それをむさぼり食う佐藤。
なんてみじめな姿だろう。私の口許にも思わず笑みが浮かぶ。
しかし同時に、自分の中で何か引っかかるものが。
私の前でひざまずき足元にすがり付いて、何でもするから付き合ってくれ、愛していると叫ぶ天使系美少年。
あれ? これってさあ。
なんか遠い昔、こんなシチュエーションを望んだことがあったような、なかったような……?
あれあれ?
何か、音楽とかどこかで鳴り始めたんだけど。
そして目の前の黒板に、じわじわと浮かびつつある『GOOD END』の文字が。
ちょっと待って。
まだ、このカス男殴ってないよ。
せめて一発、入れさせて……。
そう思いながら、私の意識は遠くなっていった。




