119 心機一転するつもりなんだぞ……
そうなのだ。仕事を辞めてヤケになって、働きもせずにブラブラして昼間からビールを飲み、掃除洗濯もろくにしないで荒んだ生活をしていた私を心配し、サクラちゃんが教えてくれたのだ。
『貯金があるなら、すぐに再就職を考えなくてもいいかもしれないけど。家賃分くらいは収入があったほうが安心じゃないか? 梨佳がこの前、チラリと言っていたのだけれど、あの子の会社でゲームのテストプレイをしてくれる人を探しているようなんだ。咲さえ良かったら、梨佳に詳しい話をするように言ってもいいかな?』
その時の私は、『ゲームをするだけでお金がもらえる』という話は魅力的に思えた。
私はうなずき、サクラちゃんは即刻梨佳に連絡をしてくれたらしい。すぐに電話がかかってきていきなり、
『咲。会社辞めたんだって? 良かったー、ちょうど良かった!』
という、とても思いやりのない第一声を聞くことになったのである。
でもサクラちゃんを責めてはいけない。彼女だって、梨佳が開発しているのがあんなとんでもないマゾゲーだとは知らなかったはずなのだ。彼女に悪意はなかったのである。
「紹介したのはいいものの、後から気になってね。梨佳は何かに夢中になるとそれしか見えなくなって、他者への気遣いがふっとぶタイプだし。咲はそういうのを気にするほうだしね。もしかして、高校時代のように咲がストレスをためているんじゃないのかなって」
私じゃなくても、梨佳の振る舞いは気になると思うけど。あ、でも室長は流しているのか。でもあの人はスルースキルの塊だしなあ。
しかし、そんな愚痴をサクラちゃんに聞かせるべきではないという分別くらい私にもある。サクラちゃんはただ、『梨佳がバイトを探している』という情報を私に伝え、『条件次第では私がやってもいいかもしれないと言っている』という情報を梨佳に伝えるという仲介をしてくれただけなのだ。その後は、私と梨佳の問題。
高校時代ならいざ知らず、忙しいサクラちゃんにこれ以上迷惑をかけるべきではない。自分のことは自分で解決、これがクールなオトナの態度だ。平群咲、もうすぐ二十九歳、いつまでも子供のままではいられない。成長しないと。
「だ、だ、大丈夫よぉ~。梨佳が電波なのは、高校のときから知ってるし」
しかしやっぱり目が泳いでしまう私だった。嘘の付けない自分が悲しい。『マニアック』のテストプレイという環境を生かし、もう少し腹芸というものを身に着けるべきだろうか。
サクラちゃんはちょっと表情を曇らせた。
「ああ、やっぱりもめているんだ。悪かったね、忙しさにかまけて放りっぱなしで」
バレバレじゃん。私の気遣い、無意味じゃん。
「いやいや、サクラちゃんのせいじゃないから。私も梨佳ももう大人だし、仕事場でケンカなんてしないから安心して」
といっても、高校時代にも梨佳とケンカしたことなんてないんだけど。たまーに、あくまでごくたまーに、私が梨佳の電波っぷりにキレてこっそり愚痴を言っていただけで。
「梨佳が基本、いい子だってことはわかってるし。ちょっと、ちょっとだけ、たまーに電波だけどね。でもほら、翠みたいなタイプとは違うから」
ちなみにその彼女、翠というのは高校時代にサクラちゃんや梨佳と一緒に私がつるんでいたメンバーのひとりである。これがどうしようもない女で、形容詞は『だらしない』、これに尽きる。梨佳に対してはまだしも裏で愚痴るだけで済んだ私だが、翠に対してはさすがにそうはいかなかった。
何度もガチのケンカをし、そのたびにサクラちゃんが仲裁してくれたものである。
卒業後はほとんど顔を合わせていないが、なぜかSNS のグループではよく話をする。そしていまだに時々大ゲンカになる。あ、そういえば。
「翠がどうかした?」
私が黙り込んだので、サクラちゃんは更に眉をひそめる。
「……いや。最後に会ったとき、翠に五千円貸したままでまだ返してもらってないなーって思い出した」
先輩の披露宴に呼ばれたときで、卒業後に翠と会った数少ない機会だったのだが。あの女、『帰りの電車賃を忘れた』とか言いやがって、仕方なく私が貸したのだ。まだ前の会社に勤めていた時で固定収入があったから、景気よく五千円も。でもお世話になった先輩の披露宴に、ほとんど無一文で出席する神経はどうかと思う。
それはともかく、今の私には五千円は大金だ。ぜひ返してもらわないと。翠は平気で借りパクするタイプの女なので、真剣に取り立てないとその金は取り戻せないと思われる。
高校時代にも、私が貸した乙女ゲームがいつまでも返ってこないと思って問い詰めたら、勝手に中古ゲーム屋に売り飛ばしていたことがあった。あんまり好みじゃなくて、自分でも売り払おうかと思っていたゲームではあったが、そういう問題じゃない。
あのときのケンカもひどかったなあ。私は翠の顔面をグーで殴り、目の周りに一週間あざを作ることになった翠は『咲、ひどい』と泣いた。だが自分の放ったパンチで指の骨にヒビが入り全治三週間となった私のほうが泣きたかった。
サクラちゃんがゲームの定価分のお金を私に返してあやまるように翠を諭してくれ、私もそれで手を打ったのだが、ろくな思い出じゃないなコレ。
サクラちゃんはこんなにカッコいい出来る女なのに、どうしてそのまわりにいるのは翠とか梨佳とかしょうもない連中ばっかりだったんだ。
「凪原先輩の結婚式って、確か二年も前じゃないか」
話を聞いたサクラちゃんもため息をついた。
「わかった、翠には利子をつけてお金を返すよう私からも意見しておくよ」
結局、サクラちゃんに面倒をかけるようになるんだよなあ。と思ってから気が付いた。
高校時代のあのグループは、別に気の合うどうしだから集まって一緒にいたわけではないのだ。
サクラちゃんを慕って、サクラちゃんと一緒にいたいやつらが、サクラちゃんの傍に集った結果、一見仲良しグループ的状態を形づくっていただけだったのである。
あれはただのサクラちゃんファンクラブ、あるいは百合ハーレム的な何か。
サクラちゃんしか共通項がなかったのだから、むしろ気が合わなくて当然だったのだ。




