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116 ひとり反省会

「はーい、つかれたでしょ。お茶入れてあるからねー」

 今回も梨佳の明るい声で現実に戻ってくる。なんだか、眩暈がするような。乗り物酔いになりかけのときみたい。

 やっぱり慣れないな、このVR 世界から戻ってくる感覚。ゲームに夢中になっていればいるほど、リアル世界が現実的に感じられなくなって足元がふわふわする。


 そういえば『VR酔い』なんて言葉をSNS で見かけたことがあるような。人によっては吐き気や頭痛がひどくなるんだっけ。流行りのVRMMORPG をやりたいのに、そのせいで出来ないって人がいるって話だったような。


「……咲? 大丈夫?」

 黙っていたら、梨佳が目の前でヒラヒラと手を振った。

「少し顔色悪い? ホケカン行く?」

「大丈夫、だと思う」


 私は軽く深呼吸した。こっちが現実。あっちはゲーム。ちゃんとわかってる、大丈夫。脳の切り替えが追い付かないだけだ。

「咲。甘いロシアンティーを用意したから。飲んで、少し休んで」

 梨佳が呼んでいる。ありがたい。糖分補給は必要かもしれない。


 ふらふらしながらテーブルまで行き、お茶をもらった。おいしい……生き返る……。やっぱり、あの棺桶みたいな機械に入って長時間ゲームをするのって、体に良くないんじゃ。

「フィナンシェもあるよ」

「食べる」

 必要最小限の意思表示で、私は茶菓子に手を伸ばした。ダイエットとか知らん、今は体がカロリーを求めている。


 梨佳が用意してくれたのは、彼女のお気に入りの洋菓子店のジャムと焼き菓子だ。普段なら味わって食べるのだが、今の私は飢えた獣。ガツガツと菓子を食い散らかし、がぶがぶとお茶を飲んで、ようやく現実感覚が戻ってきた。


「疲れてたみたいだね」

「うん……」

 大きなため息が出る。

「梨佳。VR 酔いって、最初は平気だったのにだんだん苦手になってくるとかあるのかな。アレルギーみたいに」

「さあ。ああいうのって体質でしょ? ダメな人は最初からダメだと思うけど」


 そうか。東丸のあやしい機械のせいで体がおかしくなってきているのかと思ったけど、そうでもないのかな。

「けど、前にも言ったけど不調を感じるならどんどん言って。ホケカンとか、必要なら病院にも行ってみて。ハードも実験段階だから、何かないとも言い切れないし。東丸主任が作ったものだし」

 東丸ー! 梨佳にも信用されてないじゃん! このハードのせいで私の体に何かが起きたら、お前と会社を訴える。


「わかった。今日はもう帰って病院に行く」

 私は飲み終わったカップと茶菓子の皿を持って立ち上がった。

 個別エンドの攻略までたどり着いた日は、就業時間にとらわれず帰宅しても良い契約である。余力があれば残って仕事(ゲームの続き)をするのも自由だが。帰りたい、今日は、ものすごく。


「わかった。必要だったら診断書をもらって提出してね」

「うん」

 洗い物をして、カップを棚に片付ける。

「じゃあ、お先に失礼します。室長によろしく」

「おつかれさまー」



 駅までのバスに揺られながら、病院の検索をした。VR 酔いに相当する症状の診断は……うーん、それをウリにしている病院もあるみたいだけど、遠いし、クチコミを見ると予約が数か月待ちだって話だし。眩暈の診療科は、と検索すると、広い。耳鼻科、脳神経外科、内科、心療内科、整形外科、婦人科。広すぎて参考にならない。


 『VR 酔い 検査』で調べたら、脳の検査をしたとかいう話が多く出てきたから、やっぱり脳神経外科とかなのかな。とりあえず近所の病院に相談してみるか。

 駅の傍の医療ビルに入っていた病院に行ってみた。待合室で問診票を書き、四十分くらい待つ。

 五十前後かな、と思われるお医者さんに症状を説明し、今のバイトのことも差し支えない範囲で説明する。


 お医者さんは少し首をかしげて、

「頭痛はなくて、ゲームを止めると三十分くらいで治るのね? うーん、一応、検査しておきます?」

 と言った。検査してもらった。

 結構な待ち時間と、血液検査、CTスキャン。結果は後日、検査料は高額。

 会社に請求すれば補助は出るから、領収書はしっかり取っておく。でも全額は出ないんだよなあ……。辛いところだなあ……。


 アパートに戻るころにはあたりが暗くなっていた。早めに退社したのに、結局いつもと同じ時間だね。

 夕ごはん……作りたくない。でもおなかすいた。でもお金ない。スーパーに寄って、安売りの食パンとコロッケを買って帰る。


 で、パンにコロッケをはさむと、まあ素敵。コロッケサンドの出来上がり。

 ……炭水化物と脂しかねえよ。体に悪そうだよ。あと、太りそう。というか太る。でもダメだ。今日はもう気力がない。おなかがふくれればそれでいい。


 今回の攻略はつらかった。


 パラメータ管理が細かすぎて大変だとか、アヤちゃんが怖かったとか、そんなことはいいんだ。

 いや、ゲームの仕様について言いたいことは山ほどあるが、それはそれ。家賃と食費を稼ぐためだと思えばギリギリ我慢は出来る。ギリギリだけど。ギリギリだけどね。

 でもつらかったのは、そんなことじゃない。


 小林と向かい合っているうちに、私はいろいろなことを思い出した。

 もう終わったはずの日々を。初めての恋人づきあいに浮かれていたあの時間を。


 晴のことを好きでもないのに、私の鼻を明かすためだけに割り込んできた姫子ちゃんが悪いと。

 それにうかうかと乗って鼻の下を伸ばしていた晴が悪いと。

 自分は悪くないとずっと思っていられたら、楽だったのに。


 あの頃の自分の浮かれっぷりを、自己中心なふるまいを。

 恋人だった晴ではなく、『恋人がいる自分』に酔っていたバカさ加減を。

 小林の攻略を通じて、つくづく思い知ってしまった。


 シャワーに行く。裸になって、頭から冷たい水を浴びる。

 あと何回泣いたら、あの恋の痛手から立ち直れるんだろう。あと何回打ちのめされたら、カッコ良く生きられるようになるんだろう。


 涙と自己嫌悪にずぶずぶに溺れるのは、もうこれっきりにしたい。

 今度こそ新しい自分になって、新しい未来に踏み出したい。

 だから今夜は思いっきり酒を飲んで眠ろう。そして明日は笑顔でバイトに行こう。


 もっと強くて素敵な自分になりたい。

 そう思いながら私は、冷たい水に打たれ続けた。


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