113 人生で必要なことは全部オンゲで教わった
小林は黙り込んだ。懐のアンジェリカを上着越しになでながら、うつむいて歩いていく。
私はその横を、大きなゲージを持って歩く。アンジェリカは小型犬だからまだ楽な方なのだが、それでも荷物としてはけっこう邪魔だ。いや、今はそれはどうでもいいが。
交差点に差し掛かる。歩行者信号は赤。私たちはやっぱり黙ったまま、並んで立ち止まる。
車が目の前をどんどん通り過ぎていくのを、一緒に見ている。
信号が変わった。私たちは黙ったまま歩き出す。
「……そう思っているんだったら」
横断歩道を渡っている途中で、小林がつぶやくように言った。
「うまくいかないかもしれないって、ダメになるかもしれないって思っているなら、山田さんはいったい俺に何を望んでいるの?」
「何をって」
それはお前とのトゥルー、またはグッドエンドを回収すること。というメタ事情は置いておいて。そういうことではないんだろうというのはわかる。
「俺、わからないよ」
私の顔を見ないまま、アンジェリカをなでるのはやめずに小林は強い口調で言った。私に何も言わせないようにするかのように。
「付き合ったら別れるかもしれないってわかってるんだろ。じゃあ俺は、山田さんにとって二度と会えなくなってもかまわない相手だってこと? だったらどうして、世の中のやつらは恋愛すると『ずっと一緒にいよう』とか言い出すの? 恋愛って何なんだよ。相手が大事なの、そうじゃないの?」
話しているうちに横断歩道を渡り終えた。歩道をしばらく歩いてから、私たちは大通りを離れて住宅街の路地に入る。
普通は別れることを前提にして付き合い始めたりしないから……とか言っても無駄なんだろうな。それで済むなら、ここまでこじれてはいない。
だが負けない。私だってクリスマス(ゲーム内時間)からここまで、捕獲作戦を練っていただけではないのだ。獲物を罠にかけたって、その後の対処が何もできないんだったら狩りは終わらない。きちんと素材にしてショップに卸すまでがハントです。(シャイモラ基準)
『暁のシャイニングモラトリアム』……変な名前だと思ったけど、そしてどうしてVR 恋愛ゲームの中で更に VRMMORPG をやらなくてはならないのかとかなり謎だったけれど。
思えばあのゲームからはいろいろなことを学んだなあ。特に、本体の恋愛ゲームを攻略するためのヒントをたくさんもらった。まさか、あれが待ち望んだヒント機能というわけではないよね、梨佳?
「二度と会えなくなるのはイヤですよ」
私は鏡の前で練習した、とびっきりのかわいい笑顔で答えた。大丈夫、このくらいの面倒くさい質問は予期している。
「ずっと一緒にいたいから告白するんです。二度と会えなくなるかもしれないのは怖いけど、それでもずっと一緒にいられる可能性に賭けてみたいんです。宝くじで三億当てるみたいな確率でも、信じてみたいんです」
しまった。実年齢が出ちゃった。女子高生は宝くじとか言い出さないよ。あー、リアルで当たらないかな、三億円。
そんな夢のある話も、女子高生(私)のとびきりの笑顔も効果はなく、小林の表情は暗いままだった。
「けど、俺の知ってるやつらは、女の子と付き合ってもみんなこじれて別れてた。中学で告白したやつも、高校や大学で付き合ったやつも、みんなそうだ。最初は仲が良さそうでも、すぐにうまくいかなくなって、最後は互いに悪口を言い合って別れるんだ。本当に好きなら、大事なら、どうしてそんなことをするんだよ」
小林の口調は、なんだか子供みたいだった。根っこにはきっと、ご両親の離婚があるんだろうなあ。
十代の男女なんて付き合っては別れるものだが、それを見るたびに小林の心の傷がほじくり返され、『恋愛は醜く終わるもの』という思い込みを強くしていったんだろう。
ゲームキャラは女子高生だが、中身の私はアラサー。それくらいは想像できる。
幸い、私のリアル両親の夫婦仲は普通だが。親が離婚したり再婚したりするのは、当人たちよりも子供のメンタルに厳しいだろうとは思う。
かといって愛情もないのに無理して一緒に暮らすのも、それはそれで誰も幸せになれないだろうし。恋人って、夫婦って、家族って難しい。それも、わかる。
「じゃあ逆に聞きますけど、小林さん」
私は小林の前に回って進路をふさいだ。ケージを離して地面に置く。
うつむいて、ふところのアンジェリカと足元しか見ていない小林の顔に両手を伸ばして私のほうに向けさせた。
「告白しなければ、恋愛したいと思わなければ、ずっと一緒にいられるんですか。友達だって、仲間だって永遠じゃないって私はさっき言いました。私が告白を撤回して、友達でいようって言えば、小林さんはずっと一緒にいてくれるんですか?」
「それは……」
小林は目を泳がせようとするが、私は許さない。ここは正念場だ。
アンジェリカとの散歩での主導権争いで鍛えた腕の力で、ぐっと奴の顔を固定する。
「大学を卒業しても、就職しても、どこかに引っ越すことになっても。私と時間を過ごしてくれますか。アヤちゃんと中村さんが付き合っても、私とは友達でいてくれるんですか」
「それ、は……。でも……」
小林は困った顔になる。
「友達なんて、全然永遠じゃない」
私は言った。
「だって、友達でいたって、小林さんは私たちから離れていこうとしてるじゃないですか。私たちのこと、私やアンジェリカのこと、切り捨ててもいいって思ってるのは小林さんのほうじゃないですか」
小林は目を見開いて、そして黙り込む。
「ズルいです、小林さん」
私もうつむいて、小林の懐の中にいるアンジェリカに手を伸ばした。女王さまな愛犬は、空気を読んでいるのか珍しく静かにしている。
「どうしたって離れていくんなら、あがいたっていいじゃないですか。それも許してくれないなんて、厳しすぎます。友達でも恋人でもダメなら、どうしたら私と一緒にいてくれるんですか」
ヤバい。なんか言っているうちに、小林に『ずっと今のままの関係でいたいから』とフラれた時の記憶が鮮明によみがえってきて、悔しさが限界値に近づいてきた。
何でいつも、こんなにもギリギリの攻略なんだよ。たまには余裕たっぷりに、『好感度マックスだからこれでトゥルーエンド間違いなしね』みたいな攻略がしたいよ。これでもしダメだったらと思うと、緊張して鼓動が早まる。胃のあたりがキリキリする。
「恋愛って何だとか、ずっと別れずにいられるかとか。私にだってわかりません。だけど、今、一緒にいたいんです。離れていくのはイヤなんです。それじゃあダメなんですか」




