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111 熱々ラーメンは運命の罠

 ワイワイと話をしながら歩いている小林たちの歩みは遅い。私はさりげなく彼らを追い越して、先に学食に入った。

 同じように変装したアヤちゃんが、別の場所から小林を見張ってくれているはず。万一、逃亡するようなことがあったら連絡が来る手はずになっている。


 春休みに入り、学生も少なくなった時期。午後四時前の学食は閑散としている。

 販売機で、私はナポリタンスパゲッティの食券を買った。それを出して料理を受け取ると、無料のお茶を湯飲みに注いでトレイの上へ。

 自然に動けるよう、この学食にも何度も通ったから場所もシステムも熟知している。今の私は立派なニセ学生だ。


 席についたときに、小林たちがやってきた。券売機の前でもワイワイ騒いでいる。私は急いでスパゲッティを食べ始めた。


「よし、決めた! 腹減ってるし、やっぱりラーメン食べよう」

「じゃ、俺も。バイト代出たから、チャーシュー麺にしちゃおう、へへへ」

「えー。じゃあ私も、うどんを頼もうかなあ。寒いし」

 ゼミ仲間たちが次々に食券を買っている。

「じゃ、じゃあ……俺もラーメン……」

 小林もボタンに手を伸ばした。


 計算どおり。


 中村さんについて回っていたことからもわかるとおり、小林はあまり主体性のある性格ではない。むしろ、どちらかというと流されやすいタイプだ。

 そんな小林が、『周りがみんな麺類を頼む』という状況で、自分だけ『お茶だけ』とか『サービスセットごはん大盛りで』などという選択ができるはずもない。


 そう……これも私の仕込みである。

『追試の終わった小林をつかまえ』

『うまいこと学食に誘い』

『みんなで麺類、できればラーメンを食べてほしい』

 中村さんを通じて、彼らに依頼したのだ。私のバイト料から出したお金を渡して。


 ひとり当たり千円、都合が悪くなって今日は来られなくなったやつの分も先払いしているのでけっこうな出費にはなったが、必要経費である。仕方がない。


 小林たちがラーメンをトレイに載せて席に着いたところで、もうひとりの役者が現れた。

「偶然だな、小林。久しぶり」

 缶コーヒーを片手に持った中村さんが登場。もちろん仕込み。


「あ……中村」

 小林はとまどった表情になった。

「お、中村。一緒に座れよ」

 ゼミ仲間が声をかけるが、

「いや。ゼミの相談かなんかだろ? 邪魔しちゃ悪いから」

 中村さんはクールに断った。


 だが彼が座るのは小林と背中合わせ、真後ろの席である。気まずそうに中村さんから目をそらしている小林は、その不自然さにもあまり気を回す余裕がなさそうだが。まあ、不審に思ってもらってもかまわないんだけれどね。


「とにかく食べようや。のびちゃうぞ」

 箸を手に取って麺をすすり始める大学生たち。

 時は来た。獲物は罠に入った。今こそ、網を引き絞る!


「小林さん」

 すでにスパゲッティを食べ終え、トレイも片付けてきた私は彼のテーブルに近づき声をかけた。

 ラーメンを食べようとしていた小林は、怪訝そうに私を見る。

「え? 誰……」

「私です」


 私は伊達メガネをはずし、マフラーを下げ、ウィッグを取った。……小道具多いな。ちょっと凝りすぎたか。

「や、山田さん?」

 しかし、その甲斐あって小林は驚いてくれた。うむ、良いリアクションである。変装用の小物にも地味にお金がかかっているので、これくらいの反応はないと報われない。


「な、何で山田さんがここに」

 めちゃくちゃ焦っている。

「お話があってきました」

 細かいことは言わず、圧だけかける。


 小林は一瞬、逃げ出したそうな顔をした。わかっている、そういう反応をするだろうことは。

 だからこその罠、この場所、このラーメンなのだ。

 今日は空いているが、大学の学食なんてものは昼休みに集まってくる大量の学生を収容することを想定して作られている場所だ。当然、テーブルは小さく、その周りに配置された椅子はギチギチに詰められている。


 今、六人掛けのテーブルの片側に、小林は両脇を男子生徒に挟まれて座っている。そして真後ろには中村さん。もちろん、後ろの席との隙間も狭い。

 そして同卓の三人(男子二人、女子一人)は全員、熱々の麺を食べ始めたばかり。乱暴に席を立てば、汁がこぼれたり服にかかったりする可能性がある。


 人と軋轢を起こさないことを第一に考える日本文化の中で育った人間が、そんなリスクを冒せるか?

 主体性がなく気が小さい小林に、そんな決断ができるか?

 あえて断言しよう。できるわけがない。


 そして何より……この寒い二月に、頼んだばかりの熱々のラーメンを、一口も食べずに逃走することが貧乏学生にできるか。

 学生が金を持っているのなんて、バイト代が入った瞬間だけだ。学食の四百円のラーメンだって、貴重なごちそうである。私なんか、常に赤貧だったからスーパーで買った八枚入り九十円の食パンで一週間食いつなぐこともザラだったよ。


 ラーメンなんてぜいたく品、そうそう口にはできなかった。

 まして男子学生は常に腹を空かせている生き物。なおさら食料は無駄に出来ないはず。


「邪魔はしませんから、どうぞ食べてください」

 私はダメを押した。

 小林は救いを求めるように周りを見る。ゼミ仲間たちはみんな、自分の麺をすするのに夢中になっているフリをしていた。


 中村さん自身が小林に用があるようなことを言って、彼らに協力してもらってくれとお願いしておいたからね。中村さんは私が現れることを知っていたが、小林のゼミ仲間たちは知らなかったはず。

 何か言われる可能性もあったが、幸い全員が『とりあえず成り行きを見守る』という選択をしたようだ。


 誰の援軍も得られず、小林は絶望した表情で私を見て、それからラーメンを見た。

 そしてもう一度、私の顔を見る。

「ラーメン、伸びちゃいますよ」

 促すと、圧力に負けたようにラーメンを食べ始める。主体性のなさ万歳。


 私と面識のない相手でまわりを固めたのは、小林を油断させるためでもあり、事情を知らない人の前では反射的に逃げ出しにくくなるだろうという計算したためである。

 中村さんの配置は保険だ。真後ろに座ってもらって、物理的に席を立ちにくくした。

 しかし最大の罠はラーメンだ。仲間につられてラーメンの食券を買ってしまった、あのときから小林の運命は八割がた決まっていた。


 私は小林がラーメンを食べる姿をずっと黙って監視していた。 

 そして彼が汁を飲み干し終わった瞬間、『これから逃げよう』と考える隙など与えず、

「これ、もらってください。ずっと前から、小林さんが好きでした!」

 チョコレートを差し出した。


 衆人環視の中の告白劇。フラッシュモブもかくやという展開に、学食に居合わせた人々全員の目が私と小林に集まる。

 大丈夫、恥ずかしくない。春の道端での、アヤちゃんへの公開土下座はもっと辛かった。 

 完全に頭が真っ白になった様子の小林は、そのまま左右のゼミ仲間にうながされてチョコレートを受け取った。


 声を上げて冷やかす男子学生、拍手する女子学生。

 厨房のオバちゃんも、『おめでたいわねえ』なんて言っている。

 その日、学食は謎の連帯感と、意味なくほんわかとしたムードに包まれたのだった。


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