108 炎は逆境でこそ燃え上がる
伏線はちゃんとあった。
中村さんが私と親しくなりかけると割り込んで邪魔してくるのに、いざ告白すると『このままの関係でいたい』と振られたり。好感度を上げていく中村さんとアヤちゃんに妙に神経質になっていたり。
それに、両親が離婚しているという話をずっと黙っていたこと。家に帰ったらひとりぼっちだなんて、今回の攻略を始めるまで知らなかった。
個別ルートに入らないと攻略相手は本当の姿を見せてくれない。そんなのは乙女ゲームの常道と言っていい。
今まで何度ループを繰り返そうと、どれだけのゲーム内時間を共にしていようと、それで相手を理解したつもりになっていた私が浅はかだった。
正直に言おう。小林をなめていた。犬さえ触らせておけば好感度は上がる、ハヤテちゃんと桃太郎と中村さんとアヤちゃんの好感度管理をしっかりやっていれば、自動的に落とせると信じ込んでいた。
小林本人のことなんか、まったく気にしていなかった。私はプレイヤーで、相手はたかがゲームキャラ。そう思っていた傲慢さを面と向かってなじられた気がして、とても落ち込む。
あの時、なんて言うのが正しかったんだろう。
この攻略はもう失敗なのだろうか。小林の好感度は、リカバリーできないほど下がってしまったんだろうか。
クリスマス以来、私は小林と会っていない。
彼はドッグランにも顔を出さなくなったし、今まで四人でしていた犬の散歩にも来なくなった。あんなにいつも一緒だった中村-小林なのに、冬休みの間に会ったのは中村さんだけだ。
コンビで活躍していたお笑い芸人が解散してしまって、急にピンになってしまったような。ひとりでいる中村さんを見るとそんな違和感が押し寄せてくる。いや、ハヤテちゃんはいるのだけれど。そこは不可分なんだけれど。
「小林? 勉強が忙しいって言ってたよ」
前から思っていたが、癒着度が高い割には中村さんは小林に冷たいところがある。
「冬休みが明けたら、すぐに試験があるしね。あいつ、あまり成績が良くないから、勉強するのは俺も賛成だよ」
確かに、中村さんとのグッドエンドの時は落第しそうになっていたしな、小林。
中村さんがそう言うのもわからないでもないんだ。わからないでもないんだけれど。
「でも、こんなに急に来なくなっちゃうと、心配じゃないですか?」
そう聞いてみる。
中村さんは不思議そうに首をかしげた。
「どうして? そりゃ、大学が始まっても学校に来ないようだったら気になるけれど。冬休みに試験勉強のためにこもるのは、別におかしなことじゃないだろう。小林の成績なら特に」
どれだけ成績が悪いんだ、小林は。
そうツッコみたくなるが、中村さんの対応でなんとなく察せられたこともあった。
中村さんは犬への興味が全ての上に来る人だ。生類憐みの令の擬人化キャラと言ってもいい男、それが彼である。この男の中では天は人の上に犬を作っているのだ。
そんな中村さんが小林といつも一緒にいた理由はひとつなのだろう。
いつも飄々として犬のことしか考えていない中村さんに、小林が付きまとっていた。それだけなんだ。面倒くさい人間関係から超然としている(と言えば聞こえはいいな)中村さんの傍が、小林には心地よかったのかもしれない。
その場所を、私たちが奪った。違う。私が奪った。
小林エンドを回収する、ただそれだけのために。
これは乙女ゲームなんだからエンド回収するのが目的なんだし、この世界も小林や中村さんもそのために生まれてきた存在なんだから、そこに罪悪感を覚えるのもおかしいんだけど。
それでも思ってしまう。中村さんの隣りというぬるま湯から追い出された小林は、今、どんな気持ちでどこにいるんだろう。
一度ログアウトしてやり直すべきか。迷いつつも、特殊ノーマルエンドがあるかもしれないし、と惰性でこの日常を続けてしまう。行きつく先がバッドエンドでないことを祈るが。このゲームのバッドエンド、精神的にかなりくるんだよね。
……いや。ネガティブになるのも、反省するのもこれで終わりだ。
今までどれだけの時間をこのゲームに費やし、どれだけの理不尽なエンドにこの魂を削られてきたか。その苦しみが無駄になって良いものか。
良くない。断固として、良くない。
小林がどれだけかわいそうな状況にいようが、私も十分にかわいそうだ。というか、むしろ私のほうがかわいそうである。何しろ、リアルに戻ってからがかわいそうの本番だ。
二十代半ばで生れてはじめて出来た彼氏を、三十路を目前にして後輩に寝取られる。そのショックが原因で仕事にも支障が出て、社内中から後ろ指をさされて退社に追い込まれる。行きついた先が、こんなわけのわからんゲームで日銭を稼ぐ毎日。
こんな私の圧倒的『かわいそうパワー』に太刀打ちできるものなら、してみるがいい。かわいそう勝負なら負けない!
この周回を、刻まれた心の傷を無駄にはしない。
もぎとるのだ。逆転するのだ、ここからでも。
私はまだあきらめない。小林とのトゥルー、またはグッドエンドを。




