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107 冷たい雪

「じゃあ、中村さんとアヤちゃんも誘いましょうね」

 私は付け加えた。


 このルートで焦りは厳禁。大前提としてハヤテちゃんと桃太郎をまずはくっつけ、中村さんの恋愛パラメータを上昇させ、当て馬として用意したアヤちゃんとの仲を取り持つことに専念する。そして、中村さんに釣られて恋愛パラメータの上昇した小林を捕獲する。それが攻略のロードマップ。


 改めて思うと迂遠というか面倒くさいというか、深海魚を一本釣りしようとしているような気分になってくるけれど。

 とにかくそういう風に攻略するしか方法がないので、小林と『だけ』距離を詰めようとしても無駄、というかむしろ逆効果なのだ。


 焦らず騒がず、誰の機嫌も損ねないように気を付け、ついでに犬の好感度パラメータにまで気を配り、楽しいグループ交際(石器時代の言葉)を続けながら好感度を上げていき、シナリオの最後に訪れるだろう一瞬のスキを逃さず確実に仕留める。じゃなかった、落とすのだ。


 やっぱり恋愛的な意味じゃなくて、格闘技的な意味の『落とす』に聞こえるな。これ、本当は恋愛ゲームじゃないんじゃ。精神修養ゲームと思ったこともあったけど、本当は狩りゲームなんじゃ。伊藤くんのときもそんな感じはあったし、実はシャイモラが本体なんじゃないのか?


 と、私がそんなことを延々と考えていたのにも理由があって。

 小林がすぐに返事をしなかったのだ。大概の場面で、脊髄反射的な速度であまり内容のない返事をよこすこいつにしては珍しい。

 もしかして聞いていなかったのだろうか。小林から返事がないのは、だいたいそういう理由だ。


 もう一回言い直そうか。そう思ったときである。

「……誘ったら、来るかな」

 踏むとじゅわっと水になる、うっすらと積もり始めた雪を踏みしめながら、小林がそう言った。

「来ないんじゃないかな。中村と尾瀬沼さんは」


「え?」

 話を聞いていたんだ。と口に出そうになってしまい、私はあわてて違うことを言った。

「何でですか。来ないと思ってるんですか?」

 それは、たぶん一番マズいことだった。これがフルダイブ型のVRゲームではなく、ノベルゲーム型の恋愛シミュレーションで出た選択肢なら絶対に選ばなかった類の。


 中村さんとアヤちゃんの恋愛が、小林にとっては地雷だということはなんとなくわかってはいた。あのにわか雨の日の会話を忘れてはいない。

 小林は、中村さんとアヤちゃんが仲良くなることをあまり快く思っていない。友達にだけ彼女が出来たら悔しいとかそういう単純な理由じゃなく、他に何かある。


 それはきっと簡単に触れてはいけないことで、けれど小林を攻略するのなら、いつかは触れなくてはいけないこと。それは理解しているつもりだったのに。

 こんな風に不用意に踏んでしまうはずじゃなかった。機会を狙って、慎重に少しずつ探っていくつもりだったのに。


「山田さんは、不安じゃないの? 中村と尾瀬沼さんが仲良くしているの」

 小林の声は、いつもより尖っている。前と同じ質問。そしてこうもはっきりと言葉にされてしまうと、失言をごまかすこともできない。


「そんな風には思いませんけど」

 もう当たって砕けろだ。私はきっぱりと言う。

「アヤちゃんと中村さんっていい感じだと思いますし、二人が上手くいって幸せになるならそれでいいと思います。私は友達には幸せになってもらいたいです」

 

 我ながら優等生的な答えだが。実際のところ、アヤちゃんを誘導しているのは私だし、中村さんが犬至上主義者で、恋人の上に犬を置く変態だということは黙ったままなわけで。

 しかしこれは小林を攻略するために必要な犠牲なのだ。ごめんアヤちゃん、別ルートでもアイスをおごるから許して。

 

「付き合えば幸せになるって、どうしてそう思うの?」

 声の中の苛立ちが増す。小林がこんな声を出すなんて、聞いたことがない。

 何度も、何度も、何度も犬ルートを周回し続けて、ゲーム内時間の一年を数えきれないくらい共にして。もう知り合って何年にもなるような気がしている、いつもお気楽で、何も考えていなくて、私をイライラさせるばかりだった小林。


 その小林が、私の知らない顔と声で話している。


「絵本の昔話じゃないんだ。付き合ったらそれでめでたしめでたしじゃないだろ。こじれたり、別れたり、上手くいかなくなったりする方が多いって、どうして思わないの?」

 アンジェリカもいつもと違う小林に驚いたのか、私の胸元からワン、ワンと吠える。

 でも態度は大きくても中身はビビりのアンジェリカの吠え声は、いつもより力がなかった。


「みんな楽観的過ぎるよ」

 小林は陰鬱な声で言った。こんな人を、私は知らない。


「中村も、尾瀬沼さんも、山田さんも。安易に付き合う付き合わないって盛り上がって、結局は上手くいかなくなったらどうするの? 顔を合わせるのも気まずくなるだけでしょ。俺たちの、この四人の時間は二度と帰ってこなくなる。それでもいいの? 友達に幸せになってほしいって言うけど、山田さんにとっての友達って尾瀬沼さんだけなの? 俺や中村と会えなくなっても気にしないの? 俺って、山田さんにとってその程度の知り合いなの?」


 小林の言葉は、雪つぶてのように刺さる。

 確かに私は、そんなことは考えていなかった。だって、ゲームだし。だって、失敗したらやり直せばいいし。だって、あなたたちはゲームキャラにすぎないし。

 

 だけど、もし『ワンクッション作戦』が上手くいかなくて、小林の言ったような結果になれば。

 そのルートでの私たちは、永遠に離ればなれのままなんだ。

 これはゲームだ。シナリオがバッドエンドを迎えたら、その先に続く未来はない。


「でも……私……」

 私は、何か言おうとして口ごもる。このゲームに、このルートに慣れたつもりで気楽にプレイをしていた私は、小林のこんな叫びに答える言葉を持っていない。

 VR のリアル感が重い。ゲームだって分かってる。小林が人間じゃないって、ゲームのキャラクターだって分かってる。梨香の用意したシナリオどおりにしゃべっているだけだって分かってる。


 それでも、自分が目の前の相手の気持ちなんか一ミリも考えていなかったと突き付けられて、ただ恋愛ごっこを楽しんでいただけだと糾弾されて。それでもまっすぐに相手の顔を見続けられるほど、私は傲慢に出来ていない。


 雪が冷たい。ハッピー展開の予感に思えたクリスマス・イブに降る雪は、足の先からじわじわと私の体を凍らせていく。

 風はときどき降り続ける雪を横殴りにして、それが小林との間にある越えられない壁みたいに思える。


 私たちは向かい合ったまましばらく黙っていた。

 そして爪先がすっかり冷たくなったころ、小林が力なく言った。

「……ごめん」

 私に背を向けて歩き出す。私が編んだ下手くそな、屏風みたいなマフラーを首に巻いたまま去っていく。


「こんなこと言っても、わからないよね。でも俺、恋とか愛とかが永遠って、そんな風には思えない。バラバラになるフラグみたいにしか思えない。空気読めないやつでごめん」

「小林さん」

 私は、どうやったら引き留められるだろうと必死に考えながら声を絞り出す。


「明日、雪だるまを一緒に作るんですよね?」

 小林は答えなかった。


 雪は積もらなかった。真夜中には雨になったようで、朝起きたときにはもう跡形もなかった。

 私たちは集まらなかったし、雪だるまも作らなかった。



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