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102 深夜の黒い影

 ハッと目を覚ますと、部屋は真っ暗だった。

 私はリビングのカーペットに転がり、ロングクッションを抱きしめて眠ってしまったらしい。このゲーム、いちおう睡眠というイベントがあるんだよね。ただ時間が飛ぶだけじゃなくて、本当に眠るときみたいに意識がなくなるのだ。


 しかし仮想現実の中で強制的に意識を刈り取られるイベントは、安らぎとはほど遠いんだけど。

 梨佳の話によると、どうもこの睡眠イベントを挟むことでゲーム内での時間感覚をいじっているらしい。それによって短い時間でゲーム内の一年間を体感することを可能にしているのだ。


 ……ますます怖いんだけど、そういうことを聞くと。そんなことされて大丈夫なのか、私の脳は。

 いやいや、ゲームシステムについて悲観的なことを考えるのはやめておこう。世の中ではオンライン配信のVRMMO が流行している時代。世界中の人々が楽しんでいるのだから、安全性は確立された技術のはず。


 それはともかく。なぜ私はこんなところで眠っているのだ。

 ゲーム内とはいえ、カーペットの上は睡眠するための定位置ではない。ちゃんとベッドというものがある。床で眠ると、普通に翌日のバイタルが下がるのだ。


 佐藤ゲス人を攻略していたとき、ゲームの中だから平気だろうと思って睡眠時間を取らずに道路工事のバイトを入れたりしていたら、すぐに倒れて数日動けなくなった。VR の中でもしっかりとした生活習慣を守るのが攻略の縛りのひとつにもなっているのだろうけれど、そういうところはリアルを再現しなくていいのよ。もっと雑でいいのよ。


 えーと、小林を呼んですき焼きをして、それから大惨事が起きて……。

 廊下と脱衣所の掃除が終わったあとは、私もリビングに戻って。お茶を飲んだり、一緒にアンジェリカと遊んだりしながら時間を潰して……。

 

 あれ。そのあたりから記憶がないぞ。

 その後、どうしたんだっけ。小林は帰ったんだっけ。

 思い出せない。


 どうやら私は、アンジェリカと遊んでいる間に寝落ちしてしまった様子。我ながらなんて不用心さだ。リアルだったら据え膳案件じゃないか。

 幸い、何ごとも起きなかったみたいだけれど。全年齢向けゲームで良かった。


 とりあえず、薄暗い中でアンジェリカを探す。ケージでちゃんと眠っていた。

 だけど小林はどうしたんだろう。帰ったのかな。でも、だとしたら玄関のカギは開けっ放し?


 決まったイベントしか起きないオフラインゲーム内のこととはいえ、それはやっぱり不用心ではないだろうか。梨佳のことだから、空き巣に有り金を奪われて生活苦エンドとかいう罠を仕組んでいないとも限らないし。


 アンジェリカが起きてしまうといけないので、明かりはつけないでリビングを出た。確か、廊下に懐中電灯が標準装備されていたはず。そう思って壁を探る。あった。

 スイッチを入れると、暗い壁の中に明るい光の輪ができた。それで玄関を照らしてみる。カギ……は、閉まってる。ひと安心だけど、む? なんだか扉の下のほうに塊があるような?


 大声を出しそうになった。

 扉の前に、黒々とした影が座り込んでいた。


 すわ空き巣か、痴漢か、強盗か。

 その一瞬、懐中電灯で思いきり殴りつけることを考えた私は、タコ殴り事件の教訓をあまり生かせていないのかもしれない。

 だけどアンジェリカを置いていくわけにはいかないし、玄関をふさがれているからどっちにしても逃げられないし、やっぱり戦うしかないのでは。燃え上がれ、私の戦闘力!


 だが危ういところで気が付いた。アパートの狭い玄関の隅っこで、扉にもたれかかって寝息を立てていたのは小林だった。戦闘力を発揮するのを思いとどまって本当によかった、あやうく惨劇が繰り返されるところだった。


 しかし。どうしてこいつはこんなところにいるんだ。

「小林さん?」

 あまり大きな声を出しても。そう思って、そっと名前を呼ぶ。小声すぎたのか、反応がなかった。

「あの、小林さん?」

 仕方なく、ちょっとだけ声を大きくしてみる。


「ん……」

 小林はちょっともぞもぞして、いっそう丸くなってしまった。深い眠りについているようだ。

 何でこんなところで眠っているんだよ。なんで帰らなかったんだよ。

 そう言いたかったが、言葉にする前にわかってしまった。


 こいつは私を起こしたくなかったんだ。鍋を作ってごちそうして、洗い物をして、水びたしになった脱衣所と廊下をひとりで掃除して、疲れて眠ってしまった私のことを、起こしたくなかったんだ。

 だけど私が眠ったままの状態で小林が帰ったら、アパートのカギは開けっ放しになってしまう。それもまずいと思ったんだろう。


 そこで小林が取った解決法が『玄関で寝る』だったのだ。


 バカじゃないだろうか。お客が来ているのに眠った私が悪いのだ。ちょっと起こせばいいことだったのに。

 そりゃあ、カギが開けっ放しになっていなくて安心はしたけれど。お前が泊まったら、意味がなくない?


 ……意味、なくはないのか。少なくとも、小林にとっては。

 眠っちゃった私を見て『据え膳』なんて思わずに、かといって全く女の子扱いしていないのかと思えば意外とそうでもなく。

 十一月の夜はけっこう冷えるのに、玄関なんて寝にくい場所で、私から離れてひとりで眠っている小林のことを、私はやっぱりちょっとバカなんじゃないのかと思うけれど。


「小林さん」

「ん……」

「小林さん。こんなところで眠ってると、風邪を引きますよ」

「ん……」

 ダメだ、起きない。


 私はリビングに戻って、クッションや予備の毛布を持ってきた。

「小林さん。クッションを敷きましたから、ここで寝てください。少しはマシだと思いますから」

「ん……。ありが、と……」

 片手で目をこすりながら、小林がクッションに倒れこんできた。やっぱり、体育すわりで玄関にうずくまって眠るのは寝心地が悪かったのだろう。


 私は眠ってしまった小林を毛布でくるんでやる。なんだかジョンのことを思い出す。中村さんを攻略したときの飼い犬。あいつは大ざっぱな性格だったから、こんな風に廊下やキッチンで眠ってしまうことがよくあった。重たい大型犬だったから、そんなときはこうやって毛布を持ってきてくるんでやったのだ。


 ホントに犬みたいだな、小林。ああそうか、だから中村さんとの友情が続いているのか? 犬属性だから?

 そんなことを考えると、つい微笑んでしまう。



 もう数えきれないほど周回をしたこのゲームでその夜、私ははじめて攻略対象をアパートに泊めた。


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