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101 惨劇の余波

 こうして、小林による『アンジェリカ・シャンプーチャレンジ』は見るも無残な結果に終わった。

 考えてみれば、アンジェリカは小林をヒエラルキーの絶対的下位者と見なしている。そんな相手に大嫌いなシャンプーをされることなど、我が愛犬が許すわけもなかったのだ。


 私が甘かった。そう言わざるを得ない。しかし判断ミスの代償は大きかった。

 小林も私も、頭からびっしょり。脱衣場の床も壁も水びたし。

 アンジェリカもぐっしょりぬれたままでリビングのカーペットの上を跳ねまわっている。


「えっと、ごめん、山田さん……」

 さすがにマズいと思ったのか。ようやくシャワーを止めることに成功した小林の声はだいぶうわずっていた。

 良かろう。私は本当に甘ちゃんであった。小林を家に上げ、シャワーを手に持たせた時点でこのくらいのことが起こることは予想すべきであったのだ。


 だが、これで『タコ殴り事件』については相殺されたと思っていいかな? いいよね? 棚に入れたタオルまで全部びしょぬれにされたし。

「ええと、あの……」

「いいです。あやまらなくて。事故ですから」

 冷たく言う私。


「ここ、ふいておいてください。シンク下に新しい雑巾があるので」

 リアル自分のアパートなら生理用品も入っているので、男性に開けさせるわけにはいかないのだが。さすがにゲーム内でそういう面倒くさいことまでは再現されていない。生理はないわ、花粉はないわ、こんな不条理ワールドでさえなければ天国みたいな場所なんだけどな。


 で、小林に掃除をまかせて私はリビングに。びしょびしょのまま、興奮状態でリビングを走り回っているアンジェリカを捕獲に回る。

「アンジェリカ」

 きゃうん、きゃうん、きゃうん。……無視。

「アンジェリカ、ステイ」

 わっふ、きゃうん、きゃうん。

「ステイ!」

 きゃうんきゃうん。

「ステイと言うのがわからぬか!」


 いかん。私の魂にドン鈴木の霊が。

 しかし、憑依させてはならぬお人を憑依させてしまった効果か、アンジェリカは動きを止めた。

 その隙に抱き上げて、ストックしておいた新しいバスタオルにくるむ。(洗い場の棚のタオルは全滅させられたため)


 よく水気をふき取ってから、ドライヤーで乾かしてやる。そのままにしておくと風邪をひくし、小型犬は体調を崩すと後が大変だし。医療費もかかるし。

 それはともかく、私自身もびしょぬれだからアンジェリカを乾かしている間にも刻一刻とカーペットにシミが広がっていくのだが。リアルでないとはいえ、生活苦でのゲームオーバーが存在するゲームだからね。家財道具もダメになるときはダメになるし、体調を崩すときは崩す。そして新しい家財を手に入れるのにも、体調を治すための通院や薬を手に入れるにも、ゲーム内マネーが必要なのだ。


 まあ、カーペットよりアンジェリカだ。こいつが病院に行くことになったら、一番お金がかかる。バイトも休まなくてはいけなくなるし。カーペットなら学校の帰りに買ってくれば済むのだ。


 そんなことを考えているうちに、アンジェリカの乾燥が終了。

 さて、私も着替えるか。

「小林さん」

「うん、何?」

「終わりました?」

「うん、もう少しー」

 まだやっているのか。


「あの。私、着替えるのでこちらに来ないでくださいね」

「あ、うん。そうだよね、わかった! 大丈夫、俺、まだ掃除してるよ!」

 元気の良い返事が返ってくるが、信じて良いのだろうか。……大丈夫か。小林だしね。私が水着姿を披露しても大した興味を示さなかった小林だもんね。


 一応、クローゼットの扉の陰に隠れてもそもそとお着換え。下着までびしょびしょだよ、ひどい話だ。

 ……さすがに、家の中に男がいるというのにパンツをはきかえるのは抵抗があるな。ゲーム内で、相手もNPC とはいえ抵抗があるな。一応、攻略相手なのだし。とはいえ、このままでは非常に気持ちが悪い。くそう、VR め、技術の進歩め。こういう不快な部分についてはわざわざ再現しなくていいと思うのだが。花粉症や生理と同じようになかったことにしてもらいたかった。


 というわけで下着も替えた。あー、ホッとした。

「すみませんでした、もう大丈夫です、小林さん。それでそっちは」

「あー、ごめん。俺、要領悪くって、もうちょっとだと思うんだけど、なかなか終わらなくてさ」

 様子を見に行った私は唖然とした。

 脱衣場も廊下も、(少しはマシになったとはいえ)まだびしょびしょ。理由は簡単である。


 小林自身がびしょぬれのままで、水滴をまき散らしているからだ。

「……小林さん」

 私は低い声で言った。

「脱いでください」


「え? でも俺、着替えなんか持ってきてないよ」

 当たり前である。そんなものを持ってきていたら、どういうつもりだったのか問い詰めたうえでアパートからたたき出す。

「いいから脱いでください。下着も、全部」

「えっ、でも」

「脱げと言っておるのがわからぬか!」


 またしても私の中のドン鈴木が発動。このゲームを続けているうちに、私は身も心もドン鈴木になっていってしまうのではないだろうか。そう思うと怖い。


「えっ、う、うん、でも」

 私の勢いに押され、小林はゴソゴソと服を脱ぎ始める。その間に私は新しいバスタオルをもう一枚、クローゼットから持ってきた。

「体を拭いたら、これを腰に巻いてください」

「あ、うん」

「後ろを向いていますので、振り返っても良くなったら声をかけてください」


 別に見たくないし。あ、でも、おそらく全年齢向けを想定しているだろうこのゲームでこんなイベントを発生させ、どう処理してくるのかはちょっと気になると言えば気になるんだけど、うっかり振り返って丸見えだったりしたらあまり楽しくないのでやめておく。

 

 カーペットにドライヤーを当てているうちに、

「山田さん。服、脱いだけど……」

 小林の声がした。振り返ると、バスタオルを腰に巻いただけの裸族がなさけない様子で廊下に突っ立っていた。思ったよりやせていて、筋肉はない。モヤシ体型だ。


「はい。脱いだものはそこに置いておいて。後は私がやりますから、小林さんはアンジェリカと遊んでいてください」

「え、でも。俺がやったんだし、手伝う……」

「あちらに行けと言っておるのだ!」

「はっ、はいっ!」


 小林は高速でうなずいてから、アンジェリカのところにすっ飛んでいった。見慣れない姿になった小林の登場にアンジェリカがまた威嚇を始めたが、それはまあ、いつものことである。

 私は小林が脱ぎ捨てたものと、自分のびしょぬれの服と、やはりびしょぬれになったバスマットだのタオルだのを全部まとめて洗濯機に放り込んだ。


 リアル自分のアパートと違い、この部屋に初めからついている洗濯機はスイッチひとつで乾燥まですべてやってくれる。楽でいい。リアルの家にも欲しい。

 時間はそれ相応にかかるわけだが。三、四時間で生乾きくらいにはなるだろう。真夜中近くになってしまうが、小林も男子大学生。帰るのに問題はないはずだ。


 それから私は、びしょぬれのままの脱衣場と廊下をひとりで掃除した。シンデレラか、私は。

 ドン鈴木化が進行しているのも気になる。このままでは朝になって目を覚ましたらアバターがあの爺さんになっているのではないだろうか。そんなことになったら泣くぞ。


 自分の先行きが、貯金額とか再就職とか将来設計とか、そういうものとは別ベクトルで不安になってきて、私は震えた。

 


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― 新着の感想 ―
[良い点] 私のお気になドン鈴木憑依に磨きがかかってきて、いいぞいいぞとガッツポーズしております
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