交渉
背中の温かみを啓は知っていた。
そこには自分に好意を持ってくれた女性が居たはずだ。
ストリゴイイという人ならざる者、多くの生徒の命を弄び、効率的な餌として利用としようとした者であるわけがないと思った。
その時、啓は背中から違和感を感じ振り返る。
伊井御から伝わる心音が、左右交互から感じる。
その心音は徐々に早くなり、伊井御はゆっくりと目を開けた。
「美咲君、降ろしてもらえるかな」
伊井御は啓の背からゆっくりと降りると、美夜を睨みつけた。
「ミヤ、流石ねよく分かったものだわ。姿も元の年齢より大分幼くしているというのに」
伊井御はニヤリと口の端を上げる。
「何いっているの、あなたの赤い髪
や青い目。名前なんて逆読みだし、言い出したらキリ無いけど、致命的なのは音」
「音?」
美夜は両耳に手をあてる。
「私、耳が良いから、聞こえるのよ。あなたの二つある心臓の音がね」
伊井御は、くくくっと押し殺すように笑う。
「なる程、確かにそれはばれちゃうわね。私も楽しみすぎて気が緩みすぎたみたいですわ」
その様子を、啓はまるで夢ではないかとも思いながら見ていた。八重子はただ静かに見守る。
「でどうするミヤ、本当に私と話し合いなんて戯れ事するつもり?」
「可能ならね」
美夜の目は笑っていない。
「ストリゴイイ、本気で戦って私に勝てるとでも思っている?」
「その名前、実は可愛くなくて好きではないのです。だから、リトスと読んでくれないかしら?あと、ここの生徒の全ての生命力を得た私なら、アナタと良い勝負が出来ると思いますわ」
フフっとリトスは笑う。
「伊井御さん、お願いだからやめてくれないか?仮にも君と同じ学校の生徒だった彼らの命を弄ばないでくれ、、」
啓は喉の奥から絞り出すように声を出す。
リトスは一瞬目を泳がせたように見えたが、すぐに啓をにらみつけた。
「美咲君、あなた私の方についた方が良くなくて?今なら、私の眷属にしてあげますわ」
この時の啓は、とてもひどい顔をしていたことだろう。
ショックや裏切り、一方的に地獄を押しつけられたような表情。
「なっ、なんでそんな顔をするんですの!?」
リトスは叫んだ。これまでで一番感情を露わにして叫ぶ。そして啓の表情を見ただけというのに、その瞳に涙を浮かべ激しく動揺する。
「いや、嫌、イヤ、私はそんなあなたの顔が見たかったんじゃありませんわ!私は、私は、そうかお前が、お前のせいかー!」
リトスは背中から巨大な翼を広げ、指先の鋭い爪と、大きく開く口から覗く牙で八重子に襲いかかった。
不意をつかれた八重子は辛うじて短刀で防ぐが、勢いを殺せず激しく天井に叩きつけられ、重力で床に落下した。
胸から落ちた八重子は、うぅっ、と小さく呻く。
「八重子さん!しっかり!!」
啓は八重子に駆け寄り、その体を抱える。八重子の口の端からは血が流れていた。呼吸が荒い、八重子は肋骨が折れているようだった。
「まだ、そんな女を!」
リトスは歯ぎしりし、再度襲いかかる姿勢をとるが、強烈な威圧感に逆に襲われた。
「リトス!!!」
美夜は目を見開く。黄色い目は殺意に包まれてた。髪の毛は逆立ち、ただそこに居るだけで誰も身動きがとれなくなる。
それは真祖であるリトスであっても同様であった。
美夜は動けないリトスに歩み寄り、巨大な翼の右の付け根を掴む。
そして、力に任せ引きちぎった。
「ぎぁぁあぁぁぁぁ!」
鈍い音とともに鮮血が飛び散る、その赤い血が美夜を真っ赤に染める。
構わず美夜は残った翼も同様に、表情を変えず引きちぎる。
「、、、、、、、、」
今度は声を上げることも出来ず、廊下に転がるリトスに、美夜は爪を右胸に突き刺した。
「あっがががっっ」
リトスは痙攣するように体を反り、言葉にならないうめき声をあげる。
そして美夜が残った左の胸に、爪を突き刺そうとする。
「美夜さん!」
啓が叫びとともに、リトスを庇うように上から被さる。
「啓君、退きなさい。そいつは八重子を、私の娘を傷つけたのよ。退かないならあなたごと突き刺すわ」
「それでも、これじゃあ何も変わりませんよ!俺はクラスメイトだけでなく、この子も守りたい!」
美夜が殺気をはらんだままの黄色い瞳で二人を見下ろしたとき、苦悶の表情のリトスの瞳に光が戻る。
「馬鹿ね、私から離れなさい。こんな奴をかばってもあなたにとって何にもなりませんわ」
リトスは啓の暖かい体温を感じながら、コホッと口から血を吐く。
その時、美夜の爪が啓の背中にゆっくりと静かに刺さりだした。啓は痛みに顔をゆがめる。それを見たリトスは目を見開いて叫んだ。
「止めて!お願いよ!美咲君は関係ない、私の、私の命だけ取ればいいでしょ!お願い、私はどうなってもいいから美咲君と、もし許されるなら私の眷属を救って下さい!!」
リトスの号泣の叫びが校舎に響く。
「何故だリトス、お前はどうして眷属を救いたい?」
美夜の低い声にリトスは観念したように静かに口を開いた。
「長い時を一人で過ごすのは、私は耐えられません。だから私は多くの眷属を持ちました。彼らは私にとって大事な家族です。でも今の時代は直接の吸血を行えば、事件として大々的に扱われ、情報の海の中から私たちの国は特定され、強力な兵器で滅ぼされるでしょう」
リトスの頬を涙が伝う。
「それでも、私は真祖です。家族は守らなければいけません。私は飢えてもいい、でも家族だけは飢えさせる訳には、、だから、直接吸血の跡を残さず、半永久的に行えるこの方法を、、、」
リトスの顔は、涙や鼻水でぐちゃぐちゃになる。そんなリトスを見つめる美夜の視線は変わらないままだった。
「分からなくはない動機だな、しかし何故日本で行おうとした?自国でも問題なかっただろ? 」
「それは、、、」
リトスはぐちゃぐちゃの顔を美夜から背ける。
「伊井御さん、、、」
啓が譫言のように呟くのを聞くと、リトスは更にたまらない顔になった。
「私は、私は助けてほしかった。。、不安で不安で嫌だった。だから、頼ることが出来そうな人がいる国に、ここへ眷属を引き連れてやってきたのですわ」
リトスは啓の顔を見つめる。
「試験と調査かねてこの学校に入ったはずだったのに、私が手に掛けた人の後釜で生徒会に入ったのに、大変だけどとても楽しくて、こんな世界があるのかと思いましたわ。初めて人並みに生きた気がしたぐらいです。でもそんな人たちの命を私は利用しています」
ゴメンナサイと、リトスは啓にだけ聞こえる声で言った。
「私の話は以上です。美咲君を私から離して、とどめを刺しなさい。飢えから暴走した眷属はもうあなた方が始末されたようですし、あとは基本害のない者ばかりです」
最後はせめて真祖の誇りを持ってと、リトスは美夜を見上げる。
「何故、素直に私を頼らなかった?」
リトスは啓の体を優しく両手で背中を抱きしめ、最後に感じた啓の体温に満面の笑顔となった。
「私にちょっとだけ残された、真祖の意地ですわ」
それを聞いた美夜は、無言でリトスの頬を左で殴りつけた。
その一撃にリトスの意識は飛ぶ。
「馬鹿はあなたの方よ」
美夜は初めてリトスに笑みを向けた。
「啓君ごめんね。痛い思いをさせて、本当ごめんっ」
美夜は刺さった爪を抜き、啓を抱き起こすと、啓に両手をあわせて頭を下げる。
「いや、そこまで謝らなくても良いですって。でも痛みより、俺は美夜さんのあの雰囲気の方が何倍も怖かったですよ」
「そうかな?半分本気で半分演技だったんだけど」
美夜はとぼけたように誤魔化す。
「でもこれが伊井御さんとの交渉だったということになるんですよね?」
「そういうこと。あの子はプライドも高いからね、一旦それらを全て引っ剥がす必要があったの。でも何よりびっくりしたのは、、」
美夜は一呼吸入れる。
「何です?」
「リトスが啓君にあんなに惚れていたことよ」
美夜はにこりと笑った。
夜
啓の自室のベッドには八重子が横になっていた。
落ち着いた寝息で、様態は安定しているように見える。
ここに八重子がいるのは、傷の手当てを美夜が手際よく行った後、恋人なんだから啓君の部屋で看病してね、と美夜にお願いされてしまったからだ。
また、意識を失ったリトスは、美夜がつれて帰っていた。
その後は、美夜の関係する警察組織や何やらが色々と慌ただしくやってきて、という感じで手入れが入っていた。
意識を失った生徒たちについては、伊井御の力が一時的に消えたためか、全員が意識を取り戻し無事だ。
入院中の被害者も、もうすぐ同様に意識を取り戻すだろうと、美夜は啓に話していた。
啓が八重子の額のタオルを変えようとしたとき、彼女の目が開いていたことに気づき「大丈夫?」と声をかける。
「ありがとございます、啓くん。体は大分楽になりました」
「でも、肋骨が折れていたから、安静にしないと、、」
八重子は首を横に振り、私は治癒能力が高いので平気です、と啓に話す。
「動けなくなった私を啓くんは守ってくれました。あの時意識が多少あったので覚えていますよ。本当に心がときめくほど素敵な思い出です」
「大げさだよそれは。それにもう事件が解決したのだから、その呼び方もしなくてもいいよ」
八重子はしばらく考えて、言った。
「ご迷惑でなければ、呼び方はそのままとさせて下さい。だめで、、しょうか?」
熱のためか、八重子の頬はわずかに紅潮している。
「だめじゃないけど、本当にいいの?」
啓の問いに八重子は小さくハイと答えた。
都内 夏樹探偵事務所
"うっ"
来客用のソファーの上でリトスは痛みで目を覚ました。
「ここは、美夜の事務所ね」
リトスは自分の体を見渡す。
上半身は裸だが、そのほとんどが包帯にくるまれている。
「目が覚めた?」
「お陰様で。素敵なほど全身へ激痛が走っていますわ」
リトスが少し腫れた頬に手をやると、美夜は苦笑する。
「どうして私を殺さなかったのですか?」
「初めに言ったでしょ、これは交渉だと。殺し合う必要はないわ」
リトスは不振な目を美夜を向ける。
「本題に入るわ。あなたとその眷属は日本政府が責任を持つ、もちろん生命力の供給を含めてね」
「その見返りは?」
「労働力の提供」
リトスは目を丸くする。
「何よ、その変な交換条件は?」
「言葉のままよ。詳しくは明日出かけた先で詳細を話すわ。ちょっと遠出だから、よく休んでおいてね」
そうだっ、と美夜は一つ聞きたかったことを思い出した。
「ねぇ、どうしてあなたは寮生を標的にしなかったの?」
その質問にリトスは複雑な顔をする。
「この術式の対象者への実行は私の眷属に任せていましたの。でも彼等は日本人の顔の見分けなんて出来ませんし、対象者の選定についても彼らに任していましたので、、、」
「なる程ねぇ、特定の人間を守りたかったから"寮生は襲うな"という制限を加えたわけね。一途よね、本当」
美夜はそれだけ言うと事務所の奥に姿を消した。
「はあ、私生きているんだ。。。どうしよう、次、美咲君にどんな顔で会わせたらいいのか分からないよ」
リトスは深くため息をするのであった。