生きるということ
啓たちが生徒会室に閉じこめられた同時刻
美夜は八重子と連絡が取れないことを確認し、某所に確認の電話をしていた。
「そう、やはり校舎内へは連絡が取れない状態なのね。そちらについては私たちの方で対処するわ。ではあなた方は先の件、早急に進めておいてくれるかしら?」
美夜は冷めたコーヒーで口を潤す。
「そうね、一万人ぐらい必要かしら。でも、あなた方官僚にとっても利益があることに違いないでしょ。もう今、建て前を聞いている暇はないの。だから、さっさと行動に移す!」
美夜は電話を切り、半分近くになったコーヒーを飲み干した。
「全く、保身とか目の前の利益に目的を取り違うのは政治家だから仕方ないとして、優先順位ぐらい考える頭は無いのかしら。まあ、政治家にはそれ以上の期待をしても仕方ないのはわかっていても、どうにもいらつく!」
美夜は事務所の地下にある駐車場へ、悪態をつきながら階段を下りる。
そして美夜は赤い愛車に乗り込み、走り出した。
しばらくし気分が落ち着いてきた美夜は、やっとため息をつく。
「この頃は私達が生きづらい世になったけど、変化は受けいれる必要があるわ。そして自分達も変化した上で考えるようにしないと意味がないし、これも一つの進化と馬鹿のように受け入れてしまうだけでは意味ないから!」
誰に言うでもなく、美夜は言葉を手繰り寄せて叫ぶ。ハンドルを握る手に力が入った。
「本当、無理はしないでよ。あなたも私の大事な友人なのだから」
美夜はかすれるような声で呟いた。
首都高に乗り、いくつかの分岐を経て隣県に入る。更に南下する高速に入り、海辺の八重子たちがいる高校前についたのは一時間後のことだった。
校舎の正門の手前は巨大な石鹸水に包まれたようにわずかに歪み、その境界に手をかざすと"バチッ"と弾き返される。
「これを構成するのにも中の生徒の命を利用しているわけね、本当なんてもの作るのかしら」
美夜は、さてどうしたものかと、しばらく腕を組み考えていると、中から強い力のぶつかり合いを感じた。
「よしよし、八重子は張り切っていると」
美夜はそれを確認すると、さてと、と首をこきこきと鳴らす。
美夜の瞳が黄色く輝く。それに合わせ美夜の全身が震え、耳は長く毛に包まれ、髪は腰までの長さに弾けるように伸び、両腕、両脚は異常なまでに巨大に変わると、指先には巨大な爪が現れた。
美夜はその爪で軽く境界を撫でると、空間を遮断していた境界は紙のように切り裂かれた。
それを確認した美夜は、ゆっくりと歩み始め、正門をくぐり抜ける。
途中、グランドに倒れている生徒たちを見かけるが、美夜は軽く視線を移しただけで、何もすることなく校舎への歩みは止めない。
「上かな?」
美夜が上を見上げると、黒い霧が覆う。その霧はゆっくりと形を変え、異形の姿となった宮坂が現れる。
宮坂の目は血走り、呼吸は荒く、右手で左手を抱えていた。
「な、なつ、、なつき、、みや、、」
それを見た美夜は、悲しい顔で宮坂に語りかける。
「あなたはもう壊れてしまったのね、ごめんなさい。こうなったあなたは、もう私には救えない」
美夜は右手の爪先を銀色に変化させた。宮坂は残った右手を振り上げ、美夜に襲いかかるが、美夜の爪に遮られ、弾き返された。
地面に叩きつけられ動けなくなった宮坂に美夜が近づく。
そして、美夜の銀色の爪が宮坂の左胸に静かに沈む。
低いうなり声が宮坂の口から漏れると、宮坂の身体は色を失い灰のように崩れていく。
「救えなくて、本当にごめんなさい」
美夜は風に飛ばされ、わずかな灰しか残らない小さな固まりとなった宮坂に別れを告げる。
「まだ、終わらないか」
美夜は再び校舎を見上げ、歩き出した。
校舎内はとても静かだった。
美夜は普段の姿に戻り、廊下を歩く。
全校生徒300名ほどがいるはずだが、無人と思える静けさ。全員が意識不明となっているということかと美夜は理解して顔をしかめた時、青い顔をした男子生徒が二人、美夜の前に現れた。
目には光が無く、その歩きは鈍いが、両手を伸ばして美夜に迫ったが、美夜は表情を変えることなく、右手の人差し指と中指を二人に向けた。
すると美夜の爪は銀色の光を灯して、鋭く伸び二人の左胸を正確に突き刺す。
低いうなり声とともに二人は灰と化した。
「ごめんなさい」
美夜は再び口を開き、瞼を閉じる。
救えたかも知れないといった後悔も多少ある。だが、今この状況はそれを許さない。
「あの子はずっと辛い苦しみを抱えているか」
美夜は悲しくて仕方なかった。それは理屈ではない、純粋な悲しみ。
変化とは言葉で表現できるほど簡単に受け入れることが出来るものではない。
時代も人も変化する。
それは我々、人で在らざるべきものも同じ。昔を懐かしみ、それに逃避することは簡単だ、しかしそれでは未来はない。
精神的な死ほど怖いものはないのだ。
美夜は常にそう自分に言い聞かす。
生きたいということは生物の本能だ。だから、それに執着するのはおかしいことではない。だが、生きるというのは結果でしかない。ただ、心臓を止めなければ良いということではない。
喜び、苦しみ、悩み、模索し、実行し、挫折し、発見し、、それらの結果私たちは"生きる"ことが出来る。
でも、悲しいことに誰もが出来るわけではない。
啓の姉、八重子の父、今ここで苦しんでいる彼女やまだ見ぬ者たち。
私だってはただ長い年月を過ごして来たわけではない、と美夜は自分に問う。
遙かな昔、アフリカ大陸の国では神として崇められた事もあった。気まぐれで面倒を見た子供に生きる知恵と心のあり方を説いた時は、大人になったその子は神の使いと呼ばれた。この国ではかつて姫御子と呼ばれた事もある。
私も生きることに執着したのだ。
死ぬことのない体でも、精神的に死ぬことは何よりも恐ろしい。
常に変化しないといけないという思いも、ある種の脅迫にも近い、しかしだからこそ生きているのだと、美夜は思う。
校舎の階段を美夜は一段一段あがる。
わずかに声が美夜には聞こえた。それは聞き覚えのある声。
美夜は声の方向に向かった。歩みは少しずつ早くなり、最後は駆け足となる。早く出会いたかった。
「美夜様!」
美夜が声をかける前に、八重子が声を上げた。
自分の子供にした娘。美夜が見ても美しく、賢く、優しい自慢の娘。
次に目に入ったのは、八重子の隣に立つ啓だ。
姉を亡くした少年。世界のあり方の片鱗を教え、生き方に強い影響を与えてしまった少年。
その背中には女生徒が背負われていた。
「遅れてごめんね、色々と手回ししてたら遅くなったわ」
美夜は彼らに笑顔を向け、謝った。
「八重子さんが助けてくれたおかげで俺たちは無事ですが、他のみんなが、、」
啓は思い詰めた顔で美夜を見る。
「美夜様、私がいながら申し訳在りません」
そんな責任を感じる八重子の頭を、美夜は優しくなでる。
「うんうん、二人ともよくがんばった。だから気にする必要はないわ。後は私の領分になると思うからね」
美夜は二人に向かい言う。
「それと、今回の犯人について話しておきたいのだけど良いかな?」
「美夜さん、犯人は宮坂先生じゃないんですか?」
啓の問いに美夜は首を横に振る。
「犯人はここの校長ではないわ。あれはただの壊れた眷属よ。主犯はルーマニアの吸血鬼の真祖である、ストリゴイイ」
「真祖?」
「まあ、簡単に言えば生まれついての吸血鬼ってこと。そいつがね、人間から直接吸血せずに血、いえ生命力を奪う方法を考えたわけね。生徒にあった赤い斑点覚えているでしょ、あれからまるで無線通信するように常に生命力がストリゴイイへ流れているのよ」
八重子はそれを聞き、声を出した。
「それではストリゴイイは、人間の牧場を作ろうとしているということですか?」
「そうね、私が知る限りストリゴイイの眷属は、小さな一国ぐらいの数が居るみたいね。仲間の餌が足りなくなって、効率的に生命力を得る手段を考えたというところかしら」
「それがここですか!」
啓はわなわなと震えて美夜を見る。
「ここの生徒ぐらいじゃ人数は足りないだろうから、多分手始めという事だと思うけどね」
「何でそんなひどいことを。。。」
「そうですか?」
啓が声のした方を向くと、八重子が表情を変えず啓を見つめている。
「啓くん、人間だって牛や豚や鶏などを同じように食用として牧場化しているではありませんか。基本的な仕組みとしては何も変わりません」
「いや、それでも、それでも、、」
八重子は静かに言う。
「はい。ですが、ここにいる人間には、未来があり、それを必死につかもうと努力する方たちです。そういった人間を牧場化する事については、私も許すことができませんよ、啓くん」
二人のやりとりを美夜はじっと見ていた。
人間と人で在らざる者との生き方。人間さえ生きづらい時代の中で、私たちとどう共存していくのか?共存するのか淘汰するのか等を、互いに議論していくきっかけになるのではないかと美夜は感じていた。
そして、この議論を進めるためには、大事な発言者を舞台に上げる必要があった。
「そうだね、俺も目的は理解できるけど、手段が納得できないんだよ」
啓は歯ぎしりして、床をにらみつける。
「啓くん、私もこれ以上淘汰につながる殺し合いは意味がないと思います。だから、被害が大きくなる前にストリゴイイを倒せば良いといった選択だけは、絶対とってはいけません。もちろん、ストリゴイイが殺戮に興を覚える者でないという前提ですが」
「なら、話し合いをするしかないわね、ストリゴイイと。それとも別の名前で呼んだ方がいいかしら?」
辺りの空気が重くなる。
美夜は啓に向かい一歩近づき、口を開いた。
「ねぇ、伊井御 リトス(イイゴリトス)」