二人
翌日、美咲 啓は特待生専用の学生寮の自室で、けたたましい目覚まし時計の音で目を覚ました。
寝ぼけ眼で周りを見渡すと、何故か周りの景色がちょっと違うような気がした。
物が無くなっているわけではない。必要な物は必要な場所におかれ、そうでない物はきちんと仕分けられている。
啓は普段から割と綺麗好きだが、昨日は帰宅してからそのままベッドに突っ伏したはずで、鞄もその辺に放り投げていたような気がしていた。
しかしその鞄は部屋の扉の前にきちんと置かれている。
「何だ俺、ちゃんと準備しては寝たのか」
「いえ、私が片付けを致しました」
えっ、と啓が驚き横を見ると、ベッドの脇で制服にエプロンをつけた姿の八重子がご飯の盛られた茶碗を片手に、啓を見下ろしていた。
「えっと、八重子さんどうしてここに?」
「寮長さんに合い鍵を頂きましたので」
「いやいや、そういう事じゃなくて、ここは俺の部屋だよ!しかもここ男性寮だし」
パジャマ姿の啓は、出来るだけ冷静に理屈で話そうとするが、言葉がうまくまとめられない。
「でも、私は啓くんの恋人と言うことですし。あっ、ご飯ももう用意できますから早く着替えて下さい」
求める返答は帰ってこないことにがっくりしながら、とりあえず八重子が意識して背を向けていてくれていたので、さっさと着替えだけを済ませる。
小さなちゃぶ台の上にはご飯とお味噌汁、焼き魚に納豆といった、世に言う朝定食という物があった。対面する八重子の前にも同じ物がある。
「えっと、八重子さん」
「はい?ご飯を前にされましたら、まずは"いただきます"です」
「い、いただきます。。。」
啓は一口味噌汁に口を付けると、あっ美味い、と思わず声に出す。
「お口にあって良かったです。美夜様はお味が分からないので、そう言っていただけますと嬉しいものですね」
八重子さんはにこりと笑い、啓はその顔に少し照れてしまう。
とりあえず食べようと思い、半分ほど食べた時点で思い出す。
「いや、そうではなくて八重子さん。男性寮とはいえ、男の部屋に朝から合い鍵で入って、且つご飯の用意をするってのはちょっとおかしいような気がするのだけど」
啓としては、出来るだけ遠回しに言ったつもりだ。
「そうなのですか?美夜様が私に恋人役をするためにはまずは形が大事と仰いまして。教えていただいたレクチャー通りに行動しているのですが、何か足りなかったでしょうか?」
背筋を伸ばし、姿勢良く正座をする八重子が首を傾げた。
啓の頭の中には美夜がとても嬉しそうな笑顔で笑っている様が浮かぶ。
「美夜さんとても楽しそうにレクチャーしていたでしょ?」
「ええ、こう拳を握りしめてとても熱心に教えていただきました。美夜様はお仕事にはとても真面目な方ですし、今回の事件解決には強い意気込みを感じました」
啓の前には、ガッツポーズをする八重子の姿があった。
「どうしました?啓くん?」
「いや、何だろ少しはめられたような気がして。えっと何で俺のことを啓くん、て?」
「美夜様は恋人は下の名前で呼ぶものだと。でも呼び捨ては失礼と思いましたので、ひらがなで"くん"とつける感じでお呼びする事にいたしました」
啓は年上の女性には下の名前で呼ばれることになれていたが、同年代の子に呼ばれるのは恥ずかしい。
「変更はいたしませんので、ご容赦下さい」
八重子に先に言われ、啓は呼び名については何も言えなくなった。
食事を終え、登校時間になると啓と八重子は二人で部屋を出た。
「行ってきます」
啓は机の上に飾られた写真に向けて言う。写真には自分と母、そして亡くなった姉が写っていた。
ドアを開けた際、隣の部屋の生徒が同じタイミングでドアを開けたが、二人を見ると再びドアを閉め室内に消える。
啓は頭を抱えたくて仕方なかった。
校舎までは寮からだとゆっくり歩いても5分程度。それぐらいの距離としても、女性と二人で登校するのは緊張する。
「啓くん、どうしました?」
「いや、素直に恥ずかしいだけだよ」
啓は八重子を見つめストレートに答えた。
「手をつなぐことですか?では、私からおつなぎしましょうか?」
「いや、つながなくて良いから!」
そんなやり取りを続けた後、校舎に着く。
下駄箱で上履きに履き替え、教室に向かう途中、1人の女生徒が目に入った。
赤い腰まで近くある髪に青い瞳、目立つ容姿の美しい女生徒は啓に軽く頭を下げた。
「おはよう、伊井御さん」
「おはよう美咲君。でも意外、美咲君て結構手が早いんだね」
外見に似合わない流暢な日本語で女生徒は話しかける。
「いやいや、その言い方だと俺が女たらしみたいでとても不本意だよ」
啓は今更ながら隣に八重子がいることを今になって思い出す。
「啓くん、こちらの方は?」
「えっと、生徒会の副会長の伊井御 リトス(いいご りとす)さん、あっ、いまは会長代理でもあったっけ?」
二人の会話に、伊井御は片方のこめかみがピクッとする。
「啓くん、て、いきなり下の名前で呼ぶ仲なの?あなた昨日転校してきた夏樹さんだっけ?」
「私は啓くんの恋人ですので」
即答。
一瞬の間があり、伊井御の両のこめかみがピクッとした。
「へぇ、、まあいいわ。えっと、美咲君、こんな時に何だけど前にお願いした生徒会に入る話、本気で考えておいて。会長があんなことになって、人手ほんと足りないのよ。美咲君が入ってくれたらほんと助かるからさ」
伊井御は軽くウインクして隣のクラスに消えていった。
「彼女は啓くんに気があるのですか?」
「そういうのじゃないよ、伊井御さんは二年に入ってすぐ転校してきたんだけど、学業優秀でね、生徒会で空いたポジションの副会長に抜擢されたんだよ。俺は文章構成とかは得意だから、それを知った伊井御さんが書記の補充で俺がほしいだけだよ。昨日の始業のテレビの挨拶までしていたし、ほんと忙しいみたいだ」
伊井御はハーフの帰国子女であり、その裏表の無い性格で男女問わず人気だった。
八重子は啓の話を聞き、あっとした表情をした。
「そう、最初の被害者が前副会長、そして会長も被害者の1人だよ」
情報文化の進歩を感じる。
教室に入った啓と八重子を見るクラスメイトの視線が痛い。
女生徒からは何ともほほえましい視線、男子生徒からは「死ね、コノヤロウ」といった視線が刺さった。これで調査が行えるのか、啓は憂鬱な気分になった。
昼休み
学食に向かおうとした啓は、八重子に呼び止められた。
「お弁当を用意しました」
可愛い包みに入った四角い容器の破壊力は強い。既に他の男子生徒からは転校初日の女生徒に手を出した卑怯者のレッテルを貼られ、女生徒からは普段物静かな啓の別の顔を知ったという事で変に騒いでいるらしかった。
美夜から恋人役をお願いされたこともあり、むげに断れない。
「あ、ありがとう。学食よりも屋上とかの方が良いのかな?」
八重子は同意の笑みでそれに返答した。
「で、どう動いたらいいのかな?」
薄曇りの屋上は人は少ない。啓と八重子は人の余り居ない場所を確保し、弁当をついばむ。
「そうですね、校外については美夜様が動かれていますし、私たちでまず出来ることは、警察などが見逃しそうな、隠れた友人関係というところでしょうか」
「あ、この唐揚げ、すごく美味い、、。えっと、それは例えば被害者の共通点というやつ?」
「ありがとうございます。正確には無いと思われる共通点を探すとなります。今の段階での共通点は、彼らが全員闇に飲まれたという事だけですし、彼らが何故標的に選ばれたのかを知ることで現象の起因、犯人にたどり着けるのではないのでしょうか」
標的に選ばれた理由、それは選ぶ側からとして必要な何かが彼らにあったというべきなのだろうかと、啓は考える。
発生時刻も放課後というだけで、すぐに帰る生徒も、部活で遅くなった生徒もいることから、時刻的な共通点はない。
男子、女子を織り交ぜていることから、性別も関係ない。
「あっ、これは共通点といえないのかも知れないけど」
「何か気づかれたんですか?」
啓は頭をかき、あくまで現時点でのだけどと断りをいれる。
「特待生寮には被害者が出ていない」
放課後
昨日と同じファミレスで三人は集まっていた。
「なる程、寮生には手を出していない、いや出せなかったという事かしら。それとも、寮生は残しているという事も考えられるわね」
美夜は二人の話を聞き、考えをまとめた。
「ところで美夜さん、八重子さんに偏った知識だけ教えるの勘弁してくれませんか?」
八重子は首をかしげ、美夜はニヤリと笑う、
「でも八重子のご飯、美味しかったでしょ?」
「それはとても美味しかったですけど、いやいや、ちょっと注目浴びすぎて気疲れがひどいんですよ」
「啓くん、私はそれ程疲れる女性なのでしょうか。。。」
「いや、八重子さんに疲れる事なんて無いよ!」
「なら、問題無いじゃない。あとは啓君の甲斐性次第という事よ」
啓はがっくりきた。
「でも、本当ありがとうね。生徒の協力者て貴重だから助かるわ。でも一番の危険性は、相手が人間ではないってとこだから」
「美夜様、啓くんは私が守りますのでご安心を」
美夜はそんな八重子へにこりと笑顔を返す。
「宜しくね、八重子。ここの勘定は当然私持ち、正確には政府だから安心してね、私は先に帰るから二人は一緒に帰ってくれたらいいわ」
美夜は手元に大きめの封筒を抱え立ち上がった。
「美夜さん、それってどういう、、」
「学校にはちゃんと話通しているから、大丈夫!八重子、啓君の護衛頼んだわよ」
「お任せください美夜様」
美夜は啓の質問には答えず、颯爽と店を出て行ってしまう。取り残された二人は食事の続きを行うが、会話は余り弾まなかった。
美夜の持つ封筒には何人かの顔写真入りの調査票が入っていたが、その一枚に啓の知る人物が含まれているとは知る由もなかった。