絶望の食堂
サブタイは適当です
食堂まで全速力で駆けて行った。内心びくびくしていた。
ただ、うす汚い机と脚が折れていて使い物にならないような椅子が、混在した虚無な空間。壁の落書き。窓ガラスの損壊。
隣接した校庭から血のにおいが漂ってきて空気も最低だ。
走ってよかったと思う。今はまだ非暴力的な理性のかけらの残された、真っ当な人間の時間だったからだ。
これが少しでも遅れれば、たちまち、人をいたぶることしかできない哀れな無能力者の末路という名のワニに、喰われてしまう。その時はあきらめるしかないというのが定石だ。
実際にそれで、餌食となり、命を落とした奴、トラウマになったやつ、自殺した奴を俺は、何人もこの目で見てきた。
ここに来た当初、ある男と、長話をしていて、気づいたら時間も遅く、配給の時間も終わりに差し掛かってしまったことがあった。
俺は、とてもお腹が空いていたので、そいつに、ちょっと、食堂に行ってくる、と言って、話を切り上げたあと急いで向かって、驚きの光景を見た。
自分と同じように何かしら原因があって、授業が終わった後すぐに食堂に行けなかった奴らが、暴力を振るわれていたのだった。
悲鳴と、怒号が入りかい、机やいすはなぎ倒され、一部は、椅子を持って、それを武器にしていた。
はじめ見たときは全く持って理解不可能な光景だった。目的も、理由も全く分からない。
ただ食堂のいたるところで、7、8人が団子状に蟻のように群がって、足蹴にしたり、パイプを振り下ろしたりと好き放題していた。まさに無秩序状態という言葉がぴったりだった。
でも、その謎はすぐに一人の男の高らかな叫びで、あっさりと融解した。
「やったぞ、この食料は、俺のもんだぁ!」
つまりは、そういうことだったのだ。ただ足りない食事を補うため、人を襲い、強奪するだけの山賊的行為にすぎない。
でもね、この程度で、終わるんじゃ、俺は、話に出していない。
問題はその後だった。今でも記憶に鮮明に残り、何回でもフラッシュバックする、戦慄の光景。
「ふざけんじゃねぇ、よこせぇ!」
それとともにに振り下ろされたその男に対する無慈悲な拳の一撃。それが新たな火種となった。
「な、何しやがる! これは俺が先に取った」
「知るか、そんなもん! いまここでてめーをぶっ殺せばそんなもんは関係ねぇんだよ!」
そうしてまたはじまった一つの缶を巡っての奪い合い。殴り合い。正真正銘おふざけなしの殺し合いだった。
別に、その缶がそんなに魅力的なわけではない。手触りがべたべたするし、ところどころはがれているラベルもお粗末だ。中身も冷たいお粥が8分目まで入っただけ。
本当にそれだけなのだ。普通の人からすれば、そんなもののために、と思うところだろう。
俺もそう思う。でも、皆が空腹に苛立ちを感じ、同じ食料と衛生面の悪さに吐き気を感じ、こうして目を血眼にして、歯をむき出しにして、果てしない戦いを繰り広げているわけだ。
食料を奪われ、かつ必要以上に、攻撃を受けた、哀れな餌たちは、全身から血を流し、それこそ、まさにワニに食い散らかされた肉の残骸の様相を呈していた。
言葉もまともにしゃべれず、ただ床に突っ伏すだけ。誰も目もくれようともしなかった。
俺も助けてやれなかった。勇気がなかった。自分も彼のようには、なりたくないと心の中でよぎった瞬間足は、てこでも動かなくなってしまった。
ここで、一歩でも中に入ったら殺される。
それで、僕は、そーっと、ばれないように体の向きを変えて、そろりそろりとその場を後にした。
これで俺の言いたかったこてとは、すべてわかってもらえたと思う。
ここがいかに不条理な世界で馬鹿みたいに、そこらへんの昆虫でも見たら嘲笑ってしまうような共食いをやっているということも。
俺は、統制官の目の前に置かれた段ボールから缶と、黒ずんだパンを取ると、それらを統制官に見せた。
ここは一人一個ずつが原則なので、統制官の目を盗んで、それ以上持っていくものが出ないようにするためである。
それならば、人を襲って、食料を奪って、一個以上食べるという行為も規制してほしいものだが、あくまで、彼らは俺たちが、絶望に陥っていくのを楽しんでみている側なのでもちろんそんなことはしてくれない。
そして、さっさと自分の教室へと戻る。不思議で仕方がないのだが、なぜだか、ここは、そういった無能力者の暴徒どもが、唯一襲ってこない聖域なので、安心して逃げ込めるのだ。
階段を2段飛ばしで駆け上がり、自分の教室へと向かう。廊下はやはり閑散としていて、右手の窓の外を眺めると、食堂へと、雪崩れ込んでくる醜悪の塊。
危ない、何とか間に合ったみたいだ。少しでも遅かったら、俺も、嬲り殺しにされていたな。
俺は悠々と教室に入り自分の席についた。
もう校庭には人が残っていなかった。……倒れている人は除いて。
缶蓋を手で開けると、中からはトマト特有の甘さと酸っぱさがうまい具合に混ざった良いにおいがした。
食材だとか、衛生だとか、味がどうとか基本的にこの世界に身を置いている限り気にすることはない。とにかく、量だけだが今日は味もよさそうだった。
思わず舌なめずりをしてしまう。
周りに誰もいないことを確認した後、俺は、
「いただきまーす!」
久しぶりに大きな声を出した。自分でも驚くほどだ、出も同時に嬉しい気もした。なんだかまだ全然自分はいけるんだぞ、ってことを証明できたような気がした。
缶の口で切らないように慎重に手を中に突っ込んで、中身を掬い上げると、それを口まで持っていった。
スプーンや箸は提供してもらえないので、こうやって意地汚く食べるしか方法はない、最初こそ抵抗はあったが、生きていくためには捨てなければいけない恥なので我慢しているうちに慣れた。
がつがつと食べる。犬食い、いや、それよりも何段階も低俗な食べ方だ。
でも、ただ頭の中はうまいという言葉だけが光のように駆け抜けていく。それ以外は考えられない。
ただ無我夢中に手を動かす。ぐちゅりと音をたてながら、赤い塊の中に手を突っ込み、それをシャベルのように掬い、何度か噛んでようやく噛み切れるパンとともに咀嚼する。
時間を忘れてそれを繰り返しているうちにいつのまにか俺は完食しきっていた。
どういう風の吹き回しかは知らないがいつものあの適当にもほどがある水の中に浮いただけの粥よりかは何倍もおいしかった。
久しぶりに人間らしい食事をしたので不思議な充足感があった。
(さて、それじゃあ、腹ごしらえもできたことだし)
とりあえず考えなくてはいけないことが大きく二つある。
まず一つは、あいつが、昨日の話。
もう一度地図を見ると、それは自分の住んでいる家の最寄駅からすぐ近くのところだった。
道がかなり入り組んでいて少し迷いそうではあるが、別にそこが問題なわけじゃない。問題は、
(何で今日の八時にここに来るように、と言ってきたかだよな……)
あいつの目的が分からない。真意を聞きそびれてしまったんだ。
あいつは、俺に何をさせたいんだ……?
と、その時廊下から話し声が聞こえた。
「あのさぁ、昨日、また無能力者が、殺されてたんだってぇ」
「へぇ、どこで?」
「いや、そこまではわからないんだけどね、ただ結構うちらみたいな雑魚を見つけてはリンチしてるグループだったらしいんだよね」
「えっ、グループだったの?」
「うん。人の目につきにくい場所だったらしいんだけど、色んな所に死体が転がってたみたいで、大体全部数えてみたら9人くらいだったらしいよ」
「そんなことするのって、やっぱり……」
「うんやっぱり」
使徒みたい。
シトミタイ。
俺は瞬間的に席を立ちあがると、その二人を逃してはならんと、急いで教室を出た。
「ちょっと、待って!」
二人はもう遠くまで歩いていたので追いかけるのも億劫だと思い、誰もいない廊下で大きな声で呼んだ。
それに気づいた二人はぎょっとした様子でこちらを振り返った。そして、そのうちの一人が恐る恐るといった様子で、
「……な、なに? なんかあたしたちに用?」
その目つきが本当に怪しいやつを見るもので、それで初めて今自分がいかに愚かなことをしでかしてしまったのか気づかされた。
でも、ここで、黙るほうが、もっとダメな奴だ。だから、頑張って口を開く。
「い、いや、そんなたいしたことじゃないよ。ただ、あの、その……なんていうか、さっき2人がしてた話、もっと詳しく聞かせてもらえるとうれしいっていうか、なんというか、ね」
いくら、気になったからとはいえ、後先見ずに行動してはいけない、本当にタイミングを伺うことの重要性を身に染みて理解した。
「えっ、あたしたちがしてた話って……」
「ほら、さっき話してたあの使徒が無能力者を惨殺したってやつでしょ」
「うん、それで、合ってる」
彼女は俺の首肯を見て、あぁ、そうかと了解したようにうなずき返すと
「最初から全部聞きたい?」
「出来れば」
「わかったわ。別に時間は腐るほどあるしね」
そうして、彼女が話したのは、使徒が、人目がつかない小路で9人の無能力者を殺害していたということだった。
それ以外は、ほとんどさっきは2人がちらっと、話していたことと変わらなかったが、最も気になったのは どうして、使徒が犯人と分かったのかについてだった。
聞けば、どうも、殺し方が、無能力者ないしは統制官のようなただの人間では出来ないような方法だったらしい。
「その殺し方までは分からない?」
それが、わかれば、何か大きな手掛かりになりそうな気もしたが、
「ごめん。一応これ、人づてに聞いた話だから」
そうか、つまり、誰がこの話を広めたのかもわからないってことか。さすがに、彼女に誰から話を聞いたかと聞いてそれをどんどん繰り返していく方法もあるがそれはセンスも時間もないので、諦めよう。
「これくらいでいいかな?」
とりあえず、これ以上聞きたいことはないし、もういいだろう。
「うん、ありがとう。ごめん。引き留めてしまって」
「そう、じゃあ」
「うん、じゃあ」
そうして、お互いが背を向けてそれぞれの持ち場へと帰った。
とりあえず、聞けたい情報は聞けた。あとは、ここから考えていくだけだけど……。
全く見当もつかない。
とりあえず、あいつの話が本当だったということに、箔がついたけれど、それ以外は何も導き出せなかった。
使徒の能力とは、果たしてなんだろうか? 高校でそれを習う前にここに来てしまったので、何も知らない。
せめて常人とは違うその殺害方法さえわかれば良かったんだけど、それも結局は分からずじまいだから、打つ手がない。
(とりあえず、これに関しては、今日の八時に行ってみるしかないってことか……)
それで、この件は、落としどころをつけておくことにして、今度はもう一つのあの統制官にケンカを売った謎の美少女の行方、そして、何者なのか、についてだな。
こちらは、もっとわからないな。なにせ、初めて見た人だし、それ以前に武器がチェーンソーとか確かに工事現場で手に入りそうだけど、それで、相手を殺すなんて到底考えられないしな。
だとしたら、あのチェーンソーの用途はなんだろうか。
それ以前にあの子は、何者なんだ。無能力者であれだけ啖呵きれる美少女とか導かれる考察、ここに来る前は生徒から大人気の生徒会長だったぐらいしかないわ。
というかチェーンソーで思い出したんだけど、統制官っていざとなったら銃で、撃ってくるんだな。
あれが、問題にならないのも、またここのおかしいところだよな。だって、まだ口答えしてきて、体罰ならわからなくはないけど、威嚇かもしれないとはいえ、高校生に向かって発砲してくるなんて、考えられない。
まぁ、こっちもナイフをはじめとして武器を携行しているのであまり人のことをとやかく言うような立場にはないが。
……って、こんなこと考えてる場合じゃない。とにかく一個でも謎を解かなければ。
そういえば、あの子は、目つきが悪かった。それが彼女の雰囲気を決定づけているくらいに。
あれは、おそらく彼女がここにきてかなり長い時間がたっていうことを表している。そうじゃなかったら、あんな生気を失ったふうにはならない。人間として必要な希望が全てそれ以外の何かに染められてしまったような感じだ。
他にも何かないか。思考を張り巡らせ、考えに考え抜いたものの、結局それ以外は特に答えも出ず、無情に昼休みの終了を告げる鐘の音が鳴ってしまった。
(結局ほとんどわからずじまいだったな……)
誰もいない教室に、統制官がやって来て、他の生徒もぼちぼち揃ったけれど、その日二度と教室にあの女の子が姿を現すことはなかった。