絶望の登校
「今年も、たくさんの子供が生まれたわねぇ」
「本当ね、この子達、13世代が、私たちの希望となっていくもの。頼もしい限りだわ」
清潔感に、満ちた、新生児室。どこまでも、白くシミひとつない純白の壁がその綺麗さを物語っている。
そして、その部屋の中に、赤ん坊の入ったガラスケースが、何列も並んでいる。
「私たちの希望ね……」
1人の助産師が、赤ちゃんに何か異常がないか見回りをしながら、そう言った。
「そうよ。希望。良い響きでしょ」
「確かにそれは、そうなんだけどさ。なんか、こんな小さな子達が、そんな重荷を担いでいかなきゃいけないのかって、思うとね」
「仕方ないのよ。社会が、そう決めたのだから。それは、誰にも抗えないわ」
「世界は、こんなにも変わりやすいのに、全く、皮肉なものね……っと、よし、これで、見回り終了。あー疲れた」
大きい欠伸をして、体を伸ばした。
「当然よ。これだけ、たくさんの赤ちゃんを見たんだから。それに、あんたは、珍しく、難しいことを考えたからね」
「ちょっと! 何よ、私らしくなく、難しいことってぇ! もうひどいよー」
「あはは。ごめん、ごめん。冗談だよ。それより、もう良い時間だし、一緒に、夜ご飯食べに行かない?」
「いいねぇ、賛成!」
二人は、笑い合って、部屋を出て行った。電気は消され、取り残されたたくさんの赤ん坊には1つの夜が訪れた。
ドンドンドンドンと、扉を強く叩く音で、俺は目が覚めた。
隙間風が寒い。カーテンも何もついてない簡素な窓から差し込む光が、朝の訪れを知らせる。
(全く……誰だよ……)
寝ぼけ眼を擦りながら、ベッドから、降りて扉を開ける。
「貴様、何をこんな時間まで寝ている!」
「ぐはっ」
扉を開けた先に立っていたその男は、僕の顔を、おもいっきり殴りつけた。
それは、大人の本気の拳だった。情けも容赦もない一撃が、頬に、突き刺さる。
不意の一撃に俺の体は、自分でも驚くくらいに、吹き飛んだ。そうして、体を、固いベッドに強く打ちつける。
「痛ってぇ……」
殴られたほうの頬を、手で触れると、腫れていた。口元にはぬめっとした感触があって、それらを、口で、舐めとると、鉄の味がした。
しかし、だからといって、それに対し、怒りを覚えることもない。それが無意味だということを知っているからだ。抵抗すればするるだけ、痛い目を見るのは自分なんだ。
「ふんっ、何回、貴様は寝坊したら、気が済むんだ。今回も殺されなかっただけでも、ありがたいと思え。次はないからな」
ペッと、唾が吐き捨てられ、俺の頭についた。
汚いし、気持ち悪くて、今すぐにでも、頭を洗いたいが、それは許可が下されない限りできないのだ。
だから、ただ黙って自分を押し殺す。それだけしかない。
「……すいません。今、行きます」
朝ご飯は、食べなくていいや。どうせ、量も少ないし、吐きそうなほど不味いし。それに、こんな汚い部屋だったら食欲も、出ないし。
ゴミだらけで、床中に、食べ終わった後の、缶詰の缶や、飲み終わった後のペッドボトルが散乱している。
それは、踏み場を見つけるのもやっとくらいだ。まぁ、どうせ、明日、清潔日だし、気にするようなことでもないけども。
「本当に、汚い部屋だな。臭いも最低だ」
「どうせ、明日が、清潔日ですから、今日でこの汚さも終わりですよ」
清潔日とは、その名の通り、1週間に1度、部屋の掃除と、洗濯をする日だ。ゴミは回収してもらい、自分の服を入れる洗濯機に水が、通る。
「周りの奴らは皆とっくに死んでいるのに、貴様だけは生きている。悪運が強いとしか言いようがないな」
「俺も、あまり生きる気がないんですけどねぇ。どうも、神様が、まだ俺を生かしておきたいみたいなんでね」
彼は、俺がそう言うと露骨に嫌そうな顔をした。どうも、俺が、平気の平左でいることが気に食わないみたいだ。
しかし、俺たち無能力者を、取りまとめる、いわば、教師的な立場にある、彼をはじめとした統制官の連中は、原則、無能力者に対する勝手な暴力は許されていないので、何もできない。
もちろん、そういうルールを平気で破るやつもいるが、この統制官は、かなりルールには厳しく、無能力者にも寛容な方だと思う。
「とにかく、監獄へと行くぞ」
「はい、わかりました」
俺は、彼の後について、家を出た。
数十年前に存在した、領土問題を起点とした、世界を巻き込むこととなった第3次世界大戦は、日本の敗北に終わり、日本は、ミサイルや、飛行機による空襲を受けた。
兵士をはじめとした多くの人間がその命を失い、科学技術の発展により、その被害は、第2次世界大戦よりも凄惨なものとなったが、5年にわたった、その世界戦争の終結の際、誰一人として日本の責任追及うをする者はいなかった。
どの国も、戦争に興じ、大量の資本と兵士を投入し、また、多くのものを失って経済を衰退させたため、刑事責任を問う余裕がなかったのだ。
そんな中、生まれたのが後の創生主と呼ばれる一人の人間だった。彼は、天才だった。大学までの学問を、6歳までで、全て修め、そして、興味を抱いたのは政治の世界だった。
それから15歳で、選挙に当選し、かつ、総理大臣という制度を廃止し、指導者という独裁体制を敷いた後、独自の、人が思いつかないような政策をどんどん施行し、経済または工業水準を回復させ、5年後にはGDPを、戦争前の日本にまで、戻していた。
それは、かつて、日本に起きた、東洋の奇跡、高度経済成長期をはるかに超えるものとして、世界各国から、神の再来とまで、呼ばれ、驚愕させた。
そして、国民の名声は高まり、ついには、彼は死ぬまでこの国の指導者として、君臨し続ける法律が制定され、彼の地位は不動のものとなった。
そんな彼が、打ち立てた一つの教育政策が、人類総使徒化計画といわれるものだった。
……と、ここまでが、俺がここに来るまでに政治経済の授業で勉強した内容だった。
この日本には、使徒と呼ばれる子供たちが、多数存在しているのは、知っていた。
なぜなら、それは、周りの同級生がほとんどそうだったからだ。高校二年生から授業が特別に組まれ、使徒としての能力を高め、社会で貢献できることが目的だったが、僕はそれで能力すら発現せず、すぐに、無能力者の烙印が押され、強制連行された。
それは、本当に強制的だった。家に帰ると突然、黒服の男たちに薬をしみこませたハンカチで口を覆われ、意識を失い、目を覚ますと、豚小屋のような鼻をふさぎたくなるような臭いのする貨物列車の中にいて、食事も与えられず、来たのがここだった。
名前は知らない。ただ、北部には研究施設があって、僕達の住む南部とはアパルトヘイトのように隔離されているということだけは、観察してわかった。そして、その二つの境には武装した統制官たちが警備をしていて、来るものを容赦なく殺害していることも。
生活の貧窮さと、そのあまりにも不当な扱いに、何人もの無能力者が、徒党を組んで、反乱を起こした。
俺は参加しなかったが、自分の周りに住んでいるやつらも全員それに参加し、二度と帰ってくることはない。
補充こそされるものの、皆同じような結末を送るのだ。それを何度も見てきているせいか、僕は、刃向わずに生きていく方法が頭の中で、染みついているんだ。
と、そうこうしているうちに、電車を利用して、少し歩き、ようやく、監獄へとたどり着いた。
監獄は、別に、本当に牢獄というわけではなく、実際には学校だ。勉強と休み時間もしっかりと確保されている。
ただ、昼ごはんは、質も量も悪いのに配給制だし、教育は、創生主を崇めるような、愛国主義が、遺憾なく反映された教科書による歴史の授業であったり、教育勅語の書き取らせだったりと前時代的なものだ。
他にもたくさんあるが、とにかく、普通とはかなり違う学校だと思ってくれればいい。
更地を、人間の背よりもはるかに高い鉄柵と、その上に張られた、有刺鉄線、さらに外側ににある鉄条網と、逃げ出すものがいないか、見張るための物見やぐらに囲まれ、造りは質素であるはずなのに、一歩足を踏み入れるだけで閉塞感が体に重くのしかかってくる。
その中では、男も女も関係なく、ただ、暴力と悲鳴だけが存在していた。
殴り合いの喧嘩には、どちらが勝つか賭けるために、群がり、時折、歓声を上げる。
隅でリンチを受けている者もいれば、壁にスプレーで、何か書きつけている者もいる。
そんな中を、俺は統制官に引き連れられながら、学校の裏手まで向かう。
いわば、ここは、獲物を狙うライオンがしかいない、サファリパークなのだ。統制官というバスに乗っていることで初めて身を守ることができる。
だから、わざと、寝坊したふりをして、自分一人でこの学校に入らないようにしているのだ。
大人のグー1発と、同年代の人間数人の集団暴力だったら、考えるまでもなく前者を選ぶだろう。別に僕は、ここで死ぬことは、もう避けられないだろうから諦めているけど、それでも、校内暴力で死ぬというような惨めな最期だけは避けたいという矜持が僕にもある。
たくさんの視線が突き刺さる。それは、もう飢えた肉食獣を喚起させる鋭い眼差しだった。
そんな中をただ、黙って通り抜ける。心臓は、かなり強く鼓動を打っている。毎回緊張するのだ。
そして、辿り着いたのは、いつもの場所だった。
「今日は、いつもより少なめで薪をノルマ50本で割れ。今、少し不足しているから、午前中の間で仕上げろ。いいな?」
「わかりました」
「よし」
そう言ってから、彼は元来た道を引き返していった。それを見届けた後、俺は近くに立てかけられていた斧を取り、早々と一本目から取りかかっていた。
これがいつもの日常だった