六之八
碧は手探りで書状を探した。
手に女の下帯が触れるものの、なかなか書状にはいきつかない。
顔を出してしまえば気づかれる恐れもあって、指先の感覚だけを頼りに宝物を探すしかなかった。
無理な姿勢を続けているせいで指の筋がつりそうになってきたが、やがて指先に、固いものが触れた。
彼女は指でつまんでそれを引っ張ろうとしたが、下帯に引っかかっているのか、うまく引き出せない。
それでもゆっくりゆっくり、袱紗をたぐりよせた。焦れる心を抑えつつ。
ゼニヤスは逡巡した。
このまま知らぬ顔で見過ごしてしまうのが最善だろう。
なんと云っても、自分の命がかかっている。
ここで善珠に警告すれば、覗きをしていたゼニヤスの未来はそこで潰える。
――どうする、どうする……。
やがて、覚悟を決めた。
書状を大野治長に届ければ、しばらく遊んで暮らせるほどの恩賞が手に入るのだ。
善珠には平謝りに謝って、なんとか命だけは助けてもらうしかない。
覚悟を決めれば、行動がはやい。
「書状だ、姐さん!」
小袖を払って叫んだ。
善珠は、手拭いでぬぐっていた顔をあげて、
「なに!?」
ゼニヤスを睨むより先に、反射的に船べりから伸びた手を蹴りあげたのは、さすがであった。
大柄のその身体を立ち上がらせつつ、萱の屋根を突き破って、梁や柱の破片をまき散らし、目いっぱい脚を振り上げて恥部を星々に照覧させる。
船頭たちが、いっせいに、屋根を突き破って現れた裸体に眼を走らせた。
視線にかまわず善珠は、夜空に高々と舞い上がった書状に向かって、船を大きく揺らしながら飛び上がった。
同時に、船べりに現れた黒い影も躍り上がる。
善珠の筋肉質の腕よりも高く飛翔したのは、碧のほうであった。
碧は書状をつかむと、宙返りして、屋根の棟木の上に着地した。
不安定なその足場を船首に向かって走る。
「逃がすんじゃないよ!」
善珠の叫びに応じたように碧の眼の前の屋根が――前方半分ほどの屋根が崩れ落ち、巨大な男が姿を現す。
トロハチは、直前まで眠っていたとは思われない機敏さで、即座に碧の身体を持ち上げた。
だが、着物をつかもうとする手が滑った。
水着には帯のようなとっかかりがなかったためつかめない。碧は持ち上げられた身体をすべらせつつ淀川に飛び込んだ。
ちなみに書状はすでに油紙で巻いて水着と肌の間に挟み込んである。
この辺りの水深は二尺ばかりしかない。下手な角度で飛び込めば、川底に頭を打ちつける。なので、碧は、水面にほとんど平行の角度で飛び込んだ。
善珠が屋根の崩れた船上を、ライフル銃をつかんで裸のまま横切って、船のへりに脚を乗せて、銃を構え、その左眼を隠している眼帯をはじくようにずらしあげた。
その眼は、怪我や病気で不自由だったわけではなかった。
きっと見開かれた左の瞳が、金色に輝き始めた。
鵜飼の鵜から逃げる鮎のように、碧の均整の取れた身体が水面直下を滑るように泳ぐ。
その腕を、弾丸がかすめた。
そしてまた一発、川面を穿ち脇をかすめ過ぎた。
碧は驚愕した。
暗闇のはずなのに、あまりに正確な射撃であった。
善珠がまたライフル銃を撃った。
素早く次弾を装填して、さらに撃つ。
彼女が左眼に眼帯をしていたのは、左右の瞳の色が異なる、
虹彩異色症――、
を隠すためであった。彼女自身、べつにこの生まれ持った身体的特徴を恥じているわけではないが、差別的な眼差しでじろじろと愚物どもに見物されるのは面白くない。
そのための眼帯であったが、そうして眼帯をしているうちに、どういうわけかはわからなかったが、左眼が異常なまでに視力があがり夜目も利くようになった。
実際くらべたわけではないが、真っ暗闇であっても、おそらく、修行を積んだ忍者よりも三倍ほどの遠距離を見渡せるはずだ。
その黄金の瞳が碧の姿を追っている。
また一発の銃声が轟く。
「ええい、なんで当たらないんだよっ、やっぱり照準が狂ってるんじゃないのかい!?」
「ま、まさか」と言い訳がましく答えたのはゼニヤスであった。「調整はばっちりですぜ」
「じゃあ、何で当たらないのさ!」怒鳴りながら善珠は撃ち続ける。
「船が揺れてるからじゃないんかねえ」と的確な解答を導き出したのはトロハチであった。
善珠は舌打ちした。
黄金の左眼の視界のそとに、標的が消え去ってしまっていた。
「覚えてろ、小娘!」
もう見えない獲物に向けてあらん限りの大音声で悪態をついた。
「今度会ったら、ぎたんぎたんに引き裂いてやるからな!」
ヒステリックにうわずった叫声は暗闇を引き裂くようにして、周囲に轟くのであった。




