表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
久遠の輪廻 ―アオイ妖忍伝―  作者: 優木悠
第四章 迷宮彷徨

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

65/199

四之十二

 お縫は今日も、どこかへ出かけて行った。買い物と云ってはいたが、嘘であろう。

 祥馬は居間の床に怠惰に寝ころんで、天井板の木目をぼんやりと見つめていた。毎日のように見ていたはずの天井板なのに、今見る木目のひとつが、なぜか鼠のように思え、我ながらなぜこんな時にそんな錯覚を起こすのか、可笑しくなってくるのであった。

 最初に会ったあの日から、彼は彼女の眼に、軽侮の色が(にじ)んでいることに気づいていた。その色が、日を追うごとにしだいしだいに濃厚になっていることにも気づいていた。しかもそれはあのとき以来、急速に濃度を増していたのだった。

 ――俺を愛してくれる女などは、やはりおらぬのだ。

 時折、あのときの光景が、柔らかい身体の感触が、吐息の匂いが鮮明にフラッシュバックするのだった。彼女の肌の温もりも、舐めた肌のしょっぱくて甘くてほろ苦い味も、白い肢体も、薄紅色の乳暈も、月光のもとで見ただけのはずなのに、鮮やかに脳裏にまざまざと描かれるのだった。

 そしてあの最後の瞬間の悲痛も、そして同時に過去の嫌な記憶も、心の深奥からわきおこって来るのだった。

 彼は以前から、さほど女というものに興味があったわけではない。しかし、欲情がないわけではない。それである時、思いきって女郎屋に脚をはこんだことがあった。だが、結果は今回と同じだった。終わった直後に彼はまろぶように部屋から飛び出した。その時ちらりと目の隅にうつった女郎の侮辱の笑みが脳裏を駆け巡るのだった。お縫は笑いはしなかった。だが、心底で侮蔑しているのはわかる。

 彼は彼女を愛している。初めて出会った瞬間から愛している。あの時、垣根の向こうとこっちで視線を交わした瞬間に、胸にときめきをおぼえたのだった。軽蔑されているからと云ってけっしてすぐに断ち切れるものではないほど、もう愛しきっている。これを未練というのだろう。執着というのだろう。

 鬼巌坊はあの女には気をつけろという。あれは伊賀の忍に違いないという。

 ――そんなことがあろうはずがない。

 しかし……、と思わないでもない。

 辻占いの客を待っているときに、ふと、視線を感じる時があった。道を歩いていて、後をつけられているのではないかと感じたこともあった。いずれも気のせいだと考えていたが、彼女が結界に嵌まり込んでいたのを助け出したとき、おかしいと思ったのだ。なぜ彼女はあの道を歩いていたのだ。

「やめよう」

 彼は自分に云いきかせるようにつぶやいた。

 やめよう、猜疑などは底のない泥沼のようなものだ。

 信じよう。彼女はそんな人間ではない。

 そして彼女がこの家から去っていかないことを祈ろう。そして彼女の心がいつか自分に好意を抱いてくれるのを待とう。それがはかない、蜘蛛の糸のような細く(もろ)い希望であったとしても。

 誰かが、枝折戸を開けて庭に入ってきた。

 お縫ではない、この無遠慮な足取りは鬼巌坊だ。

「どうした」縁側から風来坊主が顔をのぞかせた。「気分でも悪いのか」

「ううむ」

 と肯定とも否定ともつかないふうに唸って、ちらりと坊主に眼をやった。鬼巌坊はこの男に似ず奇妙に心配そうな顔をしてこっちを睨んでいる。いつも口元をほころばせているこの男の、こんな表情を見るのも何だか可笑しい。

 祥馬は首を戻してまた天井を見続けた。

 今までのらりくらりと拒んできた今度の一件であったが、もう本腰を入れてやってみようという気になっていた。

 あの、先日周縁を探った屋敷は土御門の邸宅であった。

 これは、土御門に対する復讐であった。

 そして、これまで自分を軽蔑し疎外してきた世間に対する復讐であった。

 ――宝物(ほうもつ)を盗んで復讐などと、やはり俺は狐の子なのかもしれぬ。

 彼はひとつ、自嘲するように口の端をゆがめ、そのゆがんだ唇をすぐに戻して、身体を起こした。

「行きましょう。あの程度の結界でしたら、もう二、三日で破ってみせますよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ