四之八
そしてさらに数日が過ぎ――。
その日は、陽も傾きかけてきたというのに、祥馬は文机に向かったまま、書物をめくったりなにか書き物をしたりしていた。
鶫は、白湯を入れてそこまで運んで、
「ずいぶんご熱心ですのね」
湯呑みを差し出しながら、ちょっと机上に広げられた一尺四方ほどの紙を盗み見た。
そこには、どこかの屋敷らしき見取り図と、それを囲むようにいくつかの赤い点が書き込まれていた。
祥馬は覗き見る鶫を叱るでもなく、
「あ、いえなに、ただ家相を見ているだけですよ」
そう云いながら、しかし、その図面をほかの書物でそっと隠したのだった。
――なにか、花神たちの企てに関係しているのだろうか。
鶫が不審に思った時であった。
「おうい、幸徳井の、ちいと手を貸してくれい」
むやみに大きな声で呼びかけながら、縁側に影がひとつ。
――鬼巌坊!?
鶫が身を隠す暇などは、ない。
ふりかえった祥馬と鶫を見くらべ、
「いやはや、これはお邪魔であったか」
そう云って、品性とはまるで無縁の大声で笑うのであった。
祥馬は、ほっと溜め息をひとつ。
「どうせそんなことだろうと、思っておりましたよ」
そう云って、さきほどの図面を雲水のもとへ持っていくのだった。
「これをみながら、なんとかしてください。やり方はそこに書いておきました」
鬼巌坊はそれを受け取って、縁側に腰かけて、穴の開きそうなほどその紙を凝視している。
「ううん、そうは云われても、のう」
「そうおっしゃられても、先に申しましたように、私はもう手を引かせていただきたいのです」
そんなやりとりを注意深く、一言も聞き逃すまいとするかのように、耳に神経を集中させつつ、鶫はいったん台所に引っ込んで、白湯を湯呑みにいれて戻ってきて、鬼巌坊にそれを差し出した。
「どうぞ」
「おう、これはご造作」
鬼巌坊は、図面から眼を放して、鶫を、――とくに豊かな胸のふくらみをじっくりと堪能するように見て、
「これは、眼福」
にっと無邪気に笑うのであった。
――この、助平衛坊主め。
心中で罵りながら、鶫も満面からあふれんばかりの笑みを返して、その場をさがったのであった。
鶫は台所をまわって寝室へと入り、隣の居間から聞こえる会話に耳をすませた。
あいかわらず、肝心な部分はぼそぼそと喋るものだからよく聞き取れなかったが、やがて、
「しかたがありませんね」
と祥馬が溜め息まじりに何かを承諾したのだった。
「いやいや、恩に着る」
続けて鬼巌坊が笑って云った。
そうして、しばらくばたばたと何か準備するような物音がして、
「お縫さん、ちょっと出てきます」
と祥馬がこちらに向けて声をかけた。
「帰りは遅くなりますので、夕餉はお先にすませてかまいませんよ」
じゃあ、行きましょうか、とふたりの足音がすぐに遠ざかっていった。
やはりあの女子と良い仲なんだろう、と鬼巌坊のからかう声だけが聞こえてくる。
これは、後をつけないわけにはいかない。
鶫が外へ出ると、ふたりは路地を西へ向かって歩いていくところであった。その姿はすぐに隣の家の塀に隠れてしまった。
忍者である鶫にとっては、尾行などは息を吸うよりたやすい。
ふたりはどんどん西へ進んだ。
家並みから出て、田畑の中へ出てしまうと、身を隠す場所がなく、後をつけにくいのであるが、距離をとって慎重に追っていった。
十町ほどもまっすぐ進むと、今度は南へ進路をとった。
そしてしばらくすると、家屋敷がちらほらと寄り添うように何軒か建つ集落へと到着した。
祥馬と鬼巌坊は、その中の、神社の境内へと入っていき、何か話をはじめたようだ。
鶫は、下手に近づく愚を避けて、境内を囲む杉木立の中の一本に身を寄せて様子をうかがうにとどめた。
ふたりは重要な何かをしているわけではなさそうで、ただ暇つぶしをしているふうにみえる。祥馬が神社の鳥居や灯籠や社を眺めているのへ、その横で鬼巌坊が一方的にお喋りをしているだけであった。
ほどなく陽が傾き、黄昏時を迎えた。
ふたりはうなづきあって、鳥居から出ていった。
青年陰陽師と中年雲水は、ひとつの、千坪ほどの敷地の屋敷の周りを、薄暗がりに溶け込むようにして、何度か周回した。途中、ところどころで立ちどまって、祥馬が指をさしてなにか教示をしているようであった。
四半刻も、そんなことを続けていたであろうか、やがて、
「もうこの辺でいいだろう」
と鬼巌坊の大声が風に乗って二十間ほども離れた鶫の耳に届いた。
「続きはまた明日にでもしよう」
坊主は辺りにはばかるつもりはもうない様子で、祥馬に語りかけながら北へと歩いていった。
鶫も、もうこの辺で尾行はやめてもよさそうだ、とは思ったものの、ついなにか惹きつけられるように、後をつけて行った。
御前通りと呼ばれる道をひたすら北へ、三条通りにかかると東へ向かい、さらに行く。堀川通りあたりまで来ると、ふたりは一軒の呑み屋らしき店に入っていった。
この辺りは二条城に近く、武家客を当て込んだ店のようであった。
鶫はそこまで見届けて、さすがにもういいだろうと思った。
いい加減、帰宅して食事の支度でもしよう。しかし、祥馬の分は作っておいたほうがいいのかしら。などと、世話女房のような悩みに頭をひねるのであった。




