九之三
淡路国の洲本という町は、東に大坂湾をひかえ、港町としての風情を感じさせながらも、内陸に入ればすぐにこぢんまりとした町があって、そしてさらに西へと進めばまたすぐに山にかこまれた田畑がひろがる牧歌的な風景がひろがっている。
昨今、洲本藩主池田忠雄は、兄が死去したことにともなって岡山藩へと移ることとなった。
洲本の二里ほど南にある由良に藩城はあって、その城では引っ越しやらなにやらで大忙しのはずであるが、洲本の町はまるで関係ないような雰囲気で、人々ののんびりとした生活感が空気となってただよっている。
「さて」
船を降りた碧は、港の端までくると立ち止まって隣の嵐に声をかけた。
「これからどうしましょうか」
「どうしましょうかと云われても、どうしましょう」
嵐は両手を頭の後ろで組んでそう答えた。ふたりは動きやすい袖のない野良着姿なので、そんな恰好をすると脇が周囲の人々に丸見えになる。のであるが、男たちの視線など嵐はおかまいなしのようすだ。
「やめなさい、はしたない」とたしなめて、碧は、「とりあえず淡路まで来たのはいいけど、無計画すぎたわね」
案の定、町へと向かっていく商人や武家、――いままで一緒に船上にいた客たちが嵐の脇を横目で見ながら通り過ぎていく。
碧は彼女の肘をつかんで、力いっぱい引き下ろして、
「ともかく、宿を探しましょう。ご飯を食べて、それから予定をたてましょう」
「んだな」
今度は耳の穴をほじって云う嵐の腕をまたもや引き下ろしてから、碧は町へとむけて歩き出した。
堺で嵐が見つけた漁師は、あぐりが殃狗に連れ去られた日のその明け方に、狛犬のような魔物が西へと海を渡っていくのを、堺のずっと南にある紀淡海峡あたりで見たのだそうだ。碧と嵐はそのあたりでもさんざん聞き込みをしたのに、その時はまったく情報が得られなかったのが、無念であった。
そんなわけで、さしあたって淡路へと向かうのが得策だろうと考えて、ふたりは船で淡路の洲本までやってきたのであった。
洲本藩というくらいだから、本来はこの洲本の町に城があったわけだが、由良に城下町が移動したせいか、港の喧騒を抜け出ると、ずいぶん静かな町並みがひろがっている。
だがその静穏のどこかから、にぎやかな太鼓や笛の音や、まるで祭りでもしているような、人々の騒ぐようすが流れてきた。
「あ、あそこでなにかやってるぜ」
祭りだとか踊りだとか、そういう活気のあることが好きな性分なものだから、嵐はめざとくその人だかりを見つけだした。
そこは町並みの端にある、火除け地かなにかの十五間四方ほどの空き地で、音楽にあわせて三、四十の人数が踊ったり声をあげたりしていた。
碧は息を呑んでそれを凝視した。
踊る人々の装束が異様であった。
男は布を腰に巻いて、頭は左右の耳のところで髪を結った美豆良をしていたり手ぬぐいのような布をかぶっている。女は、貫頭衣(長い布に穴をあけてかぶって腰を紐でしばっている)を着て、頭は頭頂で丸く結っている。みな麻のうす茶色の着物で、弥生時代か古墳時代のような様相である。
碧も嵐も、太古の風俗の知識などはないから、彼らを驚きと好奇心をもって、なかば唖然としてみつめた。ふたりと同じように、旅人の幾人かが脚をとめて、珍奇な光景を見入っている。
集団は、軽快なリズムで太鼓や笛をかなでる数人の楽士を輪になって取り巻いて、手を天に向かって差し伸ばしたり振り回したり、歌ともうめきともつかぬ声を発して、足を踏み鳴らし腰を振り身体をゆすり、一心不乱になって踊っているのだった。一見楽しそうなのであるが、どこか儀式めいた雰囲気もあって、まるでこの世のものとは思えないような不思議な光景である。そしてそれをじっと見ていると、頭がぼうっとしてきて白昼夢のなかにいるような、幻でも見ているような心地になってくるのだ。
だが、道行く土地の人々は見なれているのか別段気にするふうはなく、横目でちらりとみやることはあっても、珍奇なものを見るようなそぶりはまるでない。
碧はふっと我に返って、そばを通り過ぎる商家の隠居ふうの老爺に声をかけた。
「あの、すみません。あの人たちはいったい」
「ああ、あれね」と老人は、「真聖神惶教ちゅうけったいなやつらや」
「真聖神惶教」
「ときどき町に現れては、あんなふうに踊って信者を勧誘しとるんじゃ。あんなもんにかかわらんほうがええ」
なにかうるさい虫でも追い払うように手を振りながら老人は語った。訊かれなれたことを解説するような口調であった。そうして、
「悪いことはいわん、とっとと立ち去りなはれ」
つっけんどんに云って、老人は去っていった。




