八之八
「大坂の将士は戦うことばかり考えている。戦って潔く身を散らすことばかり考えている」
屋敷の居間で花神恭之介は端然と座って云った。静かで落ち着いた口調であるが、言葉には彼の確固とした信念がにじみでていて、力強さがあった。
それを黙って城戸鶫は聞いていた。隣には陰陽師の幸徳井祥馬も並んで座っている。
「大坂方は戦ってはいけないのだ。ひたすら城に籠もり続ければいい。籠もって混乱を長引かせるのだ。一年、三年、五年。そのうち大御所も死ぬ。そうすると次第に離反者が出始める。関ヶ原で敗れた島津、毛利、いいようにこき使われた福島正則を筆頭とする豊臣系大名、なし崩しに従属させられている奥州の伊達。鱗が剥がれ落ちるように、次第に、次第に」
灯火がまたたいて、花神の半面を覆う濃い影がゆらりと揺れた。
「徳川方が恐れているのもそこだ。だから決着を早急につけたい。強引に講和を成し、大坂城の堀を埋め、城に籠もる選択肢をなくし、大決戦に持ち込み一挙に叩き潰そうとしている。早期に決着がつかねば、公儀の権力がゆらぐ。一見、盤石にみえる公儀も実際はいまだ揺籃期だ。一穴からたちまち瓦解する。だから、こちらは一揆や反乱を利用するのだ。大坂方はうかつに打って出ず、戦いは彼らにまかせればいいのさ」
そう云って花神は口元をゆがめた。端正な顔に妖気が宿ったようであった。
「お話はわかりますが」鶫はまるで興が乗らないような口ぶりで、「それと私に今度の作戦をまかせるのとどんなつながりがあるのでしょう」
「ないさ」花神はにべなく云った。「ただお前に復讐の機会をやろうと思ったまでさ」
「碧が出てくるとでも?」
「くるな。まず、間違いなく」
「淡路のほうは、いかがなさいますか?」訊いたのは祥馬である。
「あっちは、あっちで勝手にやるだろう。放っておけばいい」
「はい」
「まずは、紀州だ。一揆勢に寄腔蟲を寄生させ、屍兵となし、徹底的に紀州を混乱なさしめるのだ」
鶫と祥馬は同時に、はっと諾意を示し、頭をさげた。
ふたりが外に出ると、すでに半月は中天に輝いていた。だが夜更けにもかまわず、紀伊にむけて出立した。鶫は町娘のようなかっこうで、祥馬は黒い着流しに黒い蝙蝠羽織のいでたちであった。
鶫が歩き、そのあとを祥馬がついてくる。
「ぐずぐずしてると、置いていくわよ」
振り返って鶫はそう云ったが、祥馬は、こちらをじっと見つめている様子で、だが、なにも喋らなかった。
「ふん」
と鼻をならして、鶫は歩き続ける。
昨年末の闘いで、祥馬に捕らえられた鶫であったが、冥元衆を名乗る花神一味は彼女になにをすることもなかった。ただ傷の手当てをして、あとは放っておかれた。逃げるなり居続けるなり好きにしろ、と云わんばかりの対応であった。
男たちも鶫に手を出すことはけっしてなく――と云っても鬼巌坊だけはすれ違いざまに尻や胸を撫でてきたが――かつて恋心をいだいていた祥馬でさえ、彼女を求めてくることはなかった。
それで鶫は、ちょっと敵情を探ってやろうというくらいの気持ちで、下働きのようなことをしながら一味と三カ月あまりすごしていた。彼らに情が移ることも、思想に感化されることもなかったが、しかし、心の奥底に碧や嵐に対する憎悪がつのっていったようだった。気絶していたので当時の状況は想像するしかなかったが、自分を見捨てて遁走したふたりに嫌悪感が湧いていた。
花神は、
――復讐……。
と云ったが、鶫自身はそこまでは考えていない。ただ、もし碧か嵐が目の前に現れたらどういう感情に支配されるか、自分でもわからない。
「本当に置いていくわよ」
大野治長屋敷の大棟門を出ると、鶫は振り返ってまた云った。
「好きにしろ」
祥馬はようやく、抑揚なく云った。
京でふたりが別れてから、祥馬の陰気さには磨きがかかったようであった。どこか人類すべてを憎んでいるようなふうさえある。
鶫と祥馬とは、別れた恋人と暮らすような(事実そうであったが)、なにかぎこちない関係のままで過ごしていた。お互いがお互いに対して、腫れ物にさわるような……。
「ふん」
とまた鶫は愚図な夫を見下す妻のように鼻をならして、速足で歩き出した。
南へ、南へと……。




