ドライジンジャー
郊外と呼ぶには街から遠すぎる、かといって秘境というほどでもない半端に開けた荒野の真ん中にぽつんと宿屋が建っていた。山小屋を立派にしたような建物だ。看板は一応出ているけど商売っ気は薄く、従業員の気配もない。薪も水も客が勝手に使って勝手に補充する仕組みらしかった。
日本でいえば無人販売所と貸別荘の中間みたいなものか。今日はヘイミッシュにくっついてそこへきていた。
必要最低限しかしゃべらない男なので行き先も目的も道中では一切説明がない。ついてきといてなんだけど、まだ「何しにきたんだろう」と不思議だ。
居間兼食堂には先客がひとりいた。
魔族だった。
人型なれど人間とはいろいろと圧が違う。角があるとか瞳が赤いとかそういう記号的な話だけじゃなく、座っているだけで空気の比重が変わる感じがある。
「だれ?」
そう小声でヘイミッシュに聞いたら、彼は靴の泥を落としながら、「魔界の代表だ」と言った。
それはつまり魔王じゃん。
なんで魔王がこんなところにいるのか。もっとこう、黒い城の玉座とか、禍々しい甲冑の側近とか、そういう文脈の上に配置されるべき存在ではないのか。無人宿屋の木の椅子に座って静かに誰かを待っていていい人材ではない気がする。
ヘイミッシュは平然としたままキッチンへ入っていき、魔王のほうもこちらに一瞥をくれただけでテーブルについたまま動かない。
「あの、なんでここに?」
「ん? 吾輩がそこらの街に直接行くと、瘴気でうっかり滅ぼしてしまうからな。ここで済ませるようにしておる」
わあ、超魔王っぽい、一人称。
「滅ぼさないように近寄らないんですか」
「そうだ」
魔王って人間を滅ぼすためにいるものかと思ってたと私が言うと、魔王は何を言ってんだこいつ、みたいな顔をした。
「滅ぼしては喧嘩を売る相手がいなくなるであろうが。生かさず殺さずが肝要よ」
「……」
優しいのかえぐいのか判断に困る。
キッチンのほうからはおいしそうな音と匂いがしていた。香草の匂いと甘辛いソースの気配。ヘイミッシュは剣の腕もさることながら料理の手際もいいようだ。思えば野営のときもそうだった。旅先で一番信用できるのは、剣の腕より火加減なのかもしれない。
体感で三十分ほど経って、ヘイミッシュが皿を運んでくる。焼いた肉に根菜の蒸し煮、きのこのソテー、白いパン。辺境の無人宿屋とは思えない、ちょっとした祝宴みたいな卓上になった。ついでのように私の前にもティーカップが置かれる。
「でもなんで冒険者が魔王に手料理を」
率直な疑問をそのまま口にすると、答えたのは魔王だった。
「毒素の含まれぬ人間界の劇物など、若いうちにしか食えんからな。吾輩の瘴気に耐え得る者に依頼を出して、ここで作ってもらっておるのだ」
人間界の劇物。なるほど、瘴気漂う魔界を故郷とする彼らには毒のないことがむしろ毒になるわけか。味は良くても年老いたら食べられない。まるでジャンクフード。異文化理解とは相手の胃腸から始まるものなのか。
魔王は慣れた手つきで報酬らしい革袋をテーブルに置いた。ヘイミッシュは中身を改めもせず受け取る。いつものやりとり、という感じだった。勇者と魔王の決戦にはなり得なそうな個人事業主同士の委託契約。
「えっと、人間と魔族って敵対してないの?」
この光景を前にすると確認したくもなる。
「しておるぞ」
「ですよね」
即答でありました。
にしては平和すぎんかとヘイミッシュを見る。彼は魔王にパンを切ってやりながらしれっと言った。優しい。
「ここ十年ほど戦いが激化したおかげで人が減って地上の土地不足は解消された。また人口過多になるまでは、お互い生産の時代が続くだろう」
「お、おお。シビアな世界っすねー。いい加減に魔王を倒して永遠の平和を、みたいな話にはならないんだ」
本人を前にして言うのもちょっとどうかと思ったけど、魔王は気を悪くした様子もなくヘイミッシュの手料理を熱心にもぐもぐしていた。
「永遠の平和……? それは世界の崩壊と同義じゃないか?」
少なくとも魔族から見れば、とヘイミッシュが答える。うん。まあ、たしかにそうか。ハッピーエンドというのは所詮一方向から見た名称だ。誰かが“平和”と呼ぶ状態は、敵対者の“停滞”や“死”で成り立つものだった。実際の生活はたいてい、収支と補給の折衝でできているのだ。
私はヘイミッシュが淹れてくれた紅茶を飲んだ。ほんのり甘くてぴりっと辛い。舌の奥にじんわり残る熱がお腹の底から身体を温める。ああこれは風邪引いた時に飲みたいやつだなあ。
荒野の無人宿屋で、人間の冒険者が魔王に料理を出して、その横で異世界人が生姜入りのホットティーなんぞ飲んでいる。
人間と魔族は歴史の始まりから今に至っても敵対していて、だからこそ適切な距離で共存している。平和が倦んで人口が増えすぎればまた戦いになり、それなりの時期になればお互い手打ちとする。
世界がそういうもんならしょうがないね、なんつって。




