第9話 拒絶と、魔王の独断
しばらく誰も口を開かなかった。
焚き火の音だけが、静まり返った空気の隙間を埋めていく。
三人とも思考の底へ沈んだまま、ただ炎を見つめていた。
夏彦は膝に肘を置き、握った拳を震わせている。
畝峨は何度も何かを言いかけ、飲み込んで――それを繰り返していた。
そろそろ何か声をかけようかと口を開いた、その時だった。
「……なぁ、コノエ」
最初に沈黙を破ったのは畝峨だった。
抑えた声音なのに、火の揺らぎのように微かに震えている。
「さっき、お前……『自由になった』って言ったよな」
俺の代わりに畝峨の問いに呼応するように、焚き火が小さく爆ぜて火の粉を散らす。
「でもな……その紋章、まだ消えてねぇだろ。今なお、お前の感情を削ってる」
その言葉に夏彦が弾かれたように顔を上げる。
「そうだよな!? そんなん自由なわけねぇよ……! だって、お前……っ」
言葉は途中で途切れ、代わりに荒い息だけが零れた。
二人の視線が真っ直ぐ俺に向けられる。
本気で俺の身を案じている、かつての親友たちの目だった。
俺は小さく息を吸い、その熱を胸の奥で押し潰すように吐いた。
「……ああ。コレはまだ機能してるよ。俺自身が死なない限り紋章は消えない」
「もう呪いじゃねぇか。なぁ、セルガ……お前ならこれ消せるんじゃないのか?」
夏彦の声は藁にも縋るような、か細い声だった。
畝峨は目を細め、しばらく俺の首元の紋章を凝視してから重々しく答えた。
「……元は魔族の古代魔法だ。だが、人の手が入り過ぎてる。溜め込まれた感情……負のエネルギーが不純な魔力に変換され、蓄積されている。無理に外そうとすれば……」
一旦言葉を切ってから、はっきりと言い放つ。
「森一つどころか、ここら一帯が吹き飛ぶ」
空気が、凍りついた。
「じゃ……じゃあ、コノエはこのまま、感情を奪われ続けるしかないってのか!? それに、いつまた人間達に言いように使われるかもわかんねぇのに!」
夏彦は勢いよく立ち上がり、拳を震わせてやり場のない怒りを畝峨にぶつける。
「騒ぐな」
「……っ」
畝峨が静かだが強めの一声を落とす。その声色には抑えられた怒りが含まれていた。
夏彦は歯を食いしばり、座り直す。
焚き火の光に照らされた彼の横顔は、激しい憤りで赤く染まっていた。
畝峨はゆっくり視線を俺に戻し、間を置く。
再び訪れた静寂。ただ、焚き火の音だけが耳に痛いほど響いてくる。
「消すことは出来ねぇが、書き換えて"別の形"にすることはできる」
「書き換える……?」
夏彦が息を呑む。良いのか悪いのか、想像もつかない声だった。
畝峨は手のひらを上に向け緩く上下させながら、淡々と説明を始める。
「まず、今の紋章の"管理権"を俺に移す。ただし、従属の強制力は完全に無効化する」
夏彦が眉を上げ、目を丸くする。
「じゃあ……コノエは、もう誰にも縛られなくなるってことか?」
「そういう事だ」
畝峨が口の端を吊り上げて笑い、更に言葉を続ける。
「次に感情を吸い取る機能を完全停止。……十年かけて奪われたものは恐らく一気には戻らねぇが、時間をかけりゃ自然に回復していくはずだ」
夏彦の瞳に少しだけ希望が灯る。
しかしここで畝峨が言葉を切り、一度目を伏せてから俺の首元を見た。
「――と、ここまでは良いんだけどな。……十年吸われ続けた"負の魔力"……これだけは、紋章の内部に残る」
夏彦の表情に影が落ちる。
「じゃ、じゃあ……やっぱ爆発すんのか?」
「無理やり外そうとしたり、コノエが死んだらな」
畝峨は腕を組み、冷静に話を続けた。
「だから……今は俺の魔力で封じたままにするしかない。時間はかかるかもしれないが、これは俺が必ず後腐れなく解除して見せる」
やり遂げようとする王としての強い意志、そして友としての執念。
それを聞いて、俺は小さく息を吐いた。
――姿は変わっても、根っこはあの頃のままだな。
友人が困っていたら、損得抜きで首を突っ込む。
たとえ互いの立場や地位がどれほど変わってしまったとしても。
だからこそ、俺の返答は一つしかなかった。
「――断る」
「は!? なんでだよ!」
夏彦が声を荒らげる。その反応は予想通りだ。
だが畝峨は、何も言わず俺を見ていた。
その瞳は、俺の返答を最初から知っていたかのように静かだった。
「魔王が人間のしでかした問題に首を突っ込めば、余計な火種になる。わかるだろ」
視線を揺らぐ火に落とし、淡々と言葉を続ける。
「そもそも紋章は俺か術者が死ななきゃ爆発はしない。なら、今まで通りでも十分生きていける。この場所に居るのが魔族にとっての問題なら、俺はどこか別の場所へ移動する」
畝峨はしばらく黙って俺の顔を見ていたが、やがて我慢しきれないといった様子でふ、と小さく吹き出した。
「……変わんねぇな、お前」
組んでいた腕を解き、乱れた前髪を無造作に掻きあげる。
そしてどこか誇らしげに、愛おしげに表情を緩めた。
「友達のためなら自分を後回しにするくせに、逆は絶対に許さねぇ。……頑固なところもそのままだ」
焚き火の光が、その柔らかな横顔を優しく照らし出す。
「安心したわ。どんな目に遭わされても……お前は、木柄のままだ」
しかし次の瞬間。彼の顔から一切の笑みが消え失せた。
そこにあるのは揺るがない意志を宿した双眸。
「……でもな」
静かに、一歩踏み出す。
その一歩で、炎の熱が強まった気がした。
「俺も変わらねぇんだよ」
低く深く、響く声。
それは友としての情と、王としての独善的な意志が混ざり合った抗いようのない圧力だった。
迷いなく伸ばされた指先が、真っ直ぐに俺へと向かう。
「――人の話を聞かねぇところが、特にな」
その指が、俺の首の紋章に触れた。
「――っ!?」
その刹那、視界が真っ白に染まるほどの光が爆ぜた。
見知らぬ文字が浮かび上がり、紋章の上に幾重にも重なっていく。
構造そのものが、上からなぞられるように書き換えられていた。
熱も痛みもない。
ただ胸の奥が、ほんの一瞬だけざわついた。
止める暇なんて、どこにもなかった。
ご一読いただき、ありがとうございます。
完結まで走り抜けられるよう、一話一話大切に更新してまいります。
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次回もよろしくお願いいたします。




