第13話 王の決断、宰相の覚悟(セルガ視点)
「……陛下」
ライゼルが低く、それでいて明確な緊張を孕んだ声を発する。深い緑の瞳が、俺の真意を測るように細められた。
「まず確認させてください。この件は――元から、我々にとって極めて不利な状況でした」
円卓の視線がライゼルへ集まる。
「隷属の印。その構造がいかに歪められていようと根幹が魔族由来の術式である以上、人間側は必ず我々に不利な主張をします」
フォロスが奥歯を噛み締めて低く唸った。
「言いがかりだな」
「ええ、しかし国家は理ではなく立場で動く」
ライゼルは淡々と、冷酷な現実を積み上げていく。
「それでもなお、この件は"事故"として切り捨てる余地があった。――ですが陛下は、その隷属印を"王の理"で上書きした」
それは非難ではなく、事実の確認だった。
「その瞬間、この事案は――魔王が正式に介入し、加担した国家案件になりました。もはや『他国の不祥事』という外枠では収まらない」
円卓に重い沈黙が落ちる。
「それは人間一人を救うために、魔族全体を危険に晒した――そう受け取られても、否定できない行為です」
誰も反論しなかった。ライゼルの言葉はこの領地を守る『頭脳』として正しいからだ。
「隷属の印は、人間側の犯罪の証拠でもありました。それを魔王の魔力で書き換えたとなれば、人間側は逆手に取り『不可侵条約を破ったのは魔王自身だ』と主張するでしょう」
その言葉が軍議室の空気を凍らせる。
「陛下は魔王です。情に厚い存在である前に、魔族の安寧を守る絶対の王でなければならない。だからこそ――陛下ご自身が、そのような危うい手段を取る必要はなかった」
封印、隔離、あるいは被害が最小限抑えられる場所に放置。
選択肢は他にいくらでもあったはずだ、と。
ライゼルの冷徹な正論が俺を貫く。
だがその沈黙を切り裂いた声があった。
「――無理だろ」
ナツカが静かに淡々と、だが確実に苛立ちを含む声で場を支配する。
「隷属印は臨界状態だった。術者の安否は不明、当人は衰弱。あの時点で外部刺激が入れば――確実に爆発してた」
ナツカの指が円卓を強く叩く。
「場所は魔族領、術は古代魔法。扱えるのは王族、しかも正統な後継者である陛下だけだ」
彼は吐き捨てるように、ライゼルの机上の論理をはね退ける。
「隔離?封印?場所をかえる? 下手したらどれも間に合わねぇ。爆発すりゃあいつが死ぬだけじゃねぇ、森どころか周辺の集落ごと吹き飛んでた。それがお前の言う『事故処理』か?」
矢継ぎ早に話すナツカのそれは、『可能性』ではなく、『現実に起こり得た未来』だった。
「……だから聞く」
一拍置き、ナツカは目を細めて真剣な表情でライゼルを見る。
「お前なら、陛下を止められたのか?」
ライゼルはゆっくりと目を伏せ、長い沈黙のあと静かに首を左右に振った。
「……いいえ。私がその場に居ても、止められなかったでしょう」
円卓に置かれたライゼルの手から、ふっと力が抜ける。
「隷属印が魔族の古代魔法である以上、それを書き換えられるのは陛下ただ一人。――選択肢は、最初から存在していなかった」
ライゼルは己の無力さへの悔しさ、人間への怒り、そして王の独断への深い理解が混ざり合った複雑な表情で口を閉ざした。
その沈黙を引き取るように、俺は静かに言葉を紡ぎ始める。
「人間一人のために、魔族全体を危険に晒した。それは否定しねぇ。――だが」
俺は円卓に集う顔を、一人ずつ見渡した。
「だからこそ、俺がやった。あの場で、誰かに判断を押し付ける気はなかった」
魔族の王として。
「もし責任を問われるなら、条約違反、挑発……全部ひっくるめて――矢面に立つのは俺一人でいい」
静まり返る軍議室。
誰も言葉を挟まず話を聞いている。
「魔族を守るために、俺が『盾』になる。それが王の仕事だ。必要なら、俺の首の一つも――」
「――陛下」
誰かの息を飲む音が聞こえた。
だが俺が言い終わるより早く、ライゼルの鋭い声が飛んだ。
「『首を差し出す』などという言葉を、二度と軽々しく使わないでください」
ぴしりと空気を打つような声音。
「それは覚悟ではありません。ただの『自己犠牲という名の逃げ』です。陛下が消えれば、魔族は守られるどころか――瓦解します」
バルハやフォロス、そしてエルミナもその言葉に弾かれたように深く頷いた。
ナツカさえもこの時ばかりは俺を強く睨みつけていた。
ライゼルは険しい顔で、真っ直ぐ俺を見据える。
「魔王は盾である以前に、要です。要が折れる覚悟を口にするなど宰相として看過できません」
それは王を失うことへの恐怖だった。
俺は短く息を吐き、目を伏せた。
「……悪い。言い方が悪かったな」
場の緊張がわずかに緩むと、ライゼルは息を吐き出しすぐに思考を切り替えた。
「――では、現実的な話をしましょう」
宰相の声に、再び全員の意識が集まる。
「この件は、人間領には秘匿必須。触れれば向こうも少なからず困るでしょう。なので我々も表向きは――黙認します」
一度言葉を切り、続けた。
「問題は魔族領内部です。陛下が人型の存在を連れて帰還した場面を見た兵がいる以上、完全な隠蔽はかえって疑惑を招く」
フォロスが腕を組み、重々しく頷く。
「噂は風より早く広がるしな」
「だからこそ、『隠す』のではなく『定義』します」
ライゼルは円卓をトン、と軽く叩いた。
「その人物は、捕虜でもなければ罪人でもない。魔族領に流れ着いた身寄りのない"異邦人"であり、魔王陛下直々の『要保護対象』である、と」
ライゼルは真剣な眼差しで、円卓にいる皆の顔を見渡す。
「魔族であろうと、異邦の存在であろうと、死に瀕した者を救う。それが魔族の矜恃であると、内外に示すのです」
フォロスが、それまで溜め込んでいた空気を吐き出すように低く笑った。
「なるほどな……力なき者を慈しむための強固な意志、か。魔族らしくて、いい」
「えぇ。それに伴い兵への通達は最小限で構いません。『ヴァルハスの森で瀕死の異邦人を発見し、陛下が慈悲による保護を決断された』。それ以上に余計な真実を語らせる必要はありません」
エルミナが手を上げ、静かに補足する。
「では、書き換え後の影響の経過観察と管理は、私が担当しましょう。術式そのものには触れられませんので、異常兆候が出た場合は、即座に陛下へ報告を」
「頼む」
俺が短く応じると、ライゼルは咳払いを一つし、結論を告げた。
「当該の異邦人は『要保護対象』として厚遇。詳細な背景は我々上位層のみの共有とする。人間領への情報流出は反逆罪に相当。違反者は階級を問わず即刻処罰――以上です」
異論を挟む者は、誰一人としていなかった。
――こうして、破滅の火種を孕んだ一つの危機は、表向きには"処理"された。
いつ再び燃え上がるかもわからぬ、危うい均衡を保ったまま。
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