第11話 死の森を越えて、魔王城へ
薄くなった瘴気を掻い潜り深い森を抜けると、朝の日差しが射し込んできた。
「もうすっかり夜が明けたか、夜のうちに帰るつもりが長居しちまったな」
空を見ながらナツカが笑う。
軽い調子だが周囲への警戒は解いていない。
その様子は彼が一級の戦士であることを物語っていた。
セルガは短く相槌を打つと、一頭の魔獣を俺の前へと導いた。
「うちに代々伝わる固有種のグラルだ。さすがに歩いて帰るには遠いからな」
初めて見る黒い身体に紅い双角を持った大きな馬のような魔獣――『グラル』。
筋肉の塊のような体躯、角と同じく燃えるような紅の瞳。
近づくだけで皮膚がピリつくほどの重い魔力をまとっている。
「……これ、本当に乗って大丈夫なのか?」
眉を寄せると、ナツカが即座に反応する。
「心配すんな。グラルはな、王族の命令しか聞かねぇ特別なやつだ」
得意げに鼻を鳴らしてから彼はちらりとセルガを見た。
「つまり、魔王が『乗せる』って決めた時点で、落とすなんて選択肢は存在しねぇ」
「……むしろ」
セルガが、低く地を這うような声音で続けた。
「俺の方が、お前を落としたくない」
冗談とは思えない妙に真剣な一言だった。
向けられた熱に胸の奥がむず痒くなる。
俺はそれを誤魔化すように促されるまま、グラルの広い背に跨り前を向いた。
「じゃ、帰るか。――城へ」
セルガが短く命じると、グラルが低く嘶き大地を蹴った。
風が顔に叩きつけられ森が一気に後方へと流れていく。
景色が線になるような超常的な速度に思わず身体を強張らせると背後に乗ったセルガの掌がさりげなく、けれど確かに俺の腰を支えた。
その隣でナツカが軽々と己の馬を操り、道を先導していく。
やがて眼前に巨大な城が姿を現した。
黒い尖塔が空に突き刺さり、城全体から放たれる魔力の波が空気を揺らす。
人間領の王城とは比較にならない、圧倒的な重圧が肌を押し返してくる。
「……これが、魔王城……?」
息がわずかに詰まる。森で魔族領に入ったつもりになっていたが、あれはただの端に過ぎなかったのだ。
グラルが巨大な城門の前でぴたりと止まり、その蹄が地面の石を削って火花を散らす。
「陛下のご帰還だ!」
ナツカの凛とした声が響き、ゴゴゴ……と地響きを立てて巨大な門が開く。
開いた先では中央を広く空け、左右にずらりと並んだ兵士が一斉に槍を地に突きたて胸に拳を当てる。
「お帰りなさいませ、魔王陛下!」
揃った声。だがその直後、明確なざわめきが混じる。
視線が、痛いほど集まる。
絶対的な主であるセルガの前に、あろうことか『人間』が乗っている。
その光景だけで俺という存在は彼らにとって十分すぎるほどの異物だろう。
張り詰めた空気の中、一人の男が城内から現れた。
白髪混じりの落ち着いた佇まい。
背筋は真っ直ぐで、一目で『この城の留守を預かる者』だと分かった。
男はセルガの前で立ち止まり、深く頭を下げた。
「お帰りなさいませ、陛下」
「出迎えご苦労。宰相か、特務魔術師はいるか?」
「まだ朝が早いですから。お二人とも、城へは来ておりません」
一拍置いて男の視線がゆっくりとこちらへ向く。
目を細め――静かに、探るように。
「……僭越ながら陛下、その方は?」
問われた瞬間、セルガの腕に力が籠もり俺を庇うように彼のほうへ僅かに寄せられた。
「俺の大事な客人だ。詳細は後ほど。……今は休ませてやりたい」
即答だった。一切の議論を許さない主の言葉に、男は一瞬だけ驚いたように目を瞬かせるがすぐに静かに頷く。
「畏まりました。すぐに部屋へご案内いたします」
それ以上は何も聞かない。
ただ主の言葉を絶対として受け止める、その姿勢が印象的だった。
城内に入ると使用人たちが一斉に頭を下げる。
視線は集まるが誰一人として余計な声を上げない。
「俺の客人だ」
セルガが放ったその一言が、この広大な城のすべてを黙らせていた。
◇
案内されたのは来客用の一室。
豪奢すぎず、だが隅々まで整えられた静かな部屋だった。
「ここで休め。説明が済むまで、出歩くな」
「また後で来るからな。無理すんなよ」
ナツカの変わらない軽い声に、少しだけ息が楽になる。
「念の為結界は張っておくが……困ったら外の使用人に声をかけろ。信用出来るやつをおいていくから」
過保護な言葉を残し、二人は部屋を後にした。
重厚な扉が閉まり、深い静寂が落ちる。
張り詰めていた糸がぷつりと切れ、膝から力が抜けていき俺はそのまま寝台へと倒れ込んだ。
身体を包み込み沈み込んでいく感触が、あまりに柔らかい。
「……やば、ベッドって……こんなふかふかだっけ……」
安堵に似た吐息が漏れ、身体が脱力する。
この十年寝るといえば浅く短く、眠るというよりは単に意識を休めるだけの作業だった。
けど今は何も考えなくていい。
誰かに見張られていない。
起きなければならない理由も、今はない。
天井を見上げたまま、ゆっくりと瞬きをする。
胸の奥にかすかな不安はまだ残っている。
知らない城、知らない魔族、知らない明日。
そして戻り始めている感情――戸惑い。
それでも。
「……まあ、今だけはいいか」
そんな気持ちがふっと浮かんだ。
これは逃げじゃない。ただの休憩だ。
滑らかなシーツの感触が心地よく、呼吸が自然と深くなっていく。
瞼が石のように重くなり視界がぼやけ、意識は静かに闇へと溶けていった。
――少なくとも、セルガの結界に守られたここは"安全"だ。
その実感だけを最後に抱いたまま、何年かぶりに何も考えずに深い眠りへ落ちた。
ご一読いただき、ありがとうございます。
完結まで走り抜けられるよう、一話一話大切に更新してまいります。
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