第10話 落ちた影が、重なる時
世界が一度、白く塗りつぶされた。
耳鳴りが収まり視界が戻ったとき、俺は地面に膝をついていた。
息が乱れ、首元の紋章がドクン――と脈打つ。
「……ッ、はぁ……っ……」
「コノエ!」
「大丈夫か?」
夏彦の焦った声と、その隣から聞こえる落ち着いた低い声。
顔を上げると畝峨が一呼吸だけ肩で息をして、そして何事もなかったように立っていた。
「……書き換えは終わった。動けるか?」
その声は、妙に静かすぎた。
落ち着いているというより――無理に整えているような。
「……お前、平気なのか?」
「当たり前だろ。なんせ俺は魔王様だぜ?」
わずかに口角を上げる不遜な仕草。
その笑い方は昔の畝峨のままだ。
――だからこそ、違和感が拭えなかった。
何かが、噛み合っていない。
だが理由はわからない。
ただ胸の奥が微かにざわつく。
夏彦が駆け寄り、俺の肩を力強く掴んだ。
「コノエ!大丈夫なのかよ!? 顔色、かなり悪――」
「……俺はいい。それより、畝峨は……」
畝峨は短く首を振って俺の言葉を遮った。
「だから、問題ねぇって言ってるだろ」
言い切る声音にほんの一拍だけ不自然な間があった。
でもそれ以上は何も語らない。
「書き換えは成功した。従属は消えたし、感情を奪う機能も止まってる。あとは……削られたお前の心が戻るのを待つだけだ」
そう言って畝峨は、俺の肩に大きな掌をポン、と置いた。
その瞬間、胸の奥がじんわりとざわいた。
痛みではない。ただ懐かしい感覚だった。
――ああ。
奪われ続けて、麻痺していたはずの感情がたったひとつだけ、氷を溶かすように確かに戻ってきている。
「……セルガ。ありがとう」
掠れた声で礼を告げると、畝峨は一瞬だけ子供のように目を丸くして瞬きをした。
けれどすぐにいつもの傲慢なまでの自信に満ちた顔で笑った。
「どういたしまして」
その横で夏彦が大げさに息を吐く。
だがその声音には隠しきれない安堵が滲んでいた。
「まったく……お前急すぎるんだよ。コノエを助けるのはいいけどさ、王に何かあったら洒落にならねぇんだからな」
「お前だってやれっていっただろ。それに……これだけは譲れなかった」
焚き火の爆ぜる光に照らされた畝峨の横顔は、やり遂げた男の誇らしさに満ちていて――そして……どこか俺の知らない『遠い存在』のようにも見えた。
「……魔族、か」
思わず呟く。
「お前たちはもう畝峨でも夏彦でもないんだもんな、セルガとナツカ……だっけ」
夏彦は苦笑いしながら、その辺に落ちていた小枝で焚き火の芯を突いた。
「記憶も人格も持ったまま転生してるから、名前が似てるのは俺たちからしても変な感じだ。でも……五百年この名で生きてきた」
畝峨も静かに頷き、黄金の瞳に夜の闇を映した。
「だから"今の名"で呼んでくれると助かる。立場も、責務も、全部……この名で背負ってるからな」
「あぁ――セルガ、ナツカ」
新しい名を呼ぶと二人の肩の力がふっと抜けるのがわかった。
だが次の瞬間、ナツカがはっとした声を上げる。
「……あっ!そうだ、俺たち調査に来てたんだった!」
「今それ言うかよ……」
セルガが額を押さえため息を零す。だけど、表情が徐々に俺の知らない"魔王"の顔へと変わっていく。
焚き火の赤い光に照らされたその横顔は、かつてとは違い底知れぬ威圧感を帯びていた。
「調査……?」
俺が問うとセルガは静かに頷いた。
「ここ数日で瘴気が極端に薄れ、魔獣の数も一気に減った。……それだけじゃねぇ。倒された魔獣の死骸は綺麗に消えて、魔石すら残ってない」
焚き火がぱち、と乾いた音を立てて跳ねた。
「それが一体……誰の仕業か、って話だ」
セルガの視線が、射抜くように俺と繋がった。
「――俺、か」
呟いたその声は、自分でも驚くほどに乾いていた。
ナツカがこめかみを押さえて深い息を吐く。
「そう考えるのが自然だろうな。でもよ……魔王領に入った人間が一人で魔獣を狩って、瘴気を消してました、なんて報告できるか?」
セルガが目を細め、俺に問う。
「……生きるため、だったんだろ?」
「それ以外に理由があると思うか?」
淡々と返すと、森の静寂が再び俺たちを包み込んだ。
「別に責めてるわけじゃねぇよ」
セルガの声は王ではなく、ただの友人のものだった。
俺は無意識に強張らせていた肩の力を抜く。
「立場上、確認が必要なだけだ」
「……わかってる。で、これからどうすりゃいい? ここにいていいのか悪いのか……。つーか、俺も無意識とはいえ、この森って浄化しちゃダメだったのか? 魚泳いでるけど」
セルガは腕を組み、渋い顔をする。
「人間的には『環境改善』だろうが、魔族的には……ここは境界線だ。瘴気と魔獣は外敵――要は人間を寄せ付けないための天然の『防衛線』なんだよ」
「……あぁ、なるほど。知らないうちに防壁をぶっ壊してたわけか。そりゃ悪いことをした」
思った以上に洒落にならない事態だったようだ。
俺は頬を掻き、気まずさを隠すように焚き火の隅を見つめた。
「……なら、やっぱり人間領に戻るべきか。これ以上迷惑はかけたくないし」
ぽつりと漏らしたその言葉をセルガの鋭い声が即座に、そして強引に遮った。
「何言ってんだ。帰すわけねぇだろ」
金色の瞳に焚き火の赤が映りこみ、熱を孕んで揺れる。
「もうお前を、誰の手にも渡さない。二度と手放したりしない」
そのあまりに重すぎる執着にも似た独占宣言に対して、俺は思わず引き気味にナツカを見た。
「……ナツカ。アイツ、ちょっと目がマジで怖いんだけど。獲物を見る目になってない?」
「怖くてなんぼだろ。魔王なんだから威厳がねーとよ」
ナツカはニカッと楽しそうに笑う。
だがすぐに表情を引き締めると、慈しむような目で俺を見据えた。
「それに……本当に心配してたんだぜ。ずっと」
胸の奥がかすかに疼く。
何となく罰が悪く視線を斜め下に落とす。
「……まぁ。悪かったよ」
ナツカはふっ、と表情を緩めた。
「じゃあ、とりあえず城に戻ろうぜ。コノエのことは……前世のことは隠してうまく話すから。任せな」
セルガも当然だと言わんばかりに深く頷いた。
焚き火の光が揺れ、三人の影を濃く、長く伸ばした。
その影はかつて子供の頃に並んで歩いた時と同じように、分かちがたく重なり合っていた。
ご一読いただき、ありがとうございます。
完結まで走り抜けられるよう、一話一話大切に更新してまいります。
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