後編
――数週間後
あれから、私は晴人に手紙を送っていない。
晴人も私に手紙を送って来なくなった。
いや、送れなくなってしまったのかもしれない。
分からない。
寂しさを感じつつ、一人放課後の教室で立ち尽くす。
ほとんどの人が下校したであろう学校は静まり返っていた。
「森谷晴人……」
やはりあの手紙に返事をしたほうがいいのだろうか。
でも、そんなことをしたら知ってはいけないものを知ってしまうようで怖い。
そう思った時、いつもの紙ではなく、しっかりとした封筒に入った手紙が足元に現れた。
晴人からだ。
心臓が、大きく跳ねた。
白い封筒。
今までの折り畳まれた紙とは明らかに違う。
少し厚みがあって、ちゃんと手紙だ。
逃げ場がないと思った。
これはもう、落として消えるだけの紙じゃない。
拾わなければ、開かなければ、何も始まらないし何も終わらない。
私はしゃがみ込んで封筒を拾った。
宛名は書かれていない。
でも、分かる。
ゆっくりと、封を切った。
◇◆◇
――小春へ
突然、こんな形でごめん。
たぶん、俺が送れる手紙はこれが最後になる。
お前にずっと隠していたことを伝える。
俺とお前の世界は、世界の理が真逆なんだ。
俺の世界では、大人は子供へ若くなっていくことが歳を重ねることとされている。
つまり、俺の世界では「生まれる」って概念が少し違う。
最初は大人として存在して、時間が経つにつれて少しずつ若くなっていく。
つまり、俺とお前は、歳が近いように見えて全然違う。
でも、この世界にも学校は存在していて、九年間の義務教育がある。
そして、この世界は中学生をループしているんだ。
俺の世界だけじゃなく、お前の世界も。
俺が中学1年生になり、小学生になろうとすると、世界がリセットされて、中学3年生に戻る。
ただ、ループは同時に起きない。
片方の世界だけがリセットされるんだ。
前はお前の世界だった。
だから、次は俺の世界。
◇◆◇
残酷な真実に、私は声が出なかった。
震える手で読んでいた手紙を後ろに回して、新しい手紙を読む。
◇◆◇
俺が初めてお前に出会ったのは俺が中学3年の時だ。
お前は中3だった。
もちろん世界の流れが違うから同級生ってわけじゃない。
お前の世界で言うと、中学1年生?
そんなことは置いといて、その時の小春は今のお前より少し大人びていた。
お前は俺に「覚えてる?」っていう手紙を送ってきた。
俺には記憶がなかった。
それから、今の俺達のように文通をしていた。
でも、お前はもうすぐ消える存在だった。
俺が2年生になると、お前からの手紙は一切絶えた。
その空白の1年は世界のリセットの時間なのではないかと考えた。
俺達は世界がリセットされた後、再び中学生1年生に戻る。
もちろん記憶を失う。
だから俺達は何度もすれ違って、何度も出会って、そのたびに「初めまして」から始まっている。
◇◆◇
手紙の続きはまだあった。
私は息を整えながら、震える指でページをめくる。
◇◆◇
俺が持っているほとんどの情報は、前の小春が俺に教えてくれたものだ。
お前だけどお前じゃない。
前の俺と話した小春だ。
そして、小春もまた前の俺に教えてもらったと言っていた。
だから、小春。
今のお前が俺と話しているのは初めてじゃない。
俺達は何度も出会って、何度も記憶を失っている。
俺達の片方が記憶を持って、片方が記憶を失う。
このループが起きているから、前の俺達はこの考えまでたどり着けた。
片方が記憶を失う前の相手を覚えているから、ループに気づけた。
俺がいなくなったあと、お前は俺と出会う前の普通の日常に戻る。
俺は忘れるけど、お前はまだ忘れない。
正直、1年後にまたリセットされて、手紙の行き来が可能になっても、お前は無理に俺に手紙を書く必要はない。
好きにしてくれればいい。
◇◆◇
手紙はそこで一度途切れていた。
けれど封筒の中にはもう一枚、手紙が残っていた。
私はそれを取り出すのをためらった。
これ以上知ってしまったら、戻れない気がしたから。
でも、ここまで読んで知らないままでいられるほど、私はもう子供じゃなかった。
◇◆◇
小春、お前は今、混乱してるよな?
怖いし納得できないし、「じゃあどうすればいいの?」って思ってるだろう。
正直に言う。
俺にも答えは分からない。
ただ一つだけ確かなのは、この手紙を読んでいる今の小春はこれまで出会ったどの小春ともちゃんと違うってことだ。
前の小春は、「覚えてなくても平気」って笑ったらしい。
もっと前の小春は、「忘れるなら、最初から会わない方がいい」って言ったらしい。
その前は何も言わずに、ただ返事を書き続けてたらしい。
どれも間違いじゃない。
どれもちゃんと小春だった。
いつこのやり取りが始まったのかなんてわからない。
それくらい長い時を俺達は繰り返してるんだ。
だから俺は、「どうするか」を決める権利を全部お前に渡すことにした。
俺がいなくなる理由も、紙が消える理由も、世界がループする意味も、全部世界の都合だ。
でも、これから先、記憶を失った俺に手紙を書くかはお前自身の選択だ。
前のお前も俺にそれを託した。
すべてを知った上で、俺はお前ともう一度会うことを選んだ。
俺は何度繰り返しても、何度忘れても、お前のことを好きになるんだな。
もし、お前が中学3年生になった時、俺ともう一度会うことを望んでくれるなら、また床に紙を落としてくれ。
それはきっと俺の元へ辿り着く。
だから、また俺に叶わぬ恋をさせてくれないか?
◇◆◇
最後の一文を読み終えた瞬間、胸の奥で何かが静かにほどけた。
「うぅ……うぁっ……」
私は手紙を胸に抱えて、しばらく動けなかった。
放課後の教室は相変わらず静かで、窓の外ではカラスの声が遠くに響いている。
世界は何も変わっていない。
なのに、私だけがもう戻れない場所に立っている気がした。
「あぁっ……」
私はしばらく泣いた。
声を殺すこともできず、理由も説明できない涙をただ流した。
失恋みたいで、別れみたいで、でもどれとも違う。
最初から触れられない相手を、
最初から失うと分かっていた相手を、それでも好きになってしまっただけ。
「あぁぁああああああ!!」
もう、私はあの人と手紙を送り合うことができない。
それがどれほど悲しく、どれほど辛いことか、きっと誰にも分からないだろう。
晴人は意地悪だ。
私がこんなに悲しむとも知らずに、私に手紙を送ってきたのだから。
◇◆◇
そして季節は巡り、私は中学三年生になった。
1年間考えても、私は結論を出せずにいた。
「もう一度会う」
それは、簡単な言葉のはずなのに、
私にとってはあまりにも重かった。
会えばまた始まってしまう。
どうせ忘れる。
どうせ失う。
それでも……。
それでも、また好きになる。
私はもうそれを知っている。
――もし、お前が中学3年生になった時、俺ともう一度会うことを望んでくれるなら、また床に手紙を落としてくれ。それはきっと俺の元へ辿り着く。だから、また俺に叶わぬ恋をさせてくれないか?
「…………叶わぬ恋……」
晴人、それは私もしてたんだよ。
ずっとずっと、この3年間、あなたを忘れた日なんてなかった。
……そうだ。
私は忘れてほしくないんだ。
晴人に私という存在を。
私は筆箱からメモ帳を取り出した。
それに私はある言葉を書いて、折りたたんだ。
さあ、もう一度。
切なくて悲しい、それでいて幸せな恋を――
「始めよう」
私は手紙からそっと手を離した。
――叶わぬ恋をするために。




